NewsLetter 第101号 2005年2月発行

日本女性学会NewsLetter

(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)

女性学会ニュース第101号[PDF] 2005年2月発行


 

学会ニュース
日本女性学会  第101号 2005年2月

日本女性学会大会シンポジウム案内

テーマ:フェミニズムと戦争

─「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて

日 時:2005年6月11日(土)
場 所:横浜国立大学
主旨:
現代フェミニズムにとって、「フェミニズムと戦争」の関係を再び問い直すことが不可欠になりつつある。
アブグレイブ刑務所におけるイラク男性の虐待写真に笑顔でおさまった女性兵士、アフガニスタンへの空爆回数分の爆弾シールを機体に貼った女性戦闘機パイロット、サマーワ派遣前のインタビューで「男性自衛官のオアシスになりたい」と発言した女性自衛官−21世紀に入ってから、これまでフェミニズムが想定してこなかった事態が、目の前の現実として次々とあらわれている。その新たな事態とは、「戦争/軍事的行為の直接的参与者としての女性」である。
これまで、「フェミニズムと戦争」のテーマの下では、著名な婦人運動家をはじめ、一般の庶民女性たちの戦争協力を批判的に対象化する研究が続けられてきた。これらの女性たちは「銃後」の女性たちであったが、同じ協力であってもここに登場するのは「前線」の女性たちである。この「銃後」から「前線」への女性の「進出」をフェミニズムはどう捉えるべきなのか。おそらく見解の分かれるであろうこの点を単なる是非論にとどめることなく、フェミニズムが掬いだすべき事柄を丁寧に見ていきたいと思う。
さらに、「フェミニズムと戦争」のテーマの下では、1993年の「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」以降、戦争という非日常の暴力を日常的な家父長制的暴力と同じ視野の下で、「女性に対する暴力」として捉えようとする動きも広がっている。「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(VAWW-NET Japan)が世界の女性たちと連帯しつつ開催した「女性国際戦犯法廷」とは、戦前には公的権利を剥奪されていた日本の女性たちが進んで加害責任を担うことにより、公権力を握りながらもその責任を取らない国家と国家的権力者の論理の解体を迫る試みであった。一方、「戦争/軍事的行為の直接的参与者としての女性」は、男女平等な公的権利を賦与され、一労働者としてそれを「行使」する女性であり、現在ではその女性たちが「女性に対する暴力」の一翼を明白に担っている。ここでも、これらの事態を見据えつつ、錯綜する加害/被害の重層性を丁寧に捉えることが求められているだろう。
本シンポジウムでは、9.11以降のアメリカ社会に鋭いまなざしを向けてきた岡野八代氏、「帝国の男性性」の構築の問題に関心を寄せてきた海妻径子氏、軍事組織内における女性を取り巻く力学に注目してきた佐藤文香氏をパネラーとし、フェミニズムと植民地主義の関係について考察してきた千田有紀氏をコーディネーターにディスカッションを行う。

(佐藤文香)

[パネラーの変更によりHP掲載に際し、内容を一部変更しています]

ヌエックの単独施設としての「存続」決定!

金 井 淑 子

前号で、国立女性教育会館・ヌエックの統廃合をめぐる問題について、日本女性学会として要望書を提出したことを報告しました。すでにご存知のことと思いますが、その後、ヌエックは単独施設としてその存続が決定されました。相次ぐ災害や心重たい事件など暗いニュースの続く中で、また女性政策の場面でのジェンダー・フリー教育や男女共同参画社会「条例」作りへのバックラッシュが強まる中での、年末唯一といってよい朗報でした。
まず12月7日付けで、文科省生涯学習政策局より「独立行政法人(国立女性教育会館、以下ヌエック)の見直し状況について」のファックスが学会事務局に入りました。文科省関係では青少年教育関係3法人の統合があげられていますが、ヌエックについては統合の対象とならない方向が固まった旨の報告です。ついで12月10日、国立女性教育会館からも神田理事長名で、ヌエックの単独存続が次期中期目標期間(平成12年度〜22年度)において決定されたことについて、ファックスの報告が届きました。
「9月中旬以来3ヶ月にわたる厳しい〈闘い〉でございましたが、皆様方のご尽力を心から感謝いたしております。本当に有難うございました。これからも困難な険しい道が続くと思いますが、何はともあれ一つの山を越えた思いでございます。今後とも何とぞご協力ご支援のほど宜しくお願い申し上げます」というのが、報告に添えられた神田理事長のご挨拶の言葉です。
今回の決定に際して総務省が出した報道資料によれば、独立行政法人の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性—政策評価・独立法人評価委員会の指摘—は次のようなものです。勧告の方向性として、32ある独立行政法人を約3割削減して32法人から22法人にする、研究開発教育関係法人はすべて非公務員化する、さらに事務、事業の廃止、重点化、民間移管等を指摘するものです。今回統合の対象となるのを免れた国立女性教育会館については、その重点化目標として次の2点、すなわち①男女共同参画社会に向け、真に必要な事務、事業に特化・重点化、②利用者ニーズに応じた受け容れ事業を実施し、全国的な利用を促進する、を挙げています。この内容は、日本女性学会をはじめとする関係諸学会、NGO各種団体がまさに望んだ方向—男女共同参画推進法に基づく女性政策のナショナルセンターとしての位置づけ—を得たというべきものであり、ヌエックを取り巻く幅広い「応援」の声が実を結んだ快挙というべきものでしょう。
ヌエックは残りました。しかし、神田理事長も指摘されるように、状況は予断を許しません。ユエックの存続決定を喜び合う声とほぼ同時的に、埼玉県上田知事の男女共同参画無視の発言や県教育委員にバックラッシユ派の急先鋒ともいうべき人物を起用する方針であることが判明し、「埼玉県の教育が危ない!」と強い危機感が飛び交っています。また豊中市財団法人「とよなか男女共同参画推進財団・すてっぷ」館長だった三井マリ子さんが、原告となって「館長雇止め・採用拒否に対する損害賠償請求」裁判を起こしたということも、暮になって入ってきたニュースでした。各地で、混合名簿や性教育実践などジェンダー・フリー教育のシンボルともいうべき取り組みが「行き過ぎたジェンダー・フリー」批判として攻撃され、「条例」の骨抜きを図る男女共同参画へのバックラッシュもさまざまな形で展開されています。
しかも必ずしもバックラッシュとしてではなく、行革・財政改革の名のもとに市場原理を取り入れたネオリベラリズム的な政策のもとでも、各地の女性センターの運営がどんどん民間委託に移管され、女性政策関連の予算の切りつめが進んでいることにも目を向けていかなければならない情況にあります。
福岡市の女性センター(アミカス)も2005年度をもって財団廃止、市の直轄運営になると報じられています。指定管理制度導入とも関係していて、今後の NPO のあり方評価にも関わる問題として注意深く見ていく必要はありそうです。
ヌエックの存続を勝ち取ったことをバネとして、バックラッシュ情況を押し返す力にしていきたいものです。

ジェンダーフリー概念を捨て去るという退却戦略は有効か?

伊 田 広 行

『We』2004年11月号や同時期の研究会などで展開されている、ジェンダーフリー・バッシングに対する「ジェンダーフリー概念を使わなければいい」という上野千鶴子さんや一部論者たちの意見に対しての私の意見を少し述べます。
そこでは、ジェンダーフリー概念をめぐる戦いは、言葉使用をめぐる象徴闘争、名目上の戦いにすぎず、意地の張り合いにすぎず、バッシング派と推進派のどちらが勝利しようと実際の女性の行動や運動は変わらないので、この戦いに乗らなければいい、ジェンダーフリーという用語を捨てたらいいというようなことが指摘されています。
またジェンダーフリーという概念が、バーバラ・ヒューストンの論文の誤読に基づくものだということを根拠にして、この概念を使うべきでないという意見もあります。

まず私が言いたいのは、前号でも述べましたが、外国人の誰がどう言った、言っていないというのは権威主義の発想だということです。(同じことは、政府・官僚の答弁についても言えます。)大事なことは、私がどのような意味で使っているか、日本の運動の中でどのような意味で使われているかです。「誤読だ」ということをもって何かが言えるというのは、とても狭いアカデミズム的な姿勢です。そもそも誰か一人の最初の使い方にだけ正当性があるということは言えません。細かい議論は省きますが、どこを見ての議論かが大事です。
次に、私がどのような言葉、概念を使おうと、反対のために反対する人から邪魔されたくない、と言いたいとおもいます。文句を言われたからある言葉を使うのを引っ込めるということが、本当にどうでもいい、名目的な象徴の戦いにすぎないと言えるでしょうか。
というのは、今、天皇制や戦争をめぐってつばぜり合いが続いています。日の丸・君が代の押し付けで処分があるとき、保守派がうるさく言うからと、日の丸を掲げましょう、君が代を歌いましょう、抵抗をやめましょうと言うのでしょうか。むしろ思想の自由を各人が表明するべきときなのではないでしょうか。そこをめぐって、自由に意見を言えるようにしようというとき、日の丸などをめぐる議論や言動の対立は、どうでもいい戦いと言えるでしょうか。
性教育では、この教材を使うな、ペニスやヴァギナという用語を使うなという圧力がかかっているときに、そう言われたから使うのをやめましょうとなるでしょうか。ジェンダーフリーについても、一部では、女性センターなどに「ジェンダーフリー」という用語が入っている文献をすべて撤去するような動きがあります。講演者の人選にもジェンダーフリーを主張している者を選ぶなという圧力があります。講演者に「ジェンダーフリー」という言い方は自粛していただけますかという要請もあります。そういうときに、上記の「ジェンダーフリー概念を使うのをやめよう」という意見は、どのような作用をもたらすのかという視点が大事です。
私個人はこれまでジェンダーフリーという用語は積極的には使ってきませんでした。しかし自分が使ってこなかったから安心ということで、ジェンダーフリーを使ってきた人たちが排除されていくのを横目で見ているだけでいいのかという思いがあります。歴史教科書にも出てきた、「最初は共産主義者、次に自由主義者が排除されていった」という事実をもう忘れたのでしょうか。
つまり、今、「・・・をしろ」「・・と考えろ」「・・に賛成しろ」という圧力があり、それとの関係で、「逆に・・・を言うな」、「・・・をするな」という圧力もあるのです。何がしかの「正しさ」の押し付けが現にあるのです。その「正しさ」を基準にした言葉狩りや行動狩り、言動チェック、監視体制が始まっているのです。それに従う人が増えているときに、それに反抗する人がそのスタイルを表明すること、自由な意見表明の大切さを訴えることはとても大切と思います。若者・生徒・学生一人一人に、大人はどのような気概で生きているのかを見せられるかどうかが試されている場面が続いているのです。多様性という概念を本当に伝えることができるかどうかの境目です。口先だけの民主主義理解のメッキがはがれるときです。
「ほうっておけばいい」と言いますが、ほうっておけば向こうはさらに図に乗って、法律や制度で周到に自分たちを正当化していき、こちらの自由はもっと少なくなる可能性が高いと思います。だからこそ、私は、どんな言葉を使ってもいいじゃないですかと言っていきたいと思います。「ジェンダーフリー」をやめて、「男女平等」にすればいいと言いますが、政治的な戦いは、一つ後退すると次は、ジェンダー(ジェンダー・センシティブ、ジェンダー・バイアス)やリプロや性教育や男女平等や中絶という用語をめぐっての戦いになるのです。すでに指摘されているように、「男女平等」概念だけでは、フェミニズムを通過しない男女性別特性論レベルのままになるからこそ、リブもフェミもさまざまな概念を豊かに展開してきたのです。だからこそ、各人が男女平等もジェンダーフリーも豊かに使っていけばいいのです。
ジェンダーフリー概念は確かに曖昧な概念ですが、ヘンな使い方には適切に否定しつつ、自分のなかの積極的な意味を前に押し出すことが要ると思います。ジェンダーフリーに賛成か反対かの踏み絵を迫られたとき、その内容をめぐって闘いつつ、私の自由を守るという意味で「賛成だ」とはっきり言うことが要るのだとおもいます。そしてその戦いを広げ、逆に相手方一人一人に、どういう意味でそう言っているのかを突きつけて議論をしていくことが要るのです。私なら、シングル単位論を展開します。これならジェンダーフリー概念が単なる意識の問題に解消しているとか、アファーマティブ・アクションにつながりにくいという心配もなくなります。
ヌード・ハダカ規制において、とにかくハダカがあるとダメ、そんな本を撤去しましょう、出版禁止としましょうというようなことは、思想統制のおぞましい社会といえます。同じように、内容に関係なく、「ジェンダーフリー」という言葉が入っている本はダメ、そんな文献は置かない、閲覧のところから撤去するというのは、思想統制社会です。そこをめぐっての闘争が、どうして空中戦でしょうか。ほうっておくとは、言いなりになって本を撤去することでしょうか。
以上の基本スタンスを押さえて、ようやく「戦略」の話ができます。
男女平等への同じ思いをもつフェミニストの中で、以上のような基本を押さえた上でも、今の状況の中で、ジェンダーフリーという概念は守りにくい「陣地」なので退却しようという意見があります。性別秩序自体の廃棄という究極状態をめぐって戦うときではないので、今は現状を変える次の一歩として、「究極像をイメージさせるジェンダーフリー」はやめて、個人の選択の尊重というラインまで下がって闘う時期ではないか、そのプロセスこそ大事だという意見です。
この意見はわかります。本当にうまく退却できて、新たに戦いに有利な陣地を作って、そこに犠牲を出さずに「転進」することができるならいいと思います。でもまず、上記したように「ジェンダーフリー」だけの退却ですむかという問題があります。それができるぐらいの力量があるなら、ジェンダーフリーという前線でも僕なら戦えるという感覚があります。ただ、行政という公的な場所では確かに退却するのも一つの道でしょう。問題は、単なる退却でなく、このことを通じて皆が、ジェンダーフリー論が目指していた高いレベルのフェミニズム、ジェンダー論を語れるかどうかということです。ですから、実はジェンダーフリーという言葉をめぐる問題は、フェミニズム側の質と量の問題だったのです。程度の低い反論などいつの時代にもあります。フェミニズムをめぐってはこれからも難しい議論が続くでしょう。そのひとつひとつに豊かに意見を構築していくことこそ大事なのです。
そしてその議論の中に、たとえば私のような「究極的理想像やラジカルなことを言うような論者」がいてもいいと思っています。「そういうことを言うやつがいるから迷惑だ」というのは危険な発想です。「そういう意見があってもいいじゃないですか、でも私はこう考えますよ」というスタンスを皆が持てればいいなと思います。そうしないと運動は常に分裂します。それに私はシングル単位的な関係は、部分的にならば今すぐ作れると思っています。
なお、フェミニズムの精神を伝えるイキのいい入門書として私は、サンドラ・ヘフェリンの『ドイツ女性 自立生活の楽しみ』(カッパブックス)と、ベル・フックスの『フェミニズムはみんなのもの』(新水社)をあげたいと思います。こうした勢いを持って、バッシングの波を押し返すのは楽しい作業だと思います。

学会誌編集委員会より投稿締め切り時期変更のお知らせ

『女性学』12号編集委員会

『女性学』投稿原稿の締め切りを、今号より従来と比べて大幅に遅らせることにしました。その狙いは、大会発表者の投稿を促すことにあります。よって本年に大会で発表を予定する方々は、できるだけ投稿の可能性も念頭に置きながら原稿を準備されることを期待します。むろん、口頭発表を経ない投稿も歓迎しますので、いずれの場合にも、以下の投稿要領を熟読の上、奮って投稿してください。
2005年度日本女性学会学会誌『女性学』13号投稿原稿募集

  1. 応募資格:日本女性学会の会員に限る。
  2. 応募原稿
    論文、研究ノート、情報、及び書評で、未発表のものに限る。論文は主題について論証が十分なされている点に、研究ノートは主題の提起に独創性があり、今後の展開が期待される点に、評価の基準がおかれる。また情報とは、国内外の女性学をめぐる動向を意味する。
    紙数制限(註・参考文献リストを含む):
    論文(400字×50枚以内)、研究ノート(同20枚以内)、情報、書評(同5〜10枚程度)
  3. 応募原稿はワープロ・パソコンを使い、A4用紙に40×30行で印刷する。使用言語は日本語とする。原稿は縦書き、横書きのどちらでもよい。学術論文であるが、専門分野の異なる人にも理解できる表現をこころがける。図および表は別紙に書き、写真は1枚ずつ別紙に貼る。通し番号をつけ、本文原稿の欄外に挿入箇所を指定する。
  4. 投稿原稿は、コメンテーターによる査読がなされ、最終的な採否の決定は編集委員の責任で行われる。
  5. 掲載が決定した場合
    (1)最終稿、(2)英文による表題、(3)論文の場合は、300words程度の英文要約を、フロッピーディスクで提出する(MS-DOSに変換し、使用措置、ソフトを明記する)。

編集委員に送るもの(各7部)

  • 執筆者情報(A4一枚におさめる)氏名・住所・電話Fax番号(引越・海外移住の場合は新住所と移転日を明記)あれば電子メールアドレス
  • 論文タイトル・関心領域・論文・研究ノート・書評など、原稿をホチキスでとめたもの(本文に氏名を表記しない)。

送 付 先:日本女性学会事務局
締め切り:8月31日(厳守)
発行予定:2006年全国大会の頃

執筆書式の詳細はこれまでの号の末尾に記載しているので、参照のこと

日本女性学会会員の皆さまへ

世界女性会議 コーディネータ
アジア女性学センター ディレクター
キム・ウンシル

世界女性会議2005(WW05)の開催を、日本の皆さまにご紹介できることを大変嬉 しく思います。多くの方がすでにご存知だとは思いますが、第9回学際的国際女性会議が2005年6月19日から24日までソウルで開催されます。この会議の主催者は、韓国女性学会と梨花女子大学です。世界女性会議は3年ごとに開催される国際会議ですが、今回がアジアで初めての開催となります。WW05には、120カ国以上の国々から、女性学/ジェンダー研究の分野で活躍している学者や専門家、女性の活動家や政府関係者が3000人以上参加すると見込まれております。

この会議は「世界の全住民を抱きしめて:東−西/南−北」というテーマを掲げ、 地球上の女性たちが今日直面している問題を共有し、情報を交換し、議論する場にしたいと考えております。WW05は、東−西/南−北の境界における変化や論争、東−西/南−北の間に見られる相違や不均衡をより広く熟考する場を提供することでしょ う。この主題テーマのもと、WW05では次のようなサブテーマを設定しました:

(1)グローバル化、(2)ジェンダー・アイデンティティ、(3)家族と日常生活、(4)セクシュアリティ、(5)ジェンダーと宗教、(6)NGOと行動主義、(7)環境と農業、(8)ジェンダーと科学・技術、(9)ジェンダーと ICT、(10)文化と創造性、(11)ジェンダーとメディア、(12)平和・戦争・福祉、(13)法と人権、(14)政治とガバナンス、(15)女性学・ジェンダー研究、(16)女性の健康とスポーツ、(17)新しい世界のための新しいパラダイム、(18)東と西/南と北、(19)アジア におけるグローバルな議題。

もうすでに締め切り期日はすぎておりますが、もし発表したい論文をお持ちであれば、まだ可能性がありますのでご連絡ください。特に発表や企画はないけれど、WW05に集う人たちとアイディアを共有し一緒にイベントを楽しみたいという方も、ぜひお出かけください。

日本の皆さまがWW05に参加してくださり、世界中から集まる人たちやアジアの仲間たちと知識や経験を共有してくださることを心から願っております。また、気心が知れ親しみやすい雰囲気の中で、連帯や友情を楽しんでいただきたい。WW05では、大学院生や若手女性活動家のための「ヤング」フェミニスト・フォーラムなど、いくつか文化企画も計画しております。さまざまな知識や経験が一同に会するフェスティバルというだけではなく、女性研究者や活動家にとってエンパワーメントの場になることを、私は切に希望しております。WW05に関してもっと情報がほしい時には、どう ぞ下記のホームページをご覧になってください。
www.ww05.org
登録もこのホームページからできます。

それでは、梨花女子大学でお目にかかれることを楽しみにいたしております。

研究会からのお知らせ

2005年6月の全国大会のメイン・シンポジウム「フェミニズムと戦争」にむけた研究会を開きたいと思います。奮ってご参加ください。

日時 2005年4月3日(日曜日) 10時から12時半
場所 かながわ県民センター 709号室
(横浜駅より歩いて3分)
話題提供者 佐藤文香さん、千田有紀さん
内容 大会シンポジウムの議論の基本方向をめぐっての提案

大会発表者へのお知らせ

2005年6月大会での個人研究発表、ワークショップの申し込みは、3月25日(金) までに、ニューズレター担当の楠瀬までメールかファックスでお願いします。
(メール:keiko-ku●mbox.kyoto-inet.or.jp    ファックス:075−702−3188)
(●を@に書き換えてください)
タイトル、発表の概要(200字程度)、発表時に使用する機材をお知らせ下さい (機材は希望にそえない場合があります)。
なお、報告をされる方で、学生・院生・OD 他、常勤職についておられない方には、 学会より旅費の補助をする予定ですので、希望される方はその旨明記して下さい。
大会の詳細は次号ニューズレターでお知らせします。