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総会のお知らせ

新型コロナウィルスのパンデミックの影響で、今年度の総会は以下のように行うことになりました。

日本女性学会 第41回年次総会
2019年6月20(土)10:00-11:00
ZOOMにてオンライン開催

安全のため、事前申し込み制にいたしますので、6月15日までに申し込みをお願いします。

また、ZOOMでの会議アドレスなどについては、
直前に情報をメールニュースにてお送りします。

メールニュースが届いていないなどの場合は、
事務局(toiawase@joseigakkai-jp.org)まで、連絡がつくアドレスをお知らせください。

2020年度大会の中止のお知らせ

昨日(2020年4月4日)の幹事会にて、2020年度日本女性学会大会(名古屋大学)を中止することに決定いたしました。
COVID-19の流行が今後どうなるのか、いつ収束できるのか全く不明な状況にかんがみ、中止という結論に至った次第です。
ご理解いただければ幸いです。

日本女性学会の研究発表機会としては、日本女性学会学会誌「女性学」投稿もありますので、奮ってご投稿いただけることを期待しております。
投稿締め切りは8月末日で、詳しい投稿規程等につきましては、「女性学」Vol.27のp.103-107をご覧ください。

また、来年の大会は通常通り春季に名古屋大学にて開催予定となっております。
COVID-19の流行が今後どうなるのか予断を許さない状況ではありますが、みなさまどうぞお体にお気をつけて。
来年度の大会でお目にかかれることを楽しみにしております。

日本女性学会第20期幹事会
代表 千田有紀

『女性学』第 28 号 投稿原稿募集

『女性学』第 28 号 投稿原稿募集
(第 27 号の募集内容から変更があるため、ご注意ください)

1.応募資格
日本女性学会の会員に限る。

2.応募原稿
1)種類
論文、研究ノート、情報及び書評で、未発表原稿に限る。
論文は主題について論証が十分なされている点に、研究ノートは主題の提起に独創性があり、今後の展開が期待される点に評価の重点がおかれる。
また、情報とは、国内外の女性学をめぐる動向を意味する。なお、書評については、原則として投稿締切日の前年4月以降に出版された書籍を対象とする。

2)未発表原稿の定義
すでに雑誌論文として掲載予定の原稿、および、投稿中(審査中)の原稿は未発表原稿とはみなさない。また、単行本・単行本所収の論文として掲載予定の原稿も、未発表原稿とはみなされない。
修士論文や未刊行の博士論文、その他報告書(科研費等報告書、学会報告など)については、学会における議論の発展に、単独の論文として寄与しうるよう必要な改変・修正を施さなければならず、引き写しは未発表とは認めない。また
この際、註などにおいて元原稿が存在する旨を付記することとする。

3)紙数制限(図表・写真・註・参考文献リストを含む)
論文(20,000 字以内)、研究ノート(8,000 字以内)、情報・書評(4,000字程度)

4)その他
・応募原稿はワープロ・パソコンを使い、40 字× 30 行の設定にする。
・使用言語は日本語とする(原則として横書き)。
※書式については、必ず「執筆書式」(本書掲載)を参照すること。

3.編集委員会に送付するもの、送付先、締切
投稿は、以下のワードおよび PDF ファイルのデータ送付によって行うこと。
■ 論文・研究ノート・書評などの原稿のデータファイル
■ A4 用紙1枚の執筆者情報:
氏名、所属、論文タイトル、住所・電話番号(引越・海外移住の場合は新住所と移転日を明記)、メールアドレス、関心領域
送付先:日本女性学会事務局内編集委員会
e-mail:josei.henshu@gmail.com
締切:2020 年8月 31 日

4. 投稿原稿は、コメンテーターによる査読がなされ、最終的な採否は編集委員会が決定する。

5. 掲載が決定した場合、以下のものをメール添付の電子データにて提出する。
1)最終稿
2)英語による表題
3)論文・研究ノートの場合は、300words 以内の英文要約
4)「執筆者一覧」原稿:執筆者氏名、所属、関心領域を日本語・英語の両方で表記

6.デジタル化および他のメディアでの公開等については以下の通りとする。
1)掲載論文等を転載する際には、事前に日本女性学会に連絡すること。
2)原則として自己の著作の複製権および使用権について、執筆者に対する制限はなされないが、掲載された号の発行から1年間は転載を控えること。
3)日本女性学会はウェブサイトにおいて『女性学』の掲載論文等をデジタルデータとして発表することができる。

執筆書式
学術論文ではあるが、専門分野の異なる人にも理解できる表現を心掛けること。

見出し/小見出し
1.原稿の最初に見出し/小見出しを掲げる。
2.本文中の見出しはⅠ、1、(1)の順とし、アラビア数字については半角
で表記する。
【例】
はじめに
Ⅰ 問題の所在──豊田市の女性の投票参加の意味するもの
Ⅱ 豊田市の工業都市形成期──昭和 30 年代の政治的様相
1 工業都市への市政転換
2 2つの政治勢力の形成
(1) 在来地域社会の政治勢力
(2) 企業社会の政治勢力
Ⅲ 豊田市における昭和 30 年代の政治と女性
1 調査の目的と調査方法
2 豊田市の昭和 30 年代における女性の政治参加の概要
(1) 女性の投票参加を高めた選挙の争点と背景
(2) 2つの勢力への女性の取り込み
おわりに

文中の引用
1. 本文中で引用を行う場合、引用文には「 」を用いる。行数の多い引用は、本文との間を前後1行あけ、全体を2字下げにする。出典については、本文中に(著者名、出版年、引用ページ)と示す。文献の詳細については、文献目録に記載する(「参考文献目録」参照)。
(1) 和書引用の出典表記の例
文章または引用文「 」の後で(井上、1992、18 -19)。
(2) 外国語書引用の出典表記の例
文章または引用翻訳文「 」の後で(Firestone, 1971, 67)。

(3) 同一筆者による同年の著作が複数ある場合、発表年の後にアルファベットで通し番号を付け、参考文献目録における挙示と対応させる。
2.書籍名(雑誌を含む)のみの表記については『 』(例:『書籍名・雑誌名』)を、論文名のみの表記については「 」(例:「論文名」)を用いる。
3. 自著引用の場合、拙著・拙稿などの表記は避け、氏名を表記することとする。


註は、本文のその箇所に1、2の通し番号をつけ、内容は本文の後(文献目録の前)に一括して記載する。読者が読みやすい文章を心掛けるためにも、本文の流れの中に含めることができるものはできるだけ本文中に組み込み、省けるものは省く。

参考文献目録
1.参考文献目録は、本文、註の後に一括して記載する(本文、註、参考文献目録の順)。
2.記載項目
(1) 単著の場合
著者名、出版年、書名、出版社名
(2) 共著の場合
論文著者名、出版年、論文名、編者名、書名、出版社名
(3) 雑誌の場合
論文著者名、出版年、論文名、雑誌名、巻号、(任意で出版社名)、ページ
(4) 外国語文献に邦訳のある場合
(邦訳者名、出版年、邦訳題名、出版社名)を、原書の記載後に続けて書く。
(5) 論文には「 」を、単行本、雑誌名には『 』をつける。
3.文献列挙の形式
(1) 著者名はアルファベット順に並べ、和書・外国語書混合とする。
(2) 同一著者の文献は、発表年の古いものから順に並べる。同一著者による同年の著作が複数ある場合、発表年の後にアルファベットで通し番号を付す。

●書籍の場合
江原由美子、1990、『フェミニズム論争─ 70 年代から 90 年代へ』勁草書房
Firestone, Shulamith. (1971). The Dialectic of Sex, Bantam Books,(林弘子訳、1972、『性の弁証法』、評論社)
●書籍の一部の場合
亀田温子、1991、「平等をめぐる世界の動き・日本の動き」西村絢子編著『女性学セミナー』東京教科書出版、224-248.
Wellard, Ian. (2006). Exploring the Limits of Queer and Sport: Gay MenPlaying Tennis in Jayne Caudwell. (Ed.), Sport, Sexualities and Queer/Theory, Routledge, 76-89.
●雑誌掲載論文の場合
秋山洋子、1996、「中国の女性学──李小江の『女性研究運動』を中心に」『女性学』4 号、8-34.
Mitchelle, Juliet. (1996). Women: The Longest Revolution, New Left Review, No. 40, 11-37.
●ウェブサイトの場合
内閣府男女共同参画局『男女共同参画センター等の職員に関するアンケート結果について』
http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/kihon/kekka.pdf2009(2009 年 3 月30 日取得)

図・表
本文とは別のファイルで作成のうえ、通し番号をつけ、本文データファイルに挿入箇所を赤字で指定する。
1ページを使って掲載する図表は 800 字、半ページは 400 字、1/4 ページは 200 字として換算し、上記「応募原稿」にて指定の紙数制限内に収めること。

ルビ
本文データファイルに赤字で記入する。

2019年大会シンポジウムのご案内

2019年度日本女性学会大会シンポジウム
男性性研究で何がみえてくるか――「下駄を履いて」いること、セクシュアリティ、加害者性
共催:一橋大学大学院社会学研究科

日程:2019年6月15日(土) 13:00〜16:30
会場:一橋大学 国立キャンパス  東2号館2201
東京都国立市中2丁目1番地
■JR中央線 国立駅下車南口から徒歩約10分
■JR南武線 谷保駅北口から徒歩約20分
詳しいアクセスはhttp://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/kunitachi.htmlをご覧ください.
参加費:会員500円/常勤の非会員1,000円/常勤以外の非会員500円

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シンポジスト:
江原由美子(社会学) お茶の水女子大学・東京都立大学・首都大学東京の教員を経て、
現在横浜国立大学都市イノベーション研究院教授。社会学理論を基軸に、ジェンダーに関わる社会問題の理論化を探求している。著書『女性解放という思想』『フェミニズムと権力作用』『ジェンダー秩序』([勁草書房)、『ジェンダーの社会学入門』『自己決定権とジェンダー』([岩波書店]、『ジェンダーの社会学』『ワードマップフェミニズム』(新曜社)等。

すぎむらなおみ(教育社会学) 愛知県立高等学校養護教諭。研究関心は学校文化におけ
るマイノリティの位置。著書に『養護教諭の社会学➖学校文化・ジェンダー・同化』(名古屋大学出版会、2014年)、『エッチのまわりにあるもの➖保健室の社会学』(解放出版社、2011年)、養護教諭仲間との共著に『はなそうよ!恋とエッチ➖みつけよう!からだときもち』(生活書院、2014年)、『発達障害チェックシートできましたーがっこうのまいにちをゆらす・ずらす・つくる』(生活書院、2012年)。

田房永子(漫画家、ライター) 1978年東京都生まれ。20代は男性向けエロ本で連載を
持ち、30代は女性向け媒体に移行。代表作は「母がしんどい」(KADOKAWA中経出版、2012年)、「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」(竹書房、2016年)

平山亮(社会学) 東京都健康長寿医療センター研究所研究員。専門は社会学、ジェンダ
ー論。「男性とケア」を主題に、高齢者ケアに関する制度に埋め込まれた/が生み出す性の不平等について研究している。著書に『介護する息子たち:男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)など。

コーディネーター:
北仲千里(社会学) 広島大学ハラスメント相談室教員。NPO法人全国女性シェルター
ネット共同代表。おもな著書に「男性性研究はジェンダーに基づく暴力をどこまで読み解いたか」杉浦ミドリ・建石真公子・吉田あけみ・來田享子編『身体・性・生―個人の尊重とジェンダー』(尚学社、2012 年)。『アカデミック・ハラスメントの解決』(共著、寿郎社、2017年)
千田有紀(社会学) 武蔵大学社会学部教授。主な著書に『女性学/男性学』(岩波書店。
2009年)、『日本型近代家族-どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房、2011年)、『ジェンダー論をつかむ』(共著、有斐閣、2013年)など。

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シンポジウム趣旨説明
男性性研究で何がみえてくるか――「下駄を履いて」いること、セクシュアリティ、加害者性

いま、男性学や男性性研究が、面白い。「ジェンダー問題って女性の問題なんでしょ」と思っているような人にとって、「いや、むしろ変わらなきゃいけないのは男性の社会で、マジョリティ男性も、男性性のジェンダーにがんじがらめで生きているんだ」という提起は、まさに社会構造としてのジェンダーを考え始めるきっかけを作ってくれるかもしれない。「どうして男性たちはあんな態度をとるんだろう」と悩む女性たちにとっては、「そうか、なーんだ、男のメンツの問題だったのか!」と膝を叩き、処方箋を提供するかもしれない。「男社会」を変えるためには、男性性こそを分析することが不可欠である。

しかし、その一方で、ジェンダー差別の問題には反応が悪い学生たちが、「男も苦しいんだ」というタイプの男性学の議論だけをつまみ食いしてくるのも、もやもやする。男性性研究によって、男性が「下駄をはかされていること」や加害者性(例えば犯罪、DVや性暴力、性を買う行動に見られるなど)はどのように、切り込むことができてきたのだろうか。昨今は、サラリーマン社会やイクメン研究だけでなく、軍隊、介護、サブカルチャーや男子校や、歌うこと、禿げていること、性の悩みなど、様々なものが、男性性研究の対象にされている。

ではこれらと、女性性、あるいは「ジェンダー規範」「性別役割」「ジェンダーのステレオタイプ」などを取り扱ってきた、女性学やジェンダー研究とは、どういう関係をきりむすんでいるのだろうか。例えばこれまで注目されてきたR. W. Connellの「ジェンダー秩序」や「複数の男性性(masculinities)」というアプローチは、どのように評価すべきなのだろうか。4人のパネリストの報告から、男性性研究から見える景色が、少しでも新しいものになりますように。

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シンポジウム発題者から

「男はつらいよ型男性学」の限界と可能性ーーポジショナリティ論とグローバリゼーションとの関わりで
江原由美子
2000年~2010年代に入って、男性学/男性性研究は、「男性自身が性別規範によって抑圧されている」ことを問題化し「男性の生きづらさ」を焦点化する傾向が強まっている。本報告は、このようなタイプの男性学/男性性研究の言説を、「男はつらいよ型男性学」と名付け、その限界と可能性を検討する。
「男はつらいよ型男性学」に対する批判は、2001年の渋谷知美の批判以来、フェミニズムの立場から、かなりなされている。その主要な批判は、「男性の生きづらさ」「男性の被抑圧性」として挙げられることの多くが「男性の特権の裏返し」であること、男女の非対称性を無視することによって女性差別の廃絶に対する視点を欠いていること等に、向けられている。本報告では、このようなタイプの批判を、ポジショナリティ論に基づく批判として解釈し、その批判の妥当性を検討する。
他方「男はつらいよ型男性学」が焦点を当てている「男性の生きづらさ」は、グローバリゼーションによって先進国製造業(男性)労働者が直面した「生きづらさ」としても、解釈できる。この「生きづらさ」に対してポリティカル・コレクトネスの視点から批判を加えることに対しては、彼らを右派(排外主義的ナショナリズム)に追いやるだけだとする批判が、ある。この視点からすると、「男はつらいよ型男性学」は、「男性の生きづらさ」に共感的に寄り添うことによって、社会変革のあらたな可能性を拓くと、評価することもできる。報告においては、この二つの視点から、「男はつらいよ型男性学」の意義を検討する。

学校文化・男性性・近代化
すぎむらなおみ
学校に勤務していると疑問に感じることが多くある。例えば「卒業式等、儀式的行事にかける熱意」「若い女性教員の軽視」「怒鳴る教員の居場所確保」「保健室(あるいはケア提供者)の異物扱い」等。学校は「学問の自由」「男女平等」を標榜してはいるが、実際には「隠れたカリキュラム」による「(中産階級の)再生産」装置であり続けているからだろうか。
学校において「生徒指導部」とは、一般的に「生徒を教員の管理下に置く部署」として機能している。その中で「指導力のある教員」とは「生徒を従属させることができる教員」を意味する。これは「文化的支配」としての「覇権的マスキュリニティ」と言いかえられるのではないか。だとすれば冒頭に掲げた私の疑問は、すべて「学校文化」は「男性性に支配されているからである」という答えに回収されてしまう。しかし、「儀式的行事の練習はしない」「若い女性教員が活躍している」「怒鳴る教員の居場所はない」といった学校もあり、そうした種類の学校においては「生徒指導部」はあまり意味をもたない。こうした現象がなぜおこるのか。
当日は、学校をまず管理的/非管理的、都市型/非都市型の4象限にわけ、さらにその内部を学力の高低で分類することで学校間の特徴をおさえることからははじめたい。それによって管理ツールの一形態としての男性性が、どういった学校で機能するのか。学校文化における男性性と近代化の関係はどうなっているのか等が浮き彫りになるであろう。そのうえで、冒頭に掲げた問についてあらためて会場のみなさまと答えをさぐっていきたい。

女の体のしくみを、女以上に知っているかのように語る男たち
田房永子
男性向けWEBサイトで、「50代男性は、実は20~30代女性にモテる。だから積極的に押すべし」などのコラムを目にすることがあります。それらは、「自分の年齢に怖じ気づかなくてもいい。実は彼女たちは大人の男性からのアプローチを待っている。グイグイいけ」というスタイルのものがほとんどです。そういった文章はネット上では、実際の20~30代の女性たちから「こういうものをメディアが取り扱うからセクハラが横行する」として忌み嫌われる傾向にあります。しかしこういった記事が廃れることはありません。逆に男性向け成人誌など、女性の目の届かないところで毎日量産され掲載されています。
彼らが語る「女性の特徴」は、その独特な視点と独断だけによって形成されています。「恋愛学」なるものについての著書を多く出している60代の某大学教授の、婚活男性向けの本を読むと、「女性は生理前、生理あとによって男の好みが変わるから、それに合わせて演技しろ、ゆえに相手の生理周期を把握すべし」という旨が記載されていました。「生理中の女性は血のにおいや生理用品が気になってデートどころではありません。(だからデートを断られても気を落とさない)」など、女として生きてきたほうがからすると首をかしげるものばかりです。
しかしまったく女性と接触せず、女性についての情報は成人誌やAVからだけ、という10代を過ごした人がこういった本をなんの疑問もなく受け入れるのはある意味当然と言えるでしょう。女の体について、女以上に声高に流布する男性と、実際の女性の話よりもそちらを吸収する男性たち。彼らから感じる、まるで本当のことは絶対に知りたくないと思っているかのような頑なさは一体なんなのだろうと考えます。

「男性性による抑圧/からの解放」で終わらない男性性研究へ
平山亮
男性性についての多くの議論は、たいてい次のように展開される。男性はさまざまな男性性に規律されている。男たちを縛り、突き動かす男性性が、ときに女性を含めた他者への加害につながり、また自分自身の健康を脅かす。したがって、男性が男性性から解放されることは、女性にとっても男性自身にとってもメリットがあるのだ、と。このような議論はそのわかりやすさゆえに一定の人気を獲得しているが、他方、「男性もまた性別規範の被抑圧者なのだ」という「被害者地位における男女の対等性」を強調し、フェミニズムが指摘してきた男性優位のジェンダー関係を見えにくくする効果をもつ。
本報告では、最初に「男性性による抑圧/からの解放」という枠組みの問題点を確認する。その上で、「男性は男性性に縛られている」という説明も含めた「男性についての理解のされ方」として男性性を再定位し、そのような男性性の分析概念としての「切れ味」を検討したい。その際、本報告が依拠するのは、男性性研究のなかでたびたび用いられてきた「覇権的男性性」の概念である。報告では、「覇権的男性性」の概念についての典型的な誤解を解きほぐし、この概念が「男性が男性性に縛られることで現在のジェンダー関係ができている」という見方を乗り越えるためにこそ提案されてきたことを確認するとともに、性の不平等を見えにくくするメカニズムを暴くツールとしてのこの概念の有用性を検討したい。