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日本学術会議会員任命拒否に関する声明

2020.10.8

日本学術会議会員任命拒否に関する声明

日本女性学会第21期幹事会

 

10月1日、日本学術会議が新会員として推薦した105名の研究者のうち6名が、理由を表明されることなく内閣総理大臣により任命されなかったことが明らかになりました。任命拒否の理由はいまだ明らかにされていませんが、研究に対する評価に関して学術会議の推薦者以上に合理的な判断をできる者がいるのかと考えれば、拒否の理由はきわめて「恣意的」なものであり、日本学術会議の独立性に対する政府の干渉・介入と考えざるを得ません。

今回任命を拒否された研究者は、すべて第一部「人文・社会科学」に属すべき研究者であり、人文・社会科学研究に従事する研究者を多く抱える日本女性学会としても容認できない事態です。

1984年の日本学術会議法改正直後に出された「日本学術会議憲章」では、同会議は「地球環境と人類社会の調和ある平和的な発展に貢献することを、社会から負託されている」として、その義務と責任を果たすために、「公共政策と社会制度の在り方に関する社会の選択に寄与する」ような勧告や見解の提示(同憲章第3項)、あるいは「次世代の研究者の育成および女性研究者の参画を促進」(同憲章第4項)する活動をおこなうものとされています。

この「憲章」の趣旨にのっとり、日本学術会議は、ジェンダー問題に関して2020年9月にも以下の三つの提言を発出するなど極めて活発に提言を行ってきました。

 

(1)提言「「同意の有無」を中核に置く刑法改正に向けて―性暴力に対する国際人権基準の反映―」

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/kohyo-24-t298-5-abstract.html

(2)提言「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/kohyo-24-t297-4-abstract.html

(3)提言「社会と学術における男女共同参画の実現を目指して―2030年に向けた課題―」

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/kohyo-24-t298-6-abstract.html

このような提言は時に、政府の政策・制度の不備、不作為を厳しく批判するものでもありました。

しかしながら、現憲法の第23条において「学問の自由は、これを保障する」と学問の自由が保障されているのは、明治憲法下において政府により学問の自由が侵害された結果、無謀な戦争により多くの人々の犠牲をもたらしたことへの反省をもとにしたものです。この意味において、学問の自由とは、政府に対する一定の批判力を持つことにこそ、その意義があるとも言えるでしょう。

日本学術会議に対するこのたびの政府の人事介入は、政府による政策・制度の不備、不作為を指摘する活動を鈍らせ、戦後多くの努力のもとに培ってきた民主主義と人権尊重という価値観を否定する危険性をはらむものです。また、その結果として、社会的少数者の置かれた環境や社会的状況の改善が、一層困難となることも懸念されます。

わたくしたちは、今回の日本学術会議会員被推薦者に対する任命拒否という事態について、政府がその拒否の「理由」を明らかにすることを求めます。そして、「学問の自由」を保障した日本国憲法や日本学術会議法など国内法に則り、その「理由」の正当性の欠如が明らかになった場合には、速やかに被推薦者6名の任命を行うとともに、日本学術会議および学問領域に対する政府からの「独立性」を改めて明言されるよう要求します。

独立行政法人改革における国立女性教育会館の扱いに関する要望

2011年10月25日

関係各位

独立行政法人改革における国立女性教育会館の扱いに関する要望

日本女性学会第16期幹事会有志

●代表幹事:海妻径子
岩手県盛岡市上田3-18-34
岩手大学人文社会科学部
Tel/Fax:019-621-6750)
●学会事務局:
千葉県市川市南八幡1-16-24
Fax:047-370-5051

2007年のいわゆる「事業仕分け」に際し、独立行政法人・国立女性教育会館の他機関との統合および民営化が検討されたことに対して、日本女性学会幹事会有志は行政改革担当特命担当大臣(当時)・渡辺喜美氏宛ての12月15日付要望書において、強い反対を表明して参りました。

にもかかわらずこのたび、再び国立女性教育会館の他機関との統合および民営化(NPO法人化)が行政刷新会議において検討されていることに、大きな危惧をおぼえます。

2007年の「事業仕分け」に際して、全国から反対の声が多数寄せられたことは、国立女性教育会館が創立以来30年以上の長きにわたり、女性差別撤廃、ジェンダー(男女)平等社会の実現のための情報発信と学習・活動の場として、極めて重要な役割を果たしてきたことの証左です。と同時に、女性差別撤廃条約批准国にもかかわらず女性の政治的・経済的・社会的地位の改善が遅々として進まない「人権後進国」日本の状況を、多くの人が憂慮し、国立女性教育会館にはこれまで以上の機能強化を期待こそすれ、経済効率優先の視点から安易な組織統合・機能縮小が行われジェンダー平等政策が後退することを、決して望んでいないことのあらわれではないでしょうか。

周知のとおり、日本は2009年に国連女性差別撤廃委員会より、差別撤廃の遅れを強く指摘されている状況です。国立女性教育会館のようなナショナルセンターが、ジェンダー平等政策の推進拠点として果たすべき役割は、むしろ大きくなっています。目的の異なる他組織との統合は、国際公約としても遅れの許されないジェンダー平等政策推進の、機動性を損なうことになります。また、NPOにおいても女性が男性よりも不安定・低収入で雇用される傾向が指摘されている現状で、経済効率優先の視点から民営化(NPO法人化)を進めた場合、女性差別撤廃に携わる職員(その多くが女性です)自身が女性ゆえの不安定・低収入雇用で働くという、矛盾におちいりかねません。会館で働く専門性の高く経験の豊富な職員あればこそ、国立女性教育会館はジェンダー平等政策推進のナショナルセンターたり得ます。職員の方たちが安心して職務に従事できる環境の確保という観点の無いまま、国立女性教育会館をいわゆる単なる「ハコモノ」としてとらえ、財政削減の対象とすることには、疑問を感じざるを得ません。

以上の理由から、独立行政法人・国立女性教育会館の他機関との統合および民営化(NPO法人化)に、私たちは強く反対いたします。

投稿日: 2011年10月25日 カテゴリー: アピール

第三次男女共同参画基本計画・中間整理に対する要望書

日本女性学会第15期幹事会一同

はじめに

わたしたちひとりひとりが、二分法の性別にこだわることなく、どれだけ充実した生活を互いに協力して平等に築いていくことができるのか。ジェンダー平等な社会の実現は、21世紀の日本社会において最重視されるべき課題の一つです。男女共同参画関連の施策は、もともとは女性が受けている社会的不利益の解決のための女性施策から出発しています。社会経済的な面での男女間の格差は依然として存在していますし、暴力および性暴力の被害が女性に集中していることも近年ますます明らかになっているところです。女性が置かれている状況に注目することによって、女性と対比的な位置にある男性もまた、現在の固定的な役割分業や性別特性論を強制する社会システム下で抑圧されている実態が浮かび上がってきています。
1979年設立の日本女性学会は、30年以上にわたり、女性および女性と男性との関係に関わる諸問題について、さらに「女性と男性との関係の問題」という二項対立によって隠されてしまう他の格差について、学際的研究を蓄積してきました。そして、人間性・人権・多様性を尊重する立場から今日の社会状況を変革することを目指してきました。日本社会が抱える男女平等に関する課題の解決のために、これを基礎とした人間の平等にかんする課題の解決のために、当事者主義に立ち、自らと他者の尊重を同時に追求する視点を備えた女性学およびジェンダー研究と教育が果たすべき役割は重大であると考えます。
にもかかわらず、女性学・ジェンダー研究は高等教育機関においていまだ周辺的な位置にとどまり、女性学・ジェンダー研究の知見を踏まえた初等・中等教育における教育実践も十分に発展してきているとは言い難い状況があります。とりわけ、21世紀初頭に隆盛した、誇張や曲解にもとづく「過激な性教育」「ジェンダーフリー教育」批判によって、子どもたちの人権を尊重する教育/ジェンダー平等について考えさせる教育の実践が困難な状況が生まれていることは、危急に改善されるべき問題と考えます。また、女性学・ジェンダー研究にたずさわる者の研究機関への就職難、とりわけ若年層にひろがっている任期付き雇用など不安定な雇用状況の拡大という問題も存在します。
女性学およびジェンダー研究の社会的意義の大きさに比べて、その発展が不十分なままにとどまっている実態を鑑みて、第三次男女共同参画基本計画には、男女共同参画社会の実現のために不可欠な学問的営為である、女性学・ジェンダー研究をサポートする施策をぜひとも盛り込んでいただきたいと考えます。

以下、具体的に5つの項目について要望します。

1)労働教育の充実について

「第4分野 雇用等の分野における男女の均等な機会と待遇の確保」に関して、「(9)(原文は○の中に9)男女雇用機会均等法等関連法令、制度の周知については、労使を始め社会一般を対象として幅広く効果的に行うとともに、学校においてもその制度等の趣旨の普及に努める」とありますが、いま女性がおかれている雇用環境からみて、このような教育では不十分だと考えます。単なる制度趣旨の周知にとどまらず、労働者としての権利の具体的内容や、組合や労働基準監督署等の相談・申告・係争の諸方法にまで踏み込んだ、実効性ある労働教育の実施を求めます。また、20歳代でも女性の非正規雇用率が6割を超える現在、正規雇用に就いていることを前提とした労働教育ではなく、非正規雇用者にも有用な情報が得られる教育内容であることが、女性のさらなる貧困化を防ぐ上で重要だと思います。そうした視点からの労働教育を定義し、学校教育に導入する必要性を明記することを要望します。

2)就学経路上の格差是正について

「第10分野 男女共同参画を推進し多様な選択を可能にする教育・学習の充実」に関して、「大学、大学院への女子学生の進学率も上昇しているほか、女性教員の数が増加した」と現状を肯定的に評価する記述がありますが、四年制大学にしぼると男女間格差は依然として残っていますし、大学院への進学率は女子のみならず男子についても高くなっており、男女を比較するとそこでも男女間格差は明白です。第二次基本計画で明記している「ミレニアム開発目標」の実現は、2015年までにすべての教育レベルにおける男女格差を解消することを達成目標としています。2015年までわずかの時間しか残されていません。よって、すべての教育レベルの格差解消を実現するために、四年制大学や大学院進学、従来女子が少ない科学技術分野の進学に関して、女子対象の奨学金やクォーター制度の導入など、積極的是正策(アファーマティブ・アクション)を取り入れることを具体的な施策として盛り込むことを要望します。

3)女性関連施設の積極的位置づけについて

「第10分野 男女共同参画を推進し多様な選択を可能にする教育・学習の充実」に関して、「1 男女平等を推進する教育・学習」には、(6)において独立行政法人国立女性教育会館の役割が」位置付けられていますが、各地の女性センター等女性関連施設の位置づけがありません。「第13分野 地域における男女共同参画の推進」においては地域活動の拠点として位置付けられていますが、これだけでは各地域の女性センターが、地域における学習活動のファシリテーター的役割や、各地域に密着したジェンダー統計の収集や研究の拠点としての役割を、担う必要があるということが不明確になってしまいます。(5)の「社会教育において・・・醸成されるよう、地域における学習機会の提供を促進する」との文言を、「醸成されるよう、各地方自治体の女性センター等女性関連施設を活用し、地域における学習機会の提供を促進する」に変更するなど、女性関連施設の積極的位置づけを盛り込むことが必要です。
現在、女性・男女共同参画センターの多くが、ジェンダー平等・男女共同参画社会形成に専門的知識技能をもつ職員を、不利な条件の非正規・非常勤雇用し、それら職員に事業・サービスの大部分を依存している実態があります。また「ジェンダー平等、男女共同参画社会形成に専門的知識技能」に基準や制度的裏付けがないことも大きな課題となっています。地方自治体の男女共同参画社会形成の拠点施設である女性・男女共同参画センターで、学習研修、相談、情報、調査研究等の専門業務にあたる職員の雇用条件の改善と雇用・任用に係る制度整備を要望します。

4)女性教育・研究関係者の不安定雇用状況の改善について

「第10分野 男女共同参画を推進し多様な選択を可能にする教育・学習の充実」および「第11分野 科学技術・学術分野における男女共同参画」では、それぞれ「I これまでの施策の効果と・・・十分に進まなかった理由」が述べられていますが、これらの現状認識には近年の学校教育機関および研究・学術機関における非正規雇用化の進展によって、たくさんの女性の教育・研究関係者が不安定な待遇におかれることになったことが、まったく視野に入っていません。これらの女性の不安定待遇の解消なくしては、女性比率の抜本的な向上は望めないということを、明記することを要望します。

5)人権・性的多様性を尊重した性教育の必要性について

「第10分野 男女共同参画を推進し多様な選択を可能にする教育・学習の充実」に関して、いずれの教育段階についても、男女平等および性的多様性尊重の視点を踏まえた性教育の必要性についての記述がありません。「男性に甘く/女性に厳しい」性道徳のダブルスタンダードを批判し、自他の人権を尊重した性行動をうながすような教育が必要だとする指摘がぜひとも必要です。また、多様なセクシュアリティをみとめる/セクシュアル・マイノリティの権利擁護の視点を含めることは、国際的な人権尊重の流れがもとめるものであると同時に、国内的にも当事者から強く要求がだされている点であり、教育において充実すべき重要な課題です。21世紀初頭に生じた「過激な性教育」「ジェンダーフリー教育」バッシングは、事実を歪曲・誇張した批判であることが多く、当時のバッシングによって性教育やジェンダーに関わる教育実践は後退を余儀なくされてきました。学校現場や行政施策における「人権尊重・平等の視点からの性教育」や「性的マイノリティに対する差別・人権侵害解消のための教育活動」を本来あるべき状態にもどし、さらに充実したものに発展させるために、それらの教育の必要性を明確に謳った文言を含めるべきだと考えます。教育関係者が安心して子どもたちに人権・多様性尊重の視点からの教育をおこなう環境、換言すれば、すべての子どもたちが安心して自他の権利やセクシュアリティに関して学べる環境を整えていただくことを要望します。

おわりに

男女共同参画社会基本法が施行されて、10年が経ちました。何が実行されて、何が実行されていないのか。今こそ、立ち止まって考えるときです。
計画をつくることが目的ではないこと、そして、計画を実行することこそに意義があること、これらの観点から、第三次男女共同参画計画が実効性を伴う計画となるよう、要望いたします。

民法改正に関する要望書

2010年4月16日
内閣総理大臣鳩山由紀夫様
日本女性学会15期幹事会代表   木村涼子
事務局〒272-0023千葉県市川市南八幡1-16-24

民法改正に関する要望書

法務大臣の諮問機関である法制審議会が夫婦同姓の強制、婚外子の相続分差別、男女別で異なる婚姻年齢や女性のみに課せられた再婚禁止期間など、多くの差別的規定の改正を含んだ民法改正を答申してから14年が経過しました。
この間、国連自由権規約委員会、また昨年8月には女性差別撤廃条約の日本での実施状況を審査していた国連の女性差別撤廃委員会から日本政府に対して民法改正を勧告したことはご承知のことと存じます。委員会は、女性差別撤廃に向けた政府の取組みを「不十分」として期限を切り迅速な対応を求めています。
国内の世論を見ましても2006年の内閣府調査によると60歳未満の各層で、男女とも夫婦別制選択制は賛成が反対を上回っています。
しかしながら、法務省は、96年の答申案とほぼ同じ内容の政府案を準備しているにかかわらず、与党の一部による選択制夫婦別姓の導入に対する強い反対で閣議決定が見送りになったことを私たちは極めて遺憾に思います。
日本女性学会は, 1979年に設立されて以来、女性差別撤廃に向けて国際的な動きに連動しつつ研究・教育・実践の分野で活動を続けてきました。
政権交代が実現した現在、性差別解消に向けた政策として、まずは鳩山政権において民法改正が実現されることを強く要望します。

日本女性学会15期幹事   代 表  木村涼子(大阪大学)
代表代行 海妻径子(岩手大学)
幹事 秋山洋子、伊田久美子、清末愛砂、渋谷典子、内藤和美
船橋邦子、三井まり子、牟田和江、諸橋泰樹、柚木理子
吉原玲子

独立行政法人・国立女性教育会館に関する要望

2007年12月5日
内閣府特命担当大臣
行政改革担当 渡辺喜美様

独立行政法人・国立女性教育会館に関する要望

日本女性学会第14期幹事会

独立行政法人・国立女性教育会館は1977年創立以来、女性差別撤廃、男女平等社会の実現のための情報発信、女性(ジェンダー平等を求める人たち)のための学習の場、活動拠点として、極めて重要な役割を果たしてきました。ここで学んだ女性たちが、全国各地、自分の地域においてリーダーとして地域に大きく貢献してきたことは、30周年記念式典に参加した多くの女性たちが、その歴史の重みを物語っていたことで証明されています。また国際的な女性の人権確立運動が広がる中、女性差別撤廃条約批准国として、世界各国の女性運動・女性学・ジェンダー研究の動きと連携し、日本の中核機関としての機能を発揮してきたことを私たちは高く評価するものです。

一方、わが国の女性の政治的、経済的、社会的地位は現在もなお低く、GEMは40位前後、「世界経済フォーラム(WEF)」発表のジェンダーギャップ指数は91位といった現状です。

このような現状を変えていくためには、独立行政法人・国立女性教育会館がナショナルセンターとして存在し続けることが不可欠です。目的の異なる機関との統合やその民営化は、本来の目的である独立行政法人・国立女性教育会館の機能を弱体化することになります。また国際的にも日本はジェンダー平等政策を後退させているのだというメッセージを発することになります。そうした点を私たちは危惧するものです。その意味で私たちは他の機関との統合およびその民営化に強く反対します。

以上

日本女性学会による、柳澤大臣発言に関する意見書

2007年2月2日
日本女性学会第14期幹事会および会員有志

 柳沢伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。
これは、子育て支援を司る行政の長としてまことに不適切であり、即刻辞任されるよう強く求めます。

大臣の発言には、以下のような問題があると、私たちは考えます。

第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。

第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。

第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。リプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方は、カップル及び個人が子どもを産むか産まないか、産むならいつ、何人産むかなどを自分で決めることができること、そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。

第四に、子どもを多く産む女性(カップル)には価値がある(よいことだ)、産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。

第五に、少子化対策を、労働環境や社会保障の制度改善として総合的に捉えず、女性の責任の問題(女性各人の結婚の有無や出産数の問題)と捉えることは、誤った認識です。子どもを育てることは、社会全体の責任にかかわることであって、私的・個別的な家族の責任としてだけ捉えてはなりません。

第六に、「産む(産まれる)」という「生命に関する問題」を、経済や制度維持のための問題(数の問題)に置き換えることは、生命の尊厳に対する危険な発想といえます。もちろん、出産を経済、数の問題としてとらえることが、社会政策を考える上で必要になる場合はありえます。しかし、社会政策はあくまで人権擁護の上のものでなくてはならず、生命の尊厳への繊細な感性を忘れて、出産を国家や経済や社会保障制度維持のための従属的なものとみなすことは、本末転倒した、人権侵害的な、かつ生命に対する傲慢な姿勢です。

以上六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。
柳澤大臣の発言にみられる考え方は、安倍首相の「子どもは国の宝」「日本の未来を背負う子ども」「家族・結婚のすばらしさ」などの言葉とも呼応するものであり、現政権の国民に対する見方を端的に表しているものと言えます。2001年の石原慎太郎「ババア」発言、2002年の森喜朗「子どもをたくさん生んだ女性は将来、国がご苦労様といって、たくさん年金をもらうのが本来の福祉のありかただ。・・・子どもを生まない女性は、好きなことをして人生を謳歌しているのだから、年をとって税金で面倒をみてもらうのはおかしい」発言も同じ視点でした。産めない女性に価値はないとしているのです。少子化対策が、国のための子どもを産ませる政策となる懸念を強く抱かざるを得ません。

小泉政権に引き続いて、現安倍政権も、長時間労働や格差、非正規雇用差別を根本的に改善しようとせず(パート法改正案はまったくの骨抜きになっている)、障害者自立支援法や母子家庭への児童扶養手当減額、生活保護の母子加算3年後の廃止などによる、障がい者や母子家庭いじめをすすめ、格差はあっていいと強弁し、経済成長重視の新自由主義的優勝劣敗政策をとり続けています。ここを見直さずに、女性に子どもを産めと言うことこそ問題なのです。したがって、今回の発言は、厚生労働省の政策そのものの問題を端的に示していると捉えることができます。

以上を踏まえるならば、安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。以上の理由により、柳沢伯夫厚生労働大臣の速やかな辞職と、少子化対策の抜本的変更を強く求めるものです。

以上

教育基本法「改正」に関する緊急声明

11月16日、教育基本法改正案は、野党欠席という異常事態の下、自民・公明の連立与党による単独採決によって衆議院を通過し、現在、参議院での審議に入っている。教育に関わる憲法とも言われる重要な法律の改正が、十分な審議を尽くさないままに遂行されようとしていることに対して、日本女性学会はここに声明を発するものである。

今般の教育基本法「改正」の与党案については、実に多くの個人および団体から疑問や反対意見・声明が提出されており、議論すべき点は多方面にわたっている。改正案には、日本女性学会が結成の柱とする「あらゆる形態の性差別をなくす」という観点からも、看過できない種々の問題点がふくまれている。

まず、現行第5条「男女共学」(「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」)の削除は、教育分野における男女平等の根幹をゆるがすものである。この条項は、戦前の学校教育システムが男女別学・別学校体系により女性差別を制度化していたことへの反省に基づき、男女共学の基本を謳ったものである。現在もなお、高等教育進学率における男女間格差や、後期中等教育および高等教育での専攻分野における男女比率のアンバランスなど、就学経路上の男女平等を確立する課題は山積している。女性学研究は、そうした就学経路上の男女格差が社会的・文化的に生み出されるプロセスや、教育における男女間格差が雇用などの性差別の問題とつながっていることなどを明らかにしてきた。第5条の削除は、それらの課題解決の進展を阻むのみならず、男女特性論に基づいた公立の別学校を新たに誕生させるなど、男女をことさらに区別した教育を展開させる誘因になるのではないかと強く危惧する。

その危惧は、現行法には存在しない「家庭教育」と「幼児期の教育」という二つの新設条項についてもあてはまる。「父母その他の保護者」の「子の教育」に関する「第一義的責任」をさだめた第10条「家庭教育」と、「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」と謳った第11条「幼児期の教育」は、教育や福祉の分野を、国家の責務から「家庭」の責務に転換していく方向性をもつものであり、さらには「母性」や固定的な性別役割分担の強調につながる危険性がある。

一方、改正案は、第2条「教育の目標」第3号(「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」)の中に、現行法には含まれていない「男女の平等」という理念を掲げている。しかし、そもそもこの第2条そのものが、国民に求められる「徳目」をさだめる性格をもち、私たちの精神的自由を侵す危険性をはらんだものである。男女平等は国民にとっての権利であり、名宛人を国家とする教育基本法においては、「教育上男女の平等は保障されなければならない」といった国家の責務をさだめる条項として位置づけられるべきである。にもかかわらず、改正案における「男女の平等」は、国民にもとめられる「徳目」として掲げられており、その位置づけには大きな疑問が残る。

同じく第2条第5号(「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」)は、愛国心を強制するものとして幅広い抗議を巻き起こしているが、この条項については性差別の撤廃という観点からも、重大な問題がある。この条項に含まれる「伝統と文化の尊重」という文言は、近年のジェンダー・フリー・バッシングのなかでさかんに使われているフレーズであり、「伝統や文化」といった多義的でしかあり得ない概念によって定義された「教育の目標」条項が、今後政治的に利用されていく可能性は極めて高い。

その可能性は第2条全体に対して言えることであり、この条項と、現行法第10条「教育行政」を「改正」した第16条第1項(「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」)とが連動することにより、「教育の目標」に沿わないと解釈された教育実践や教育運動は、「不当な支配」に相当するものとして排斥されていくだろう。現行の教育基本法第10条が、戦前の反省を踏まえて目指した、国家権力の中枢に近いところに位置する「官僚とか一部の政党」(昭和22年3月14日衆議院・教育基本法案委員会・政府委員答弁より)による「不当な支配」の排除とは、まったく逆の方向への「改正」と言わざるを得ない。

多くの課題を残したまま、広範な抗議の声を無視して、政府与党は、近々12月8日にも教育基本法改正案の成立を目指している。日本女性学会は、性差別の撤廃という設立の趣旨を貫く立場から、今般の教育基本法「改正」の動きに強く抗議するものである。

日本女性学会 第14期 幹事会
2006年12月 1日

学会活動の自由と公正のための宣言

2006年6月10日
日本女性学会総会において採択

学会において、それぞれの会員が自由に活動をするためには、他人の権利の侵害、不当な差別やいやがらせ、研究活動上の不正のない、公正で対等な関係が不可欠である。
この宣言は、学会活動を十分に行う環境を作るため、日本女性学会の基本的姿勢を確認するものである。本学会は、「あらゆる形態の性差別をなくし、既成の学問体系をこえた女性学の確立をめざし、そのため、研究および情報交換を行なうこと」(本会規約)を目的としている。会員は学会の目的に反する活動をしない。また、あらゆる形態の差別をしないことに加え、今日新しく提起されているハラスメント行為についても視野に入れ、これを行わないことを確認する。

  1. 会員は、人種、民族、国籍、宗教、障がい、門地、年齢、容姿、性別、性自認、性的指向、婚姻上の地位、子どもの有無、その他あらゆる形態の差別をしない。
  2. 会員は公正に研究、調査活動を行う。調査対象者、研究協力者などのプライバシー権や人格権を尊重し、不利益を与えることをしない。
  3. 会員は、学生や院生、オーバードクターやポストドクター、研修員等も含め指導している者、雇用している職員や同僚など誰に対してもセクシュアル・ハラスメントおよびアカデミック・ハラスメントをしない。
  4. 会員は、直接・間接の監督・指導・評価などにおける職業上の地位を利用した搾取をしない。
  5. 会員は、公正に学会活動を行う。学会活動には、学会誌紙の編集発行、大会、研究会の運営や発表、参加などの他、学会を運営するあらゆる事柄を含む。
  6. 学会は、この宣言を実現するため、必要に応じて規程およびガイドラインを設ける。

「女性学/ジェンダー学」および「ジェンダー」概念バッシングに関する日本女性学会の声明

最近、一部のメディアや政治活動において、ジェンダー概念や男女共同参画の理念を曲解した「ジェンダーフリー」批判が強まっている。この動きが、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「女性学」、「性教育」等の教育実践や「男女共同参画社会」、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」等の行政施策への揺り戻しにまで拡大している事態に鑑み、日本女性学会はここに声明を行うものである。

人間の平等の重要な構成部分をなす男女平等の理念は、長い歴史の中で多くの先人たちの努力によって追求されてきた崇高なものである。20世紀後半に展開した「女性学」、「男性学」、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「セクシュアリティ研究」、「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」、「クィア研究」等の学問は、いずれもこの理念を具現化したものとしてある。そして、これらの学問の中で中心的な役割を果たした概念が「ジェンダー」であり、この概念は現在、国際的な学術用語として確立し、学問領域を超えて分析に使用されている必要不可欠な概念の一つとなっている。
すなわち、今日では、階級や民族といった従来の分析概念とならんで「ジェンダー」に敏感な視点なしには、人間存在の多様性に配慮した豊かな分析・認識はありえない。これが国際的・領域横断的な学界の常識であることは、これまで「ジェンダー」に関連する文献が、世界中のどれだけ多くの分野にまたがって生み出されてきたかを見れば一目瞭然であろう。この蓄積を消滅させることは誰にもできない。

国連が1975年を「国際女性年」とし、続く10年を「国連・女性の10年」と定めて以降、国際的にも女性の地位向上、男女平等の施策が積み重ねられてきた。例えば、わが国も批准している女性差別撤廃条約やILO156号家族的責任条約は男女平等を推進する重要な思想に立脚したものであり、これらにおいては、男女の役割・生き方を従来のように本質主義的・固定的にとらえることが批判され、ジェンダー不平等を解消する上で、男女個々人がそれぞれ対等な権利で自立、エンパワメント、自己決定していくことの重要性がうたわれている。こうしたジェンダー平等の視点はもはや国際標準となっており、わが国の男女雇用機会均等法や育児・介護休業法、男女共同参画社会基本法、DV防止法等もその流れの中で策定されたものである。そして、男女共同参画社会基本法は、このような流れの中で、「ジェンダー」概念を包含しつつ打ち立てられた、日本社会の民主化と進展の重要な一里塚であった。

しかしながら、今、この国際的努力の成果が、拙速な議論のもとに反故にされようとしている。「ジェンダー」という用語の使用制限の要求は学問的に見れば非常識と言わざるを得ず、もしこのような要求をもとに、関連教育や男女平等政策への介入、男女共同参画社会基本法の骨抜き(内容の後退)、ジェンダー関係の書籍の排斥などが行われるのであれば、それは、「学問の自由」に対する侵害であり、国際的・国内的に積み重ねられてきた人々の英知に対する裏切りである。「男女共同参画」の英訳が“Gender Equality” であるように、両性の平等について発言・思考するにあたって「ジェンダー」概念を用いないことなどおよそ不可能である。すでに国際標準となった「ジェンダー」概念を使用しないなどと決めれば、日本は世界に向けて有意味な学問的発信ができなくなるばかりか、侮蔑と嘲笑の対象となるであろう。

学問は真理の探究を通じて、広く人類の福祉の向上のために行われるものであり、「ジェンダー」概念は、そのための不可欠なキー概念である。今や学会においてジェンダー部会の見られないところは少数であり、どの学問分野でも従来の学問体系に対するジェンダー視点での批判的見直し(再構築)が進められている。多くの大学では、ジェンダー学あるいは女性学関連の教育プログラムが設置され、ジェンダーに関する共同研究が進められている。行政や女性センター、男女共同参画センターなどにおいても、男女平等・男女共同参画に対する啓発や教育プログラムが実施されている。豊かで公平で活力ある社会を築くこのような営みを破壊することは決して許されない。

日本女性学会は、他学会・研究機関、市民とともに、今後とも「学問の自由の擁護」と「人間解放に資する研究」への努力を惜しまぬ決意をもって、昨今の「ジェンダー」批判、「男女共同参画社会」揺り戻しの動向に抗議するものである。関連諸機関の適切な対応を期待する。

日本女性学会 第13期 幹事会
2005年7月16日