NewsLetter 第103号 2005年9月発行

日本女性学会NewsLetter

(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)

女性学会ニュース第103号[PDF] 2005年9月発行


学会ニュース
日本女性学会 第103号 2005年9月

2005年度日本女性学会大会報告

シンポジウム:フェミニズムと戦争−「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて

日  時:2005年6月11日
場  所:横浜国立大学
パネリスト:佐藤文香・海妻径子・岡野八代
コーディネイター:千田有紀

6月11日シンポジウム報告

千田 有紀

2005年度日本女性学会シンポジウムは6月11日(土)の午後開催された。

まずコーディネーターの千田が、シンポジウム「フェミニズムと戦争」というテーマについて説明し、女性が「銃後」から「前線」へと「進出」している現実を踏まえて議論したいという趣旨説明をおこなった。

佐藤文香氏の報告は、「女性」と「兵士」という相矛盾する役割の内実と、当事者の女性たちの調停の在り様について、軍隊内のセクシュアル・ハラスメントや職務の割り当てに着目し、聞き取り調査や統計資料を使いながら分析されたものであった。

海妻径子氏は、現在は、前線と銃後、戦争と平時(の経済支配)、生産と再生産という区分がすでにモザイク化しているのではないかということを指摘したうえで、アグレイブの捕虜の虐待問題について、従来のジェンダー秩序を壊すようにみえる現象もまた旧来のジェンダー秩序に基づいているということを、フェミナイゼーションという用語を手がかりとして分析した。

岡野八代氏は、ジュディス・バトラーの議論を使いながら、近代的な暴力の「主体」から「非-暴力」のエイジェンシーへとなることによって、責任/応答可能性を果たさなければならないことを報告した。

議論は多岐にわたったが、とくに暴力装置としての近代国家をどのように評価するかをめぐってなされた。ドメスティック・バイオレンスなどを例にとりながら暴力装置としての警察と軍隊の共通点と相違点について、また対抗的な暴力をフェミニズムはどのように考えるべきか、またネオリベラリズムとグローバライゼーションの進行のなか、戦争が民営化され、責任主体としての国家が曖昧化されるかたちで国家権力は逆説的に強化されているのではないか、などの点が議論された。

とくに国家権力の否定の根拠について探るという繊細さを要求される議論が、ジェンダーの視点から、しかも論者の立場の違いが鮮明にされながら、フランクになされた点は評価されると思われる。

取り残された論点は、二日目のワークショップでも活発に議論され、理解が深められた。

大会シンポジウムに出席して

時宜を得たシンポジウム

和智 綏子

ブッシュ政権の「ターゲット・リッチ環境」へと標的を絶え間なくずらして第三世界を攻撃する政策によって、まったく先の見えないイラク戦争の泥沼化の進行する現在、フェミニズムと戦争を考えるという実に時宜を得たシンポジウムの企画がなされた事をまず称讃したい。コーディネーターもパネリストもこの分野で精力的に論戦をはっておられる方たちばかりなので、C.エンローやJ.バトラーを読んでいる私たちの大学院生の間でもこのシンポジウムは前評判が高く、またその期待を裏切らない重みのあるものであった。

佐藤文香さんは、L.ブッシュ、S.ブレアを引用し、彼女たちは「虐げられた女性」を利用してイラクの石油資源、中央アジアへの軍事基地配備など戦争の目的を覆い隠す「加害者」であると指摘し、「戦闘機を女性が操縦するというアイディアに勇気づけられた」と言ったE.スミール、また女性士官が「男性の技術と男性のゲームを習得したことはなんと健康的なことか」と言ったB.フリーダンの「加害者」性を暴露している。

海妻径子さんは、周縁と中心という既存の考え方を批判し、モザイク化を通して新しい「再生産」論を提起した。

岡野八代さんは、J.バトラーやD.コーネルを通して「近代的主体」批判をし、なぜ、合衆国におけるフェミニストの多くが国家による軍事攻撃を支持しているかの疑問に答えた。

時間的余裕がなく、院生たちの多くは質問できなかった。一つは、米軍兵士のEOS調査で黒人やヒスパニックなどのマイノリティが「軍事化された方が良い」と答えている数値が他の集団よりも高いとしてマークされたが、それらは「軍事化されていない方が良い」「変わらない」の数値と較べれば、もう少し慎重な分析が必要ではないか、というものである。さらに、「加害者」としての女性兵士の資料よりも、セクハラ「被害者」としての資料の方が多いという指摘もあった。時間を取って議論をし、こうした優れた企画を続けられるよう希望する。

シンポジウム「フェミニズムと戦争」感想

内藤 和美

3者による問題提起のうち、佐藤文香さんと海妻径子さんの報告は、女性兵士たちの戦略的行動による軍隊の組織文化の維持再生産、戦争と平時のモザイク化による加担の不可視化、“真の男”と“それ以外の男”の線の引き直しによる“それ以外の男”の翼賛の調達といった「新たな軍事加担のかたちの現出」の指摘、および「市民領域で劣位におかれている者が軍隊に回収されていく構造の存在」の指摘を共有していた。

また、海妻径子さんと岡野八代さんの報告は、「安全保障を基点にした国家/国民関係像とそれに呼応した態勢を、人の傷つきやすさ・弱さとそれに応答するケアないし生命・生活・人生の再生産を基点にしたそれへ転換する・ずらす必要」の指摘においてつながっていた。

私には、3報告はいずれも目を見開かされる貴重なものであった。が、フェミニズム、あるいは裏返して家父長制と戦争の関係を問い直すというシンポジウムの趣旨をあくまで追求するには、3報告のこれらつなぎ目で踏ん張って論じ切りたかった。また、暴力という強制力と権力とを区別して論じる必要もあったように思う。

6月12日ワークショップに参加して

 

ワークショップ(1)
教育実習におけるセクシュアル・ハラスメントの現状と課題

−全国調査の実態から−
(内海崎貴子 岡明秀忠 蔵原三雪 清水康幸 田中裕)

内海崎貴子

本ワークショップでは、教育実習におけるセクシュアル・ハラスメント(以下セクハラと略記)の全国調査の結果(一部)、およびそれらの結果から見える教育現場(実習校と大学双方)の課題について報告がなされ,会場との意見・情報交換が行われた。参加者は6名、報告者を含めても10名の少人数でのワークショップであった。

はじめに、教育実習におけるセクハラの特徴と全国調査の意義と課題、調査結果の概要、大学における事前指導との関わりの説明と、調査研究の過程で把握した個別の事例紹介が行われた。個別事例紹介では、セクハラの内容とともに大学の教職課程,実習校,当該市町村教育委員会の対応について報告があった。

参加者からは「大学の事前指導が、実習生に注意を促すだけに終わっているのではないか」「セクハラが起った場合、加害者に抗議できる実習生を育てる必要があるのではないか」などの意見が寄せられた。

教育実習中の学生の安全管理義務は大学にあるにもかかわらず、これまで大学は、教育実習を実習校に「お願いする」という姿勢から、また、教育実習が教員免許取得のための必修科目であることから、セクハラを問題化/顕在化しないでいた。しかしながら、調査結果によれば実習生の約1割が被害に遭うことを考えると、今後、大学はもとより実習校、教育委員会をも含めた予防・対策が必要であることが確認された。

ワークショップ(2)
ドメスティック・バイオレンス問題の今

—求められている支援、私たちができること
(池橋みどり、原田恵理子)

池橋みどり

このワークショップ(以下、WS)では、前半は池橋が「ドメスティック・バイオレンスの家庭で育つ子どもへの支援に関する調査」結果を、原田が佐賀県 DV対策総合センターの取り組みを報告し、後半はフロアからの質問を受ける形で、この問題に対し、私たちは何をすることができるのか、参加者とともに考える場となった。

調査結果からは、必要性を感じながらも、少ない資金状況の中で子どものケアにまで手が回らないDV支援団体の存在や、子どもの学業成績に現れるDV目撃被害の影響などが示唆され、更なる調査研究の必要性が確認された。佐賀県の取り組み状況は、他の都道府県に先立つ先進的な取り組みとして、参考になる具体的な方法や重要な情報を提供することができた。

フロアから聞かれた声としては、地域に連携できる団体や機関がないということで、ネットワークをどのように作っていけばよいのか、改正DV防止法に義務付けられた自立支援の計画立案において加害者対策の位置づけをどうすべきか、男性相談を始めてみての問題や相談員の過重労働など、それぞれの現場で抱えている困難が出された。WSに参加した多くの方々からの発言があり、すべての問題がすぐ解決に向かうわけではないものの、多くの示唆に富む方向性が見出されたように思われる。普段は各地のそれぞれの持ち場で、大概の場合は孤軍奮闘している人々が、同じ問題意識を共有できる集まりを持つことができて、エンパワメントされる時間となったように思う。

ワークショップ(3)
シンポジウム「フェミニズムと戦争」をめぐって

金子 活実

ワークショップ(3)では、前日のシンポジウム「フェミニズムと戦争—「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて」を受けて、パネリストを務めた岡野八代さん、海妻径子さん、佐藤文香さん、司会の千田有紀さんを囲み、市民の安全を守ることや国家の権力の在り方をフェミニズムはどう捉えるかについて活発な議論が行われた。

メインテーマとなったのは、国家はどのような形で市民の安全を守ることができるのかということだった。例えば、DVが女性に対する暴力で犯罪だと認められたことによって、警察の介入が法的に保障されたことは大きな進歩であったが、根本的な解決のために必要とされることが何であるかについては、引き続き取り組むべき課題であることが確認された。9.11後のNY市民の反応からも、国家の保安力が被害者に対してもつ説得力は大きいことが窺える。ワークショップでは、個人のもつvulnerabilityがどのように守られ、また国家権力によって利用されているのかについて、様々な立場からの議論がされた。

また、日常生活の中でvulnerabilityが刺激されること、すなわち「恐怖」の生産に敏感であることの重要性も指摘され、自己責任でリスクを引き受けさせる社会に対して、問題が提起された。自らの責任を免れようと政府が構築するリスク管理型社会にフェミニズムはどう取り組むのか、男たちとどう連帯して、政府や保守勢力の強大な力に対抗できるか、多くの課題が提出された。

小特集:ジェンダー・バッシングの現状をめぐって

最近、保守的勢力に扇動されるかたちでジェンダーフリー・バッシングが広まっているだけでなく、さらにはジェンダー概念そのものや男女共同参画基本法に対する攻撃まで見られるようになりました。編集部では、会員の方々といま何が起きているのかについての情報を共有し、今後の対策について考えていく手がかりとするために、数号にわたってこの問題に関する小特集を組むことにしました。今号では、会員1名、非会員で性教育の現場に詳しい2名の方々に、それぞれ報告を寄せていただきました。

この問題に関して情報やご意見をお持ちの方は、どうぞ楠瀬または荻野宛にご投稿ください。

見えない恐怖を乗り越える

國信 潤子

反動的ムードが今、着々とひろがっていると感じる。陰に陽にそれを感じる。あるいは露骨な誤解による批判・嫌がらせも、保守的政治家・研究者のメディアの間に蔓延し始めている。インターネットを通じてその量・質ともに進化している。すでに国際人権規約や基本法など、法制の基本で合意されたことにまで文句をつけ、改訂せよという声まででている。しかし1930年代との決定的違いは、グローバルなネットワークを使って反動派へ圧力をかける道がさらに強力になってきたことと、大学でジェンダー・女性学などに少しでも接した人が復古的方向では生き残れない社会になっていることを理解していることだ。しかし保守・反動という集団はそんなことには耳を貸さない。国や社会の保守化、反動化はこうして始まるのかと心配になる。立ちふさがる勇気が今必要だと思う。

私が日本各地に講演に行き、見聞したことなど、その現象のいくつかを紹介したい。

ある講演会で参加者が、会の後に相談にきた例である。ある町で回覧板が回され、捺印するようにと言われた。内容をみると「男らしさ、女らしさは重要であり、男女を混ぜた学校教育に反対する。名簿も男女区分するべき。体育なども男女はすべて分けるべき」といった内容の署名運動であった。そこで、その人は小さな町ゆえ自分がそこで捺印しないことは波風立つと思い、ウソも方便で「主人に聞いてみますので、今は捺印できない」として次に回したという。この回覧板の背後には町の決定機関にいる人物の影響力行使がある。地域の回覧板などで署名活動するなどということは不当であり、地方自治体の担当局に伝えるべきだ。しかし、地域というのは匿名性があるようで、ない。「あの人は・・・」とうわさで流され、それも子ども、高齢者など家族も含めて嫌がらせにあうことを危惧する親は多い。

ある地域では条例を保守的内容に改定した。その地域の例では周囲はまったく無関心、1名の声の大きな保守爺さん議員が復古調に条例を変えることを主張、その人に抗議するのも「面倒、時間がない、アホらしい」ということで他の議員も放置したという。

さらにHIV/AIDS教育の副読本などから「性行為が主な感染経路」ということばを削除せよとの「指導」があり、そのことばが消えたという。いったいHIV/AIDS蔓延を見過ごす性教育とは何なのか?

保守派はリベラル派の用語を使って換骨奪胎してゆく方法論が、アメリカなどでも蔓延しているという。この手法は中絶、テロ防止、売買春防止などということばへの対応に見え隠れする。地方自治体の多くの職員がジェンダー、女性学、男女混合名簿、男女共同参画条例などのことばを使うと波風立つので自粛している。

女性差別撤廃条約の批准がまちがっていたという声も保守政党の中にはあるという。この条約は一度批准したらもう、新たな保留も批准解消もできないものなのだから、不安になる必要もない。根拠の明らかでない恐怖を乗り越えるには、確実な情報チャンネルをもっていることだ。その意味で、今開設されている主に日本女性学会の有志による、入会手続きを必要とするMLなどは有用である。反動的力へ対抗する力を見えるものにして、「決してほっとかない」「ほっとけない」と声をあげてゆく市民力が必須だと思う。

いま、性教育現場で何が起きているか

河野美代子(産婦人科医)

ジェンダーフリー・バッシングと対となって、性教育バッシングが吹き荒れています。ご存じでしょうが、七生養護学校での教師の大量処分。これは、障害を持っている子どもたちに体を教えるために、頭から足の先までを順々にさわりながら歌う「からだうた」や、性器のついたお人形がわいせつとされたものです。目や耳や腕などと同じようにからだの一部分である性器の、「ペニス」「ワギナ」という名称はわいせつ。文科省や東京都の指示によると、これからは「いんけい」「ちつ」と「医学的に正しい用語」で呼ばなければならないそうです。性器のついたお人形も、大人と一緒にお風呂に入る子どもたちにとって、大人になると性器に毛が生えると言う事実は、嫌らしいことではありません。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん(下着にナプキンをつけています)、双子の赤ちゃんなどほほえましい人形たちが、下着をおろされ、性器のみを露出した写真をとられ、わいせつな「セックス人形」とされました。まるでレイプされた後のようなこんな写真を撮る人こそ、体や性をいやらしいことと捉える感性の持ち主なのでしょう。

この東京都の動きはあっという間に全国にひろがりました。議会やマスコミを使い、それを教育委員会が使って現場に指示を出しています。過激な性教育がセックスをあおっていると言う論法です。私たちは、体や避妊や性感染症などについて知らせることによって、若者の行動も慎重になると考えています。セックスというのは、知らなくても、間違った知識を持っていても行動はとれるものなのです。

うそやでっち上げを言い続けると、社会では、まるでそれが本当のように受け止められてしまいます。今では、「小学校の低学年にコンドームの装着実習を行わせた」なんて、うそが『新国民の油断』という本に書かれています。では、どこの学校で? 小学校低学年のペニスでは、コンドームはつけられません。

私も、ひどいでっち上げで誹謗中傷を書かれました。だから、私は名誉毀損で提訴しました。誰かがしなければならないことです。内容はとてもこのスペースでは書ききれませんが、また機会があれば情報を発信しますね。なお、大月書店の『ジェンダーフリー・性教育バッシング』という本には、すべての流れが書かれてあります。

性教育バッシング─それは高橋史朗からはじまった

高橋 裕子(性教協)

1992年は、小学校理科と保健に性教育が登場する「性教育元年」と言われた年である。と同時に一部メデイアと『週間文春』の記事を利用した、性教育攻撃が始まった年でもある。それまでの性教育・性科学分野では、一度もその名を聞いたことがなかった明星大教授・高橋史朗(現・埼玉県教委)という人物が、全く唐突に「性交教育」「コンドーム教育」などとラベリングし、性教協(“人間と性”教育研究協議会)の会員を名指しで攻撃を始めたのだ。

統一協会の機関誌や広報誌に彼の言説がのっていることから、宗教がらみであることがわかった。しかし、なぜ、統一協会と高橋史朗が性教育を執拗に攻撃するのかがわからなかった。宗教学者や統一協会に詳しいジャーナリストなどに聞くことにより判明したことは、性教育の基本理念である「自分の性と身体は自分のもの」ということが、統一協会の教義である性とからだは教祖・文鮮明のものであるということに反するということであった。

しかし、教義とちがうというだけでなぜこれほどまでに執拗だったのか?今現在のこの時流のバッシングで、ことごとくもつれた糸がほどけるように判明した。“身体と性は自分のもの”という人間のもっともやわらかな部分を受け持つ性教育へのバッシングが始まったあと(正確には東京都の七生養護学校への不当介入)、都立学校での日の丸・君が代の強制、ジェンダーフリー攻撃、「つくる会」教科書の検定合格、教育基本法改悪・憲法改悪、これら全てに高橋史朗が主要な役割を担っていたのだ。

性教育が国の行政がらみでバッシングされる、という意味は、すべての国民の身体と性が国によって統制されようとすることを示唆する。これまで、「たかが性教育をしている一部の教師たちの問題」としてきたことはなかっただろうか、そして、こつこつと都や国と闘いつづけてきた私たち性教育をするがわにおいては、国がらみの大きなバッシングの前にもっと早く、例えば92年の攻撃の時に、連帯につなげる活動と、重要な問題提起として広く呼び掛けることをしていれば、と悔やまれる。2003年12月、七生養護学校への東京都の不当介入に関し、東京弁護士会が都教委区委員会に対して出した「警告」は、裁判へと繋がっていこうとしている。「ここから裁判」と名のついたこの闘いを、バッシングされている全ての分野・団体の連帯の力を元に「自分のこととして」闘うことを提起したい。

「女性学/ジェンダー学」および「ジェンダー」概念バッシングに関する日本女性学会の声明

最近、一部のメディアや政治活動において、ジェンダー概念や男女共同参画の理念を曲解した「ジェンダーフリー」批判が強まっている。この動きが、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「女性学」、「性教育」等の教育実践や「男女共同参画社会」、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」等の行政施策への揺り戻しにまで拡大している事態に鑑み、日本女性学会はここに声明を行うものである。

人間の平等の重要な構成部分をなす男女平等の理念は、長い歴史の中で多くの先人たちの努力によって追求されてきた崇高なものである。20世紀後半に展開した「女性学」、「男性学」、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「セクシュアリティ研究」、「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」、「クィア研究」等の学問は、いずれもこの理念を具現化したものとしてある。そして、これらの学問の中で中心的な役割を果たした概念が「ジェンダー」であり、この概念は現在、国際的な学術用語として確立し、学問領域を超えて分析に使用されている必要不可欠な概念の一つとなっている。

すなわち、今日では、階級や民族といった従来の分析概念とならんで「ジェンダー」に敏感な視点なしには、人間存在の多様性に配慮した豊かな分析・認識はありえない。これが国際的・領域横断的な学界の常識であることは、これまで「ジェンダー」に関連する文献が、世界中のどれだけ多くの分野にまたがって生み出されてきたかを見れば一目瞭然であろう。この蓄積を消滅させることは誰にもできない。

国連が1975年を「国際女性年」とし、続く10年を「国連・女性の10年」と定めて以降、国際的にも女性の地位向上、男女平等の施策が積み重ねられてきた。例えば、わが国も批准している女性差別撤廃条約やILO156号家族的責任条約は男女平等を推進する重要な思想に立脚したものであり、これらにおいては、男女の役割・生き方を従来のように本質主義的・固定的にとらえることが批判され、ジェンダー不平等を解消する上で、男女個々人がそれぞれ対等な権利で自立、エンパワメント、自己決定していくことの重要性がうたわれている。こうしたジェンダー平等の視点はもはや国際標準となっており、わが国の男女雇用機会均等法や育児・介護休業法、男女共同参画社会基本法、DV防止法等もその流れの中で策定されたものである。そして、男女共同参画社会基本法は、このような流れの中で、「ジェンダー」概念を包含しつつ打ち立てられた、日本社会の民主化と進展の重要な一里塚であった。

しかしながら、今、この国際的努力の成果が、拙速な議論のもとに反故にされようとしている。「ジェンダー」という用語の使用制限の要求は学問的に見れば非常識と言わざるを得ず、もしこのような要求をもとに、関連教育や男女平等政策への介入、男女共同参画社会基本法の骨抜き(内容の後退)、ジェンダー関係の書籍の排斥などが行われるのであれば、それは、「学問の自由」に対する侵害であり、国際的・国内的に積み重ねられてきた人々の英知に対する裏切りである。「男女共同参画」の英訳が”GenderEquality”であるように、両性の平等について発言・思考するにあたって「ジェンダー」概念を用いないことなどおよそ不可能である。すでに国際標準となった「ジェンダー」概念を使用しないなどと決めれば、日本は世界に向けて有意味な学問的発信ができなくなるばかりか、侮蔑と嘲笑の対象となるであろう。

学問は真理の探究を通じて、広く人類の福祉の向上のために行われるものであり、「ジェンダー」概念は、そのための不可欠なキー概念である。今や学会においてジェンダー部会の見られないところは少数であり、どの学問分野でも従来の学問体系に対するジェンダー視点での批判的見直し(再構築)が進められている。多くの大学では、ジェンダー学あるいは女性学関連の教育プログラムが設置され、ジェンダーに関する共同研究が進められている。

行政や女性センター、男女共同参画センターなどにおいても、男女平等・男女共同参画に対する啓発や教育プログラムが実施されている。豊かで公平で活力ある社会を築くこのような営みを破壊することは決して許されない。

日本女性学会は、他学会・研究機関、市民とともに、今後とも「学問の自由の擁護」と「人間解放に資する研究」への努力を惜しまぬ決意をもって、昨今の「ジェンダー」批判、「男女共同参画社会」揺り戻しの動向に抗議するものである。関連諸機関の適切な対応を期待する。

日本女性学会 第13期幹事会
2005年7月16日

追記:この声明文を関係各省庁およびマスコミ各社に送付しました。また、日本女性学会ホームページにも掲載しています。

■研究会報告

「ジェンダー・アイデンティティの起源
−性科学の最近の動向から」

海老原暁子

4月30日、小田急線鶴川駅前の和光大学学外施設「ぱいでいあ」に於いて慶応大学大学院社会学研究科博士課程の佐々木掌子氏、トランスネットジャパンの野宮亜紀氏を迎え性科学の最近の動向に関する研究会が開かれた。呼びかけ人は井上輝子氏、学部生数名を含め参加者は35名ほどだった。

ジェンダー・アイデンティティの起源について佐々木氏が研究動向を、野宮氏が論点の整理を担当された。佐々木氏は、一般に人文系の研究者には縁遠い臨床分野でのジェンダー・アイデンティティ研究の通時的な動向と、各研究者の特徴について、特にマネーとダイアモンドとの比較に焦点をあてて概説された。性科学は医学と社会学の交差点に位置する領域である。行動遺伝学を用いた分析方法について等、聞き手の側のレディネスがやや不十分である感は否めなかったが、日々評価の動く性科学の動向と論点についての報告は示唆に富むものであった。野宮氏は活動家の立場から問題の核心をあぶり出し、バッシング派がマネー理論の破綻を強調することの無意味さについて語られた。natureornurture? ばかりがことさら取り沙汰されることへの問題提起を含む氏の報告は、当事者視点をまったく欠いた一般の論調への警鐘でもあろう。

研究会後の茶話会は自然に二次会へと流れ、鶴川と新百合ヶ丘の駅前が常ならぬ賑わいを見せた一夜であった。

■催しのご案内

ICU(国際基督教大学)ジェンダー研究センターでは、9月16日から18日の3日間、CGS第二回国際ワークショップ『アジアのジェンダー表象(アジアにおける人間の安全保障とジェンダー)』を開催します。韓国、中国、タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、インド、バングラデシュ、そして日本から、ジェンダーと表象に興味を持つ研究者やアーティストが集まります。アカデミックなセッションの他に、日本ではなかなか観られないアジアの映画上映と、監督によるトーク、パネルディスカッション、演劇を通してジェンダーを考えるフォーラム・シアターなどの企画もあります。ジェンダーと表象に興味をお持ちの方のご参加を、お待ちしています。日英同時通訳付。

プログラム

9月16日(金)
9:00-9:20 オープニング
9:20-11:00 セッション1 アジア各国のジェンダー表象概論1
(日本 中国 韓国)
11:15-12:55 セッション2 アジア各国のジェンダー表象概論2
(インド バングラデシュ マレーシア インドネシア)
13:00-14:50 シネマ・ランチョン
13:00-13:20 ランチ
13:20-14:20 『30年のシスターフッド』
14:20-14:50 山上千恵子監督、瀬山紀子監督とディスカッション
15:00-17:00 フォーラム・シアター・セッション
*学生達が日常のジェンダーを演劇化し参加者達とフォーラムを持ちます。
協力:フォーラム・シアター 竹森茂子、花崎摂
17:30-19:00 セッション3 アジア各国のジェンダー表象概論3
(タイ フィリピン ベトナム)
17日(土)
9:20-11:00 セッション4 言葉、表現、パワー
11:20-13:00 セッション5 アートとは何か? 身体、美、ジェンダー
14:00-15:30 セッション6 性とセクシャリティーの表現について
16:00-17:30 セッション7 新たな地平線へ:ジェンダー概念を再定義する
18:00-20:00 レセプション 学生による和太鼓演奏、創作ダンス
18日(日)
アジアン・フィルム・ショーケース: 新しい物語の地平をめざして
9:00-13:00 映画上映と監督のトーク
9:00-10:20 Venus,TokyoStupidGirls,Khoa
10:20-11:40 TheWeddingGift
11:40-13:00 女書
13:50-15:20 質疑応答、ディスカッション 司会 斉藤綾子
15:30-17:00 まとめのセッション

詳しい情報と申し込み方法については、ホームページをご覧ください。
http://subsite.icu.ac.jp/cgs/index-j.html
お問い合わせはICUジェンダー研究センターまで。
電話0422−33−3448 Eメイル:cgs-iws●icu.ac.jp (●を@に書き換えてください)

■著書紹介

 

水田宗子著
女性作家評伝シリーズ5
『尾崎翠−『第七官界彷徨』の世界』
新典社
1470円
 尾崎翠の内面への思考の旅が、彼女にとっての「東京」という都市や、上落合という場所の意味を浮かび上がらせ、孤独な夢想者の貌を甦らせる。
西村賀子著
『ギリシア神話』
中央公論社
861円
 古代ギリシアの詩や悲劇がどんな話をどのように語っているかを踏まえながら、西欧文明にきわめて深い影響を与えた伝承の数々を紹介する。
小林美恵子著
『昭和十年代の佐多稲子』
双文社出版
6825円
 戦後厳しく批判された“昭和十年代の佐多稲子の文業”を、“女の視点”から読み直す。
エマ・ゴールドマン著/小田光雄・小田透訳
『エマ・ゴールドマン自伝 (上)(下)』
ぱる出版
上下共に2940円
 アナキズム運動、女性解放運動の先駆者の一人として、アメリカ国内だけでなく世界に影響を与えたエマ・ゴールドマンの自伝。
ドゥルシラ・コーネル著/岡野八代・牟田和恵訳
『女たちの絆』
みすず書房
3675円
 ジェンダー概念の限界を超え、理想自我としてのフェミニズムを掲げる。現代思想書でありながら、母から娘へ、娘から母へ贈る一册。
姫岡とし子、池内靖子、中川成美、岡野八代編
『労働のジェンダー化——ゆらぐ労働とアイデンティティ』
平凡社
3150円。
 制度化された「労働」の批判。家事労働からセックスワークまで労働のなかの<女/男>をジェンダーの視点から分析する。制度・言説・表象の政治学の書。
木村涼子・小玉亮子(共著)
『教育/家族をジェンダーで語れば』
発行 白澤社
発売 現代書館
1680円
 学校や家庭など子どもをめぐる社会をジェンダーの視点で読みとく。より平等な社会へ向かうためにジェンダーの視点を持つことの意義を再確認する。

研究会のお知らせ

幹事会の研究会担当幹事を中心に、バッシングに対抗するためのQ&A改訂版作成などを目指す研究会を開催します。日程は以下のとおりです。会員のみなさま、どうぞご参加ください。

日 時 9月25日(日) 10:00−13:00
場 所 国立社会保障・人口問題研究所
(千代田区内幸町、日比谷国際ビル6階)
報告者 橋本ヒロ子さん、細谷実さん

なお、当日は日曜日のため、会場への入場に手続きが必要となります。参加にあたっては、以下の点にご注意ください。
○参加予定者は、前もって釜野幹事までメールで連絡を入れてください(s-kamano●ipss.go.jp)(●を@に書き換えてください)。
○当日は、9:50までに日比谷国際ビルの通用門(プレスセンタービル、ジュンク堂のうら付近)に集合してください。
(この時間に集合できない方は、メールでその旨をお知らせください。)