NewsLetter 第106号 2006年5月発行

日本女性学会NewsLetter

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女性学会ニュース第106号[PDF] 2006年5月発行


 

 学会ニュース
日本女性学会 第106号 2006年5月

2006年度日本女性学会大会プログラム

協 賛 大阪府立女性総合センター
日 時 2006年6月10日(土)・11日(日)
場 所 大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)
〒540-0008 大阪市中央区大手町1丁目3−49 Tel.06-6910-8500
京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」下車、徒歩5分
参 加 費 会員:無料 非会員:1,000円

 

第1日目 6月10日(土曜日)

場所 7階ホール
開 場/受 付 12時30分
シンポジウム 13時〜16時30分
テーマ ジェンダーをめぐる暴力とトラウマ
−暴力への対抗としての、フェミニズムの希望のあり方
パネリスト 宮地尚子、大越愛子、木村涼子
 コーディネーター 伊田広行
総会 17時〜18時
(この間、非会員の方にはビデオ上映を行う予定です。)
懇親会 18時〜20時 1階レストラン「ユイマール」 会費4,000円

 

第2日目 6月12日(日曜日)

個人発表
ワークショップ 午前の部 10時〜12時30分
午後の部 13時50分〜15時30分
*宿泊に関しては、とくに斡旋はしておりませんので、各自で手配してください。
*書籍販売に関してのお知らせ
大会当日は、「ウィメンズブックストアゆう」が会場で書籍販売をします。書籍の委託販売を希望される方は、「ウィメンズブックストアゆう」にご相談ください。
書籍注文の関係で、早めに集計をとる必要がありますので、連絡は、5月20日までに「ウィメンズブックストアゆう」までお願いいたします。
連絡先(有)ウィメンズブックストアゆう
電話 06-6910-8627 FAX 06-6910-6115
mail info●womens-books.jp(●を@に書き換えてください)

シンポジウム
ジェンダーをめぐる暴力とトラウマ

 ─暴力への対抗としての、フェミニズムの希望のあり方

コーディネーター 伊田 広行

クローバリズムと新自由主義の下で格差拡大/弱肉強食化がすすみ、憲法「改正」や戦争への抵抗感が低下し、フェミニズム・バッシングのような「人権運動」攻撃が起こっている。それは広義の暴力状況の蔓延である。あるいは暴力への鈍感さの広がりである。
それに対し本シンポジウムでは3人の論者が、暴力やトラウマ概念との関係で、「私にとってのフェミニズムとはどのようなものか」「私にとってフェミニズム/ジェンダーがいかに大事か」「今のバッシング状況においてフェミニズムやジェンダーの視点がなぜ重要なのか」を語る。
暴力という概念はメディアの中で日常語として安易に使われてもいる。だが、女性あるいはジェンダーと暴力の問題の認識にフェミニズムが拓いてきた地平は、まだまだ広く共有されていない。DV、レイプ、セクハラ、日本軍「慰安婦」問題などの取り組みを通して、暴力に対するフェミニズムのまなざしは、より深くよりセンシティブな側面へと向け変えられ、暴力の内面的な理解において「トラウマ」の概念を不可欠とする、暴力理解をもたらしてきた。暴力とは何で、それに対抗する非暴力とは何のか。それとフェミニズム/ジェンダーの関係は? 今回は、この点を深く共有していき、さらにそこから「フェミニズム/男女共同参画の現在的課題」を参加者とともに明確にしていきたいと思う。

性暴力やDV被害者との臨床から学んだこと

宮地 尚子

性暴力やDV被害者のトラウマに精神科医として関わってきた経験は、私にとって「何も分かっていなかった」と打ちのめされることの連続でもあった。そのプロセスを振り返りつつ、暴力を多層的に捉え、恐怖と痛み、疑似恐怖とスリル、法や言語(による正当化)と暴力との関係、親密圏と個的領域、身体・触覚・幻想・解離、愛着と性愛、有徴性と無徴性、男性性と傷、などについて考えたい。トラウマ概念の有用性、フェミニズム理論の有効性と今後の課題についても言及したい。

フェミニズムの観点から教育と「暴力」を考える

木村 涼子

学校が「善意に満ちた、真理を教える場」であり、子どもはそこで「大切に教え育てられる存在」である。こうした考え方があまりにもナイーブにすぎることは明らかだ。学校教育は公権力によって制度化された「暴力」的な装置であり、教師と生徒との間にはそれを背景とした権力関係が存在する。また他方で学校は、ジェンダーや階層などの抑圧.被抑圧の関係性にもさまざまに規定されている。フェミニズムは、そうした教育の場における「暴力」をあぶりだし、状況の変革を志向してきた。本発表では、フェミニズムの立場から教育運動、教育実践の可能性を考え、バックラッシュが強まる情勢における課題を検討したい。

構造化された暴力に抗して

大越 愛子

究極の戦時性暴力としての日本軍性奴隷制に抗する私の闘いは、時期を同じくしたキャンパス・セクシュアル・ハラスメントの被害女性へのサポーター体験抜きにはありえない。私はSHのサバイバーである甲野乙子との関係で、自分のポジショナリティを激しく揺すぶられた。日本軍性奴隷制の被害女性との出会いにおいても、彼女たちの激しい怒りと拒絶に直面し、私は性暴力容認体制のみならず植民地暴力、軍事暴力体制の中に組み込まれ、加害者として位置づけられている自身に向かわざるをえなかった。その加害責任には、彼女たちの存在を抹殺していた「歴史」を受け入れ、彼女たちを不可視なままに放置していたこと、つまり内面化されていた「帝国のフェミニズム」も含まれる。
しかしながら、サポーターとサバイバー、被害者と加害者というカテゴリーの分断は本質的なものではなく、社会と文化の暴力によって構成されたものである。分断をえて連帯を可能にするためには、分断を固定化する構造化された暴力に抗する闘いに向かうことが必要である。その場合ポジションは常に被害者、サバイバーの側におかれねばならない。

今なおトラウマに苦しむサバイバーたちが投げかけてくる様々な呼びかけに応答しようとして、90年代の運動は展開した。日本軍性奴隷制の被害女性たちは、ユン・ジョンオクの指摘したように性差別、民族差別、階級差別などの複合差別によって人間としての尊厳を剥奪され、沈黙の日々を強いられてきた。死を間近にした彼女たちは、もはや同情や共感ではなく、責任者処罰を直接的に要求した。この要求は、責任という問題に関して曖昧であったフェミニズムに対する、厳しい問いかけであった。
この段階で、フェミニズムは性差別を問題化する思想から、ジェンダー二元論を構成する性暴力や植民地主義・軍事主義に抗し、その解体をめざす思想へと深化したと言える。それを具現したのが、2000年の日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」である。そのことは、ハーグ判決に明確に読み取れる。
このフェミニズムの変化に敏感に反応しているのが、右翼軍事主義者たちである。「法廷」以降激化したジェンダーフリー・バッシングは、フェミニズムが単なる男女平等ではなく、ジェンダー二元論と結びついたナショナリズム、ミリタリズムに抗し、その解体をめざす思想であることを見抜いたことに基づく。現在に至るまでの構造化された暴力に抗する、アジアのフェミニズム連帯の闘いの軌跡、「女性国際戦犯法廷」、「ハーグ判決」、「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」の持つ意義を、 ここで改めて考えてみたい。

個人発表・ワークショップ

6月11日(日)10:00〜12:30
(ワークショップのみ、10:00〜12:00)

第1分科会(セミナー室2)  司会:武田万里子

(1)地域(地方自治体)における
男女共同参画行政と市民の活動—A県B市の事例

水野 桂子

1999年に男女共同参画社会基本法が公布・施行されて以来、各地方自治体において、男女共同参画に関する条例が策定されるようになった。その名称や条例の内容には、各地域の個性が現われている。本報告では、A県B市の事例を取り上げる。B市では、条例の策定準備に地域の社会活動に関わる市民も熱心に取り組んだ。その市民のアイデアが条例にも反映され、市民と行政の協同により、男女共同参画を進める新たな試みがなされようとしている。市民の主体とエンパワーメントをキーワードにして、この事例を考察する。

(2)男女共同参画条例制定過程にみるバックラッシュの事例—A市の事例を中心に

小柴 久子

「男女共同参画社会基本法」は、男女が対等に生きていくことのできる社会をめざして1999年に制定された。その後、いくつかの地方自治体で男女共同参画条例が制定されてきたが、A市の条例は、性差に基づく性役割を肯定する内容を盛り込んだものとなった。A市の条例制定過程を詳細に跡づけながら、基本法の理念に逆行する可能性もはらんだ行政主導の男女共同参画政策のあり方を見直し、住民主体の男女共同参画社会実現の可能性を展望したい。

(3)犯罪とジェンダー ─「自己責任」と「悪魔化」の間で─

狩谷あゆみ

男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などの法律や制度が整備されることで、女性に対する差別や、男女間の不均衡は解決されたかのように扱われている。また、女性の進学率上昇や、かつて男性だけだった領域に女性が「進出」していくことが社会的に賞賛されているかのように見える。しかし、その一方で性犯罪や殺人事件など、様々な犯罪の「被害者」となるのは女性である。本発表では、犯罪報道や犯罪を扱った小説や映画などを事例として、ジェンダーの視点から犯罪という現象を解明することを試みる。

第2分科会(中会議室1) 司会:田中かず子

(1)近代の「文学」概念の再検討その2
─昭和戦前期文学および批評における女性表象

根岸 泰子

昭和11年に小林秀雄が吉屋信子の「女の友情」を、罵倒に近い物言いで全否定したことはよく知られている。本発表では、小林の文芸時評における女性作家評価を中心に、川端康成の文芸時評や太宰治の女性一人称小説などを補助線としながら、「自明」かつ「自然」な基準軸として昭和戦前期に(あるいは今でも?)君臨する、男性ジェンダー化した昭和期文学規範の偏差を析出したい。また、小林の時評の対象となった窪川いね子(佐多稲子)、林芙美子、岡本かの子らにおける女性表象の特性と同時期の文学規範との拮抗についても言及する予定である。

(2)母性研究への視点

村田 泰子

母性というテーマは、フェミニズムにとって非常に厄介で、扱いにくいテーマの一つでありつづける。本報告では、80年代末以降、日本のフェミニズムが母性について論じる際に依拠してきた二つの主要な枠組み(「母性主義イデオロギーの批判」と「現実の母性情況についての研究」)を取り上げ、批判的検討をこころみる。その上で、それらに代わる新しい視座の必要性を指摘する。

(3)変容していく女子プロレスラーの身体とジェンダー

合場 敬子

身体を変容させ、闘う技能を獲得した女性として、日本の女子プロレスラーを考察する。女子レスラーが、入団からデビューしてキャリアを積んでいく過程で経験する身体の変容において、自らの自意識を強めているか、また日本における規範的な女性身体を超越しているか否かを検討する。分析に使用するデータは、女子プロレスラー25人(現役22人、引退者3人)にインタビューした内容である。

第3分科会(中会議室2)  司会:佐藤 文香

(1)人類学/社会学される日本女性 ─メタ・エスノグラフィーの試み

北村 文

本発表では、アメリカを中心とする英語圏における日本女性研究、なかでも人類学・社会学の著作に焦点をあて、その内容を紹介するとともに、理論的・方法論的批判を試みる。研究者たちは、従来のステレオタイプ的記述を避け、エスノグラフィーの手法によって「日本女性の現実」を描きだそうとするが、それもまた政治的構築であることに変わりはない。学術的表象に潜むオリエンタリズム、そして研究者のポジショナリティの問題を追究する。

(2)語り始めた女たち ─韓国京畿道における米兵相手の韓国人売春女性をめぐって

徐 玉子

本発表の目的は、韓国の米軍基地村における米兵相手の売春女性に対する「犠牲者」という主流社会の表象と、彼女たちに貼られた強いスティグマを問い直すことである。約8ヶ月間の現地調査を通して聞き取りが可能であった、米兵相手の韓国人(元)売春女性たちの語りから浮き彫りになるのは、彼女たちをただ単に「犠牲者」と一枚岩的に呼べない、多様性を持ちながらしたたかに生きる一人一人の女性の姿である。

(3)性的自由と買売春

下地 真樹

第一に、「売春=自由意志」論、「売春=強制」論の双方について批判的に検討し、その両方とも支持できないことを主張する。第二に、性と人格の関係を検討し、特定の性道徳に依拠しない性と人格の関係を定式化する。そこで売春肯定論には留保されるべき問題が残ることを示す。最後に、売春を肯定できないとしても禁止できないこと、売春する自由と同時にそこから降りる自由が同時に要請されることを主張する。

第4分科会(和室2) 司会:小林富久子

(1)英語学習するモダンガール

藤瀬 恭子

日本近代文学は、英語学習する女たちをどのように描いてきたであろう。手始めに明治期の二葉亭四迷「浮雲」を始めとする男性作家、「青鞜」の女性作家たちのテキストを読み込んで、「英語学習するモダンガール」の自己表象と他者表象を検証する。男性においては、立身出世の道だった英語学習は、女性においてはどんな目的に役立ったであろう。国民国家形成史、教育制度史を横断する英語教育史を、物語的にジェンダー化する試みである。

(2)近代家族イデオロギーとしての「廃娼」論

林 葉子

「廃娼」論は、しばしば公娼廃止論と同義だと解釈されてきたが、本報告は、廃娼運動における「廃娼」論を、性および家族の近代的あり方を論じた議論として読み直す試みである。廃娼運動雑誌『婦人新報』および『廓清』の記事を分析することにより、そこで展開されている「廃娼」論が、必ずしも買売春問題や公娼制度論に特化されたものではなく、その主要な論点において「家庭」論と重なっていたことを立証する。

(3)治安維持とジェンダー ─「婦人警察官」と「駐在所夫人」をめぐって

牧野 雅子

「婦人警察官」は、戦後警察の民主化の一環として制度化されたが、二流の労働力と見なされ、警察活動からは疎外されてきた。その一方で、駐在所勤務員の配偶者は「駐在所夫人」と呼ばれ、警察職員ではないにもかかわらず貴重な治安維持要員として警察活動に組み込まれていった。本報告では、「婦人警察官」と「駐在所夫人」の警察組織内での位置づけを歴史的に考察することで、治安維持のあり方にも問題提起したい。

第5分科会(中会議室3) 司会:金井 淑子

(1)イギリスにおける第二波フェミニズムの起点 ─ラスキン会議と男女平等賃金要求をめぐって

冨永 貴公

イギリスの第二波フェミニズムは、1970年、オックスフォードにあるラスキン・カレッジにて開催された初の全国女性解放会議を起点とする。同会議は、その開催地からラスキン会議と呼ばれ、イギリスの女性運動史に関する文献の多くによって言及されているものの、その内実は明らかではない。本報告では、現地での文献調査の結果をもとに、その内実に迫り、イギリスのフェミニズムにおけるラスキン会議の意味について考察したい。

(2) 個人主義的なフェミニズムの政治性

荒木 菜穂

固定的なフェミニズム・イメージ、「男の犠牲者」としての女性のイメージは、現代における「フェミニズム離れ」を促進させる一要因となっている。「フェミニズム離れ」は反フェミニズムの一側面であると見なされるが、個人への不正義としての男女の不平等にたいする抵抗という新たなフェミニズム的まなざしをそこに見出し、その意義を探ることは、フェミニズムと、それがまさに彼女らの解放を目指していたはずの、現実の女性との関係を知るきっかけとなるのではないだろうか。

(3)女同士の意味 ─「宝塚」と女性のホモソーシャリティ

東 園子

宝塚ファンへのインタビューと、宝塚歌劇の舞台やメディア上のオフの領域を総体的に考察することを通して、現代社会において表象困難な女性のホモソーシャリティが宝塚歌劇に読み取られている可能性があることを提示する。

ワークショップ(1)(大会議室1)10:00〜12:00

バックラッシュへの<反転攻勢>を考える

日本女性学会ジェンダー研究会(担当:青山薫・海妻径子)

基本法成立後のバックラッシュには、従来のフェミニズムへの反発とは異なる様相がみられる。例えば保守思想への明確な信奉がないのに「なんとなく」程度に反平等的社会ムードを支持する、一部女性もまきこんだ動き。この新情況に受身的守勢をこえて、<反転攻勢>をとる必要があろう。だが一方、基本条例制定運動や女性国際戦犯法廷などフェミニズムの「現場」が国内外に多岐広汎化した結果、「現場」間や「現場」と「研究」間で、現状/課題認識の違いが生まれ、有効な<反転攻勢>へのまとまった認識をもちにくくなってもいる。この困難を乗り越える<反転攻勢>を、共に構想する場としたい。

ワークショップ・個人研究発表

6月11日(日)13:50〜15:30

ワークショップ(2)(中会議室1) 司会:河原崎やす子

グローバル・メディア・モニタリング・プロジェクト(GMMP)による
ニュースメディアのジェンダー分析とメディア・リテラシー

報告者:登丸あすか
コメンテーター:鈴木みどり、レベッカ・ジェニソン
司 会:西村 寿子

GMMPとは、70数カ国のモニターグループが参加して、世界のニュースメディアをジェンダーの視座から5年ごとに一斉にモニター調査するプロジェクトである。2005年2月に行われた3回目のGMMPには、日本からも11のモニターグループが参加し、GMMPにメディア・リテラシー・ワークショップを組み込んだ独自の活動を展開させている。ここでは、まず、2006年2月にGMMPの事務局から発表された世界のデータと比較しながら、日本の分析結果を報告する。そのうえで、日本におけるメディア・リテラシー活動の必要性と現在の課題について考えていきたい。

ワークショップ(3)(セミナー室2) 司会:千田 有紀

ポルノ被害としての盗撮

二瓶由美子、宇野 朗子、山本有紀乃

昨今、盗撮に関連する事件が報道で相次いでいます。盗撮機が設置されているのは、駅や学校やデパートのトイレ、銭湯やスーパー温泉、フィットネスクラブや海水浴場の更衣室、モーテルやラブホテルの客室などです。東京地裁や東京大学のトイレにさえ盗撮機が仕掛けられた事件が報道されたことは、記憶に新しいところです。もはや安全な場所など存在しないと言えるほどであり、それらの盗撮画像は個人の楽しみとして用いられるだけでなく、編集されて盗撮ものポルノとしてビデオ、DVD、インターネットを通じて広く流布されています。これはポルノを通じた性被害の一種であり、その最も日常的なものの一つと言ってもいいでしょう。私たちポルノ・買春問題研究会は昨年からこの問題に取り組み、アンケートの実施や新聞記事の分析などを通じてその実態の一端を調査してきました。その結果を発表し、この問題の深刻さと法的規制のあり方について討論したいと思っています。

個人研究発表

第6分科会(中会議室2)  司会:釜野さおり

(1)離婚相談の実情と女性への支援

日本女性学研究会・女性の自立支援研究プロジェクトチーム

日本女性学研究会・女性の自立支援研究プロジェクトでは、関西の弁護士の離婚相談活動について調査を実施した。調査内容は離婚相談の経験や、得意分野、離婚に関する意識、離婚相談のどんなところに困難を感じているか等である。当日は調査結果を示しながら、離婚女性の支援のあり方について考えてみたい。なお本研究は、平成17年度大阪府男女共同参画活動補助対象事業である。

(2)高専女子卒業生の就労等に関する調査報告

内田由理子

高専とは高等専門学校の略称であり、主に工業高等専門学校を指す(商船高専、航空高専を一部含む)。16歳から20歳までの5カ年専門教育を行っている。学生の多数を男子が占めていたが、近年では、学科の多様化とともに女子学生も増加傾向にある。本調査は、女子卒業生を対象に2003年に実施し、 998の有効回答を得たものである。本報告では、高専では少数とされる女子卒業生の就労状況および離職・転職に関して報告し、技術職現場における女性技術者の状況等を分析する。

第7分科会(和室2) 司会:内海崎貴子

(1)〈主婦論争〉再検討 ─対象の分類・再配置による新たなモデル構築

村上 潔

本報告は、戦後日本における〈主婦論争〉(1955年に始まり1970年代前半まで断続的に生起した、日本の「主婦」のあり方—その立場・役割や労働の評価—をめぐる論争)の意味を捉え返す作業を行うものである。本報告では、〈主婦論争〉が全体として本質的に可視化せず、表面上の論点からは抜け落ちてきた領域があることを指摘し、そのうえで改めて本来論争の対象となる層を分類・再配置し、新たなモデルを構築することを試みる。

(2)「主婦論争」再検討 ─読者の視座から

中尾 香

「(第一次)主婦論争」(1955〜59年)はこれまで主に女性解放論的文脈において意味づけられてきており、それらの議論は、「職場進出論」、「家庭擁護論」、「主婦運動論」の三つに分類される。しかし、「主婦論争」の掲載された雑誌『婦人公論』の当時の読者たちは、これらの議論をそのようには意味づけていなかった。彼女たちは論争の内容を自分たちの〈生〉に引きつけて読み解いたのであり、女性解放論的立場によって「職場進出論」と称されてきた主張も、結局は読者たちの「主婦アイデンティティ」を強化する方向へ、さらには、「進歩的な主婦」願望を確立していく方向へと作用した可能性が指摘されるのである。

第8分科会(中会議室3) 司会:北仲 千里

(1)女性教員が記した戦後の暴力と集団的トラウマの存在に関する一考察 ─1950年代の「全国婦人教員研究協議会」記録を中心として

木村 松子

戦後、女性教員だけの研究協議会(日教組)が、1952・53・54年の3回開催されている。沖縄を除く全国から約2、3千名の幼・小・中・高校の女性教員が集まり、当時の職場(学校)での差別や家庭・地域での諸問題について討議した。28人の発表と延べ約400人の発言は、女性への威嚇や非難と集団的トラウマの存在を示している。これらの発言や森昭、宗像誠也、丸岡秀子、山川菊栄らの講評は、問題の原因をどう捉えたのかを明らかにする。

(2)子どもがドメスティック・バイオレンスを目撃するということ ─サバイバーの語りから

池橋みどり

2004年に同時に改正されたDV防止法と児童虐待防止法。両法は、「DVの目撃」を子どもへの虐待と定義することで、DVと児童虐待を結びつけた。子どもが両親のDVを目撃するとは、どのような経験なのか。子どもに顕れるさまざまな症状から、それらの過酷さを指摘する調査は少ないながらも出てきている。本報告では、子どもの立場から見た「DVの目撃」経験がどのようなものかを明らかにすることで、DV目撃サバイバーの支援のあり方を考えたい。

■シンポジウム報告

ジェンダー概念をめぐっての集まりに熱気あり!

イダヒロユキ

2006年3月25日に、「ジェンダー概念」シンポジウム実行委員会主催、イメージ&ジェンダー研究会と日本女性学会共催で「ジェンダー概念について話し合うシンポジウム」が東京でもたれた。全国から女性学研究者や女性運動にかかわる人びと約250人が集まり、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「男女平等」「バックラッシュ」などの概念と運動・実態をめぐって、熱い情報・意見交換がなされた。

豊富な資料と発表、話し合いの時間ももたれ、充実した内容であったし、バックラッシュの組織的な動きも確認されたし、基本的にバックラッシュ状況に対して、ジェンダーフリー概念も擁護して闘っていこう、ジェンダー概念の理解を一部に限定せず多様な使い方を認めていこうという基本認識は共有されていた。

だが、ジェンダー概念をめぐる材料は提起されたものの、各論者の違いを掘り下げて深く議論していくところにまでは至らなかった。私見だが、一部研究者はジェンダーを分析概念とだけとらえて、草の根運動で使われている「イメージや実態としての女/男のありかた」というジェンダー、女らしさ/男らしさとしての利用実態を十分視野に入れておらず、したがって「ジェンダー概念は価値中立だ」「政府の男女共同参画基本計画のジェンダー定義はまちがっていない」「ジェンダーフリー概念は使わない」「男女平等でよい」などと言ってしまっていると感じた。つまり、ジェンダー自体の意味として、規範や参照基準、それを内面化した性のあり方、性に関わる権力差別関係というような側面を認めないがゆえに、ジェンダーの囚われから離れるという「ジェンダーフリー」概念に抵抗感があるのではないか。これは運動と研究の関係の問題でもあると感じた。

また参加者の一部である、全国のジェンダー平等運動・市民運動に関わっている人々の間で、ジェンダーやジェンダーフリー概念の整理がバックラッシュと闘っていく上でいかに重要なのかが十分に伝わっていない場合があり、そのため今回のシンポジウムについても学者の言葉遊びのようなものと見てしまっている人がいるのでは、との印象を受けた。

今後、フェミ側でこの点の議論を積み重ねていき、認識の共有がすすみ、政府のスタンスへも適切に物申していく事が、バックラッシュに対抗していくために大事だと改めて感じた。

関連情報

日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシングの論点』(明石書店、2006年5月末出版予定)が完成間近です。バックラッシュ状況の中で、フェミ側が認識を共有すると同時に、ジェンダー平等行政の担当者や運動をしている人、バックラッシュの影響を受けて迷っている人々に、確信を深めることになるものになっていると自負しています。ぜひ手に取ってください。
また6月の大阪大会では、日本女性学会・ジェンダー研究会主催での、バックラッシュに対抗するワークショップも持ちます(プログラム参照)。ぜひご参加ください。

(イダヒロユキ)
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■講演会のご案内

国際基督教大学(ICU)ジェンダー研究センターでは5月23日(火)に尾辻かな子講演会「『虹色』の社会をめざして」を開催します。今日の日本において、性的マイノリティ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・インターセックス・トランスジェンダーなど)の人々の置かれる困難な社会的状況が人権問題であることは、まだ十分に認識されているとはいえません。今回の講演では、大阪府議会で最年少議員であり、レズビアンであることをカミングアウトしてご活躍されている尾辻かな子さんをお招きします。女性、若者、そして性的マイノリティの人々の声を届けたい。政治の場に飛び込んだ尾辻さんがめざす「虹色」の社会とは?ジェンダー・セクシュアリティ・政治・人権・心理・教育・法などに関心のある、多くの方々のご来場をお待ちしています。

日 程 2006年5月23日(火)
12時30分〜14時30分(質疑応答を含む)
会 場 国際基督教大学 旧D館オーディトリアム
〒181-8585 東京都三鷹市大沢3-10-2
入場料 無料
言 語 日本語(英語への同時通訳あり。レシーバーを無料にて貸出します)

詳しい情報とお問い合わせは:
国際基督教大学ジェンダー研究センターまで。
Tel&Fax: 0422-33-3448
Email: cgs●icu.ac.jp(●を@に書き換えてください)
URL: http://subsite.icu.ac.jp/cgs/

■会員著書紹介

伊田広行著 『続・はじめて学ぶジェンダー論』 大月書店
2006年3月
1,900円+税
熊田一雄著 『<男らしさ>という病
—ポップ・カルチャーの新男性学』
冬樹社
2005年9月
2,200円+税
シンシア・エンロー著 『策略—女性を軍事化する国際政治』
上野千鶴子監訳/佐藤文香訳
岩波書店
2006年3月
3,465円
牟田和恵 『ジェンダー家族を超えて
—近代化の生/性の政治とフェミニズム』
新曜社
2006年4月
2,400円+税

▲2006年度会費納入のお願い

4月より、会計年度が新しくなりました。
同封の郵便振替用紙で2006年度会費7,000円をできるだけ早めにご入金下さいますようお願いいたします。