NewsLetter 第110号 2007年5月発行

日本女性学会NewsLetter

(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)

女性学会ニュース第110号[PDF] 2007年5月発行


 

学会ニュース
日本女性学会 第110号 2007年5月

2007年度日本女性学会 大会プログラム

日 時  2007年6月9日(土)・10日(日)
場 所 法政大学 市ヶ谷キャンパス
東京都千代田区富士見2-17-1
JR総武線・地下鉄各線「市ヶ谷駅」または「飯田橋駅」から徒歩10分
参加費 会員:500円 非会員:1000円
★財政状況改善のため、今年度より、会員の方にも参加費を負担していただくことになりました。なにとぞご理解下さい。

 

第1日目 6月9日(土曜日)

開場/受付 12:00
場所 外濠校舎3階
*市ヶ谷方面からの場合は正門を、飯田橋方面からの場合は逓信病院を通り越し、外濠校舎内のセブンイレブン横より、校舎にお入りください。
シンポジウム 13:00〜16:30
場所 外濠校舎3階(S305)
テーマ バックラッシュをクィアする−性別二分法批判の視点から
司会者 伊田久美子、釜野さおり
発題者 クレア・マリィ、風間孝、井上輝子
コメンテーター 田中玲、金井淑子
コーディネーター 風間孝
総会 17:00〜18:15
場所 55年館5階(553)
*この間非会員の方にはビデオ上映を行います。場所:55年館5階(554)
懇親会 18:30〜20:00
場所 ボアソナードタワー26階(ラウンジ)
会費(予定) 4000円
(学生・院生・OD等、常勤職に就いていない方は2000円)

 

第2日目 6月10日(日曜日)
個人研究発表・ワークショップ プログラム

受付 9:30
場所 富士見坂校舎3階
*この日は、すべて富士見坂校舎3階で行われます。
分科会名(部屋)/報告者/テーマ
【午前】10:00 〜 12:30
第1分科会(F305)
(パネル)  「女性同性愛(者)の表象とポリティックス」
黄綿史 近代日本における女性同性愛者ー新聞記事に見る問題化の位相
堀江有里 レズビアンの自己表象と承認をめぐって−カミングアウトに関する一考察
飯野由里子 差異を含む<わたしたち>をどのように語ることができるのか?
第2分科会(F306)
江島絵里子・
内海崎貴子
保育場面における保育者のジェンダー意識について
佐藤恵子 男性の意識の変化と男女共同参画社会への展望−青森県男性の男女共同参画に関する意識調査を基に
多田良子 性サービス業における男性利用者の考察−インタビュー調査をもとに
第3分科会(F307)
谷村和枝 民間シェルターの避難者分析から見えてくる21世紀日本の人身売買
水野桂子 中高年期女性の主体的力量形成−地域社会での学習活動から
四之宮玲子 ブルデュー理論と現代家族におけるマルトリートメント
第4分科会(F308)
衛藤幹子 女性の過少代表とクオータ制度−特定集団の政治的優先枠をめぐる考察
堀久美 「新しい公共」における女性の活動の可能性−相互依存を認める社会をめざして
村上潔 「男女平等」か「女の分断」か−1975年「国際婦人年」以降のリブ運動を切り分ける論点
【午後】13:50〜15:30
第5分科会 (F305)
三宅えり子 日本型フェミニズム理論構築への模索
荒木菜穂 フェミニズムと個人との距離、再考
第6分科会 (F306)
渡辺みえこ 日本文学の中のレズビアン表象
吉野靫 大学におけるジェンダー・セクシュアリティ課題の現状ー立命館大学の事例から
ワークショップ(1) (F307)
二瓶由美子
宇野朗子
山本有紀乃
ポルノグラフィと性行動−スライドショーとアンケート結果を使って
ワークショップ(2) (F308)
幹事会 もっと話そう!「バックラッシュをクイアする−性別二分法批判の視点から」

■大会事務局からのお知らせとお願い

  • 宿泊については、各自手配をお願いいたします。
  • 大会開催中の託児をご希望の方は、5月25日までに幹事の海老原暁子までメールでご相談ください(akoeby●rikkyo.ac.jp)。
  • 書籍販売を希望する方は、5月25日までに幹事の釜野さおりまでメールで申し込んでください(s-kamano●ipss.go.jp)。ご連絡をいただいた後、荷物の送付先等についてお知らせいたします。
  • 懇親会は当日受付にて申し込んでください。

(●を@に置き換えてください)


シンポジウム

バックラッシュをクィアする
−性別二分法批判の視点から−

 

■大会シンポジウム趣旨説明

コーディネーター 風間孝

ジェンダー・フリー・バッシングには、「男女共同参画」や「ジェンダー」概念への反感だけでなく、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーへの嫌悪感(ホモフォビア、レズボフォビア、バイフォビア、トランスフォビア)が根深く含まれている。このことは、バッシングが性的少数者を含むセクシュアリティのありかたを攻撃の対象としていること、すなわち、性別二分法規範と相容れない性のありかたやその規範を疑問に付す実践に対する攻撃であることを示しているといえるだろう。

しかしながら、バッシングに対するフェミニズム側からの対抗言説は、これらの「フォビア」を分節化し、そのうえで十分な批判や反論を行ってきただろうか。また、あえて触れぬことで、「フォビア」を温存する傾向はなかっただろうか。「フォビア」や「セクシュアリティ」への対応の不十分さは、ある意味でバックラッシュに対抗する上での「アキレス腱」であり、そこをバックラッシュ側につけこまれてきたとも考えられる。

また、ジェンダー・フリー・バッシングとほぼ同時期に生起した「過激な」性教育バッシングは、近年の若者の性の「乱れ」や、性的少数者に焦点を当てた教育実践への批判をつうじておこなわれてきた。性教育バッシングの顕在化に対して行政や学校現場では、これらの動きを意識するあまり、これらの教育実践を規制しようとする風潮も生じている。「過激」な性教育バッシングもまた、若者の性や「フォビア」を含むセクシュアリティに関して議論が不十分なところを狙って行われているのである。性教育バッシングに対抗するには、若者の性や「多様な」性のありかたを含んだ、セクシュアリティそのものをどのように認識していくのかという根本的な議論が必要とされている。

ジェンダー・フリー・バッシング、そして「過激」な性教育バッシングからなる一連のバックラッシュに対抗するには、ジェンダーとセクシュアリティを切り離すことなく、その関係性について改めて考え、認識を深めることが必要とされているのである。

本年度の大会シンポジウムにおいては、クィア・スタディーズのアプローチ、すなわちジェンダーとセクシュアリティの非因果的であるが切り離すことのできない関係を問い、かつジェンダーやセクシュアリティの認識における二元論的な図式(性別二分法規範)を問うていくアプローチを踏まえつつ、(1)バックラッシュにおけるジェンダーとセクシュアリティの絡み合いを正面から取り上げ、(2)ジェンダーへの焦点化に偏りがちであったバックラッシュへの対抗言説にセクシュアリティの視点を導入する意義を確認し、(3)そのことがバックラッシュに反撃するうえで不可欠であることを共有していきたい。

■発題者から

 

バックラッシュにおけるさまざまなフォビアの解読

クレア・マリィ

ジェンダーとセクシュアリティは非因果的であるが切り離すことのできない関係にあることは、ジェンダー研究やセクシュアリティ研究において繰り返し指摘されてきている。しかしながら、ジェンダーやセクシュアリティ規範における二元論的な構造、つまり「性」を「女」と「男」にし、性愛を「同性愛」と「異性愛」とする構造が社会文化的な「常識」として広く共有されていることも認めざるを得ないのである。

ジェンダー・フリー・バッシングにおいては、この二元論的構造に基づいて「女」「男」たるものを守り通すのみならず、固定的な性規律に基づく性愛、つまり「イエ制度」に根ざした「子孫」を残すものとしての性愛を守ることが重大な目標でもある。その動きのなか、性二分法に基づくディスコース以外のものを認めないだけではなく、「常識的」な性規範からの「逸脱」を「脅威」として位置づけていくのである。その結果、様々な「フォビア(恐怖/嫌悪)」が生産されていくのである。よって、ジェンダー・フリー・バッシングへの対抗ディスコースにおいても、矛盾した形で生じている様々な「フォビア(恐怖/嫌悪)」に、占有されることなく立ち向かえるかが重要な問題となるのである。

ここでは、ホモフォビア、レズボフォビア、バイフォビア、トランスフォビアを、ジェンダー・フリー・バッシングと切り離して解読するのではなく、これらの「フォビア(恐怖/嫌悪)」が性別二分法規範のもとで生じているジェンダー・フリー・バッシングの異なる表出であることを確認していく。さらに、それが「子孫」「イエ」「国」または、「ジェンダー」「性」の名の下に行われている性愛規制の行使やクィアな人々に向けられる制度上の暴力でもあることを顕在化させたい。

性教育バッシングにおける若者のセクシュアリティと性的マイノリティ

風間孝

ジェンダー・フリー・バッシングの言説には、同性愛(者)への嫌悪や恐怖(ホモフォビア)に関する記述がしばしば登場する。また、ほぼ同時期に生起した「過激な」性教育バッシングは、性的マイノリティに焦点を当てた教育実践を批判の対象としてきた。しかしながら、反バックラッシュの対抗言説においては、ジェンダーの視点を中心に組み立てられ、性的マイノリティや若者の性といったセクシュアリティをめぐる論点については、これまで十分に分析されずに放置されてきたのではないか。

この報告では、2002年から2004年にかけて国会において展開された『思春期のためのラブ&ボディBOOK』をめぐる性教育論争を中心に分析することをつうじて、
[1]バックラッシュ派は、
a)若者の性をめぐる環境・状況の大きな変化に対して、「モラル」を強調することで対処しようとしていること、
b)伝統的な家族や性のあり方を破壊する教育実践として、ジェンダーフリー教育と「過激」な性教育を捉えていること、
c)さらに、ジェンダーフリー教育による性差の消失を国家的な危機として捉えていること、
d)性差の消失した「中性人間」の一部に同性愛者を含めていること、
を明らかにしたい。

そのうえで
[2]バックラッシュ派がジェンダーフリー教育の結果生み出されると主張する「中性人間」に対して、反バックラッシュの言説が、「私たちはセックス(生物学的性差)の差異を無視していない」と反論するとき、セックスにおける差異の肯定が異性愛の自然化(ヘテロセクシズム)を生み出し、同性愛嫌悪が潜む可能性について検討したい。

バックラッシュにおける性別二分法の再構築

井上輝子

バックラッシュにおけるフェミニズム攻撃は、扇情的で非論理的な標語の羅列が多く、筋道をたどることがなかなか難しいが、あえて論点を整理すると、1)生物学的性差決定論に基づく「女/男らしさ」の強調 2)性別役割分担家族の理想化 3)女性の存在理由を生殖能力に還元 4)「性の二重基準」を前提とした禁欲主義的性教育論などが、骨子となっている。

ここでは、生物学的性別、ジェンダー・アイデンティティ、及び社会的な性別役割の遂行が一貫して男性であり、性的指向が女性に向かう異性愛の「男性」を、それ以外の性別と区別し特権化する性別二分法が、背後仮説として前提されている。

こうした性別二分法は、戦前のイエ制度ならびに戦後の家族制度下で社会通念化されていたジェンダー・イデオロギーの再現ともいえる内容である。また、1970年代以来のフェミニズム運動、女性学・ジェンダー研究ならびに、国連をはじめ、政府・自治体で展開されてきた性差別撤廃政策が批判し、解体しようとしてきた相手は、まさに、この性別二分法の思考法であり、それに基づく性別二元制の社会システムであったはずだ。

こうした歴史の流れを揺れ戻す性別二分法イデオロギーは、単にいわゆるバックラッシュ派の論客によって喧伝されるのみならず、反フェミニズム感情ないし嫌フェミニズム感情の蔓延に乗って、国会や地方議会での論議にも登場し、条例や法制度の改変にまで到る危険なしとしないほど、今の日本の状況は緊迫している。

今回の報告では、バックラッシュによって再構築されつつある性別二分法イデオロギーを、あらためて批判の俎上に乗せ、フェミニズム・女性学・ジェンダー研究が立つべき立脚点を再確認したい。


個人研究発表・ワークショップ

6月10日(日) 午前10:00〜12:30

 

第1分科会(富士見坂校舎 F305)

司会:風間 孝

 

パネルテーマ:女性同性愛(者)の表象とポリティクス

(1)近代日本における女性同性愛者—新聞記事に見る問題化の位相

黄 綿 史

本報告では近代日本で女性同性愛が周縁化された過程について述べる。現代では同性への性的指向という共通項のもと同一カテゴリーにくくられるが、大正期における問題化の位相はジェンダーや階級によって異なっていた。大正期の同性愛に関する記事を分析すると、男性同性愛は犯罪性が強調される一方、女性同性愛に関しては富裕層の女性に限り危険視されている。それに対し下層階級の女性に関しては特に危険視されていない。

(2)レズビアンの自己表象と承認をめぐって—カミングアウトに関する一考察

堀江 有里

同性愛者の自己表象は、カミングアウトという社会的行為によって示されてきた。その行為は、ときに、異性愛主義という社会規範への「抵抗」の手法として表現される。しかし、レズビアンにとってのカミングアウトは、ただ「抵抗」の側面のみならず、「女」であるというジェンダーもあわせ持つがゆえに、ゲイのそれとは差異が生じる。本報告では、カミングアウトは、レズビアンにとって、いかなる意味をもちうるのかを、レズビアンによる自己表象と他者による承認の問題をめぐって考察する。

(3)差異を含む<わたしたち>をどのように語ることができるのか?

飯野由里子

アイデンティティ・ポリティクスの終焉がいわれて久しい。他方、日本のレズビアン・ポリティクスでは、未だレズビアンの「不可視化」が乗り越えられるべき課題の一つだとされている。本報告では、差異を含む〈わたしたち〉をどのように語ることができるのか?という問題意識から、レズビアンである〈わたしたち〉の内部の差異や亀裂によりセンシティブな表象のポリティクスの可能性を模索する。

第2分科会(富士見坂校舎 F306)

司会:内海崎貴子

(1)保育場面における保育者のジェンダー意識について

江島絵里子・内海崎貴子

子どものジェンダー形成において保育者の持つ役割は非常に大きい。その観点から報告者は2005年、保育園に勤務する職員たちのジェンダー意識に対する質問紙調査を行った。本報告においては、質問紙調査での結果を元に、実際の保育場面において保育者たちにどのようなジェンダー意識が働いているのかについて、保育者たちの生の声から分析し、明らかにしたい。

(2)男性の意識の変化と男女共同参画社会への展望−青森県男性の男女共同参画に関する意識調査を基に

   佐藤 恵子

男女共同参画社会の実現に向けて、これまでの仕事中心の男性の生き方の変更が大きな焦点になってきている。そのような中で、平成18年度に青森県の委託を受けて実施した「青森県男性の男女共同参画に関する意識調査」結果を基に、男性の意識の変化の現状を明らかにするとともに、そのような変化を男女共 同参画社会の実現につなげるための課題について考察 する。

(3)性サービス業における男性利用者の考察−インタビュー調査をもとに

  多田 良子

本研究の目的は、性サービス業を利用している男性への質的調査から彼らの利用に関する意識を考察することにある。性の商品化、売買春の議論において「買う側」とされる男性は問題視されつつも、彼ら自身が研究の対象となることはあまりなかった。彼らがなぜ、どのような経緯で性サービス業を利用するのか、また彼らにとって性サービス業、またそこに従事している女性はどのような存在であるのか、30人の質的データをもとに考察していく。

第3分科会(富士見坂校舎 F307)

  司会:武田万里子

(1)民間シェルターの避難者分析から見えてくる21世紀日本の人身売買

 谷村 和枝

人身「受入国」日本において、21世紀の「女性と子どもの人身売買」がどのような仕組みで発生し、問題の所在がどこにあるのかを本研究では探っていきます。具体的には、発表者自身が活動に参加している民間シェルターに避難をしてきた女児・女性たちの公開された記録を、プライバシーに配慮しつつ分析をし、現在の「人身売買」問題にアプローチします。本発表では「1」で「人身売買」を国際的組織犯罪とみなした国連定義を考察し、「2」で民間シェルターの報告や記録を検証し、「おわりに」で当該問題の所在をまとめます。

(2) 中高年期女性の主体的力量形成−地域社会での学習活動から

  水野 桂子

地方自治体の中には、国際婦人年以降、女性行政の一環として地域のリーダー育成を目的とする海外研修を長年実施してきたところがある。A県では、その研修に参加しインパクトを受けた女性たちの一部が、市民団体をつくり自主的な学習活動を継続している。本研究では、中高年期女性がグループによる学習活動 とネットワークづくりを経て、どのように主体と
して力量形成をし、地域社会においてNPOの代表、地方議会議員等として活動することが可能となったのかを考察し、その課題を探る。

(3)ブルデュー理論と現代家族におけるマルトリートメント

   四之宮玲子

家族におけるマルトリートメントの視点は、子どもに対する不適切な対応を取り上げ、大人との関係を分析していくものである。本発表では、児童虐待を現象面から捉え、虐待した大人(保護者や親)の行為をジェンダーの視点を取り入れて分析する。その内面や家族関係については、ピエール・ブルデューの「行為者」概念を用い、象徴的諸関係がもたらす結果としての象徴権力や象徴暴力の作用について考察する。

第4分科会(富士見坂校舎 F308)

  司会:船橋 邦子

(1)女性の過少代表とクオータ制度−特定集団の政治的優先枠をめぐる考察

   衛藤 幹子

選挙におけるジェンダー・クオータには、政党が任意に党の方針として行なうものと憲法や法に基づいて全政党に適用を命ずるタイプの二つがある。現在、前者は73カ国、163政党、後者は43カ国で採用されている。クオータは、女性の過少代表を是正するための極めて有効な方策であるが、その是非をめぐる論争はフェミニストの間においてさえ決着のつかない議論となっている。本報告では、まずクオータの二つのタイプの特徴を概観し、クオータ制度の是非をめぐる論争について議論する。

(2)「新しい公共」における女性の活動の可能性−相互依存を認める社会をめざして

 堀 久美

近年、NPOや市民活動への関心が高まり、それらの活動は、市民、NPO・市民団体、民間企業、「官」等の多様な主体が担う「新しい公共」として論じられている。しかし、NPO・市民団体における実践の大きな部分を女性が担っているにも関わらず、論じられる市民像は、自立して主体的に行動できる個人であり、公的/私的領域の二元的枠組みに基づいたものである。依存的な存在を切り捨てた個人をモデルとする社会を越え、活動する女性が求める、多様な人間が共存する社会、相互依存を認める社会を創造することは可能であろうか。本発表は、従来の理論をジェンダー視点で検討し、女性たちの具体的な実践事例に基づく議論から、女性の活動が相互依存を認める社会を創造する可能性を探ることをめざす。

(3)「男女平等」か「女の分断」か−1975年「国際婦人年」以降のリブ運動を切り分ける論点

 村上 潔

1975年の「国際婦人年」以降、日本国内では女性労働に関する様々な制度上の画策がなされた。特に重要なのは、1978年11月の労働基準法研究会報告に端を発する、労基法「改正」ならびに男女雇用平等法立法化の問題である。これに対しリブ運動は総じて反対の声をあげたが、その過程で「私たちの男女(雇用)平等(法)をつくる」動きと、逆にそうした動きを「女の(階層)分断」構造を強化するものとして強く批判する動きとが生まれた。この双方の論点とその差異を整理する。

 6月10日(日) 午後13:50〜15:30

 

第5分科会(富士見坂校舎 F305)

司会:吉原 令子

(1)日本型フェミニズム理論構築への模索

  三宅えり子

まず、リベラル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズムなどの欧米のフェミニズム理論が日本社会にしめる女性の位置を十分に説明できない点を指摘する。次に、思想基盤となる日本と欧米の社会構造が異なる点に着目し、それがもたらす権力構造、男女間、階層間、民族間の差異が複合的に反映される日本の労働市場や家族構造の特色を分析することにより、日本型フェミニズム理論の構築を試みる。

(2)フェミニズムと個人との距離、再考

   荒木 菜穂

近年、フェミニズムへの敵意や嫌悪感といった社会意識が、フェミニズムへのバックラッシュを支えるものとして問題視されている。一方それらの嫌悪感は、現時点での「普通の人々」の持つフェミニズムのイメージの一つと捉えることもできる。本報告では、フェミニズムや男女平等といった概念が、個人の感覚との距離で捉えなおされる現象についての考察を行いたい。またそれによりフェミニストと非フェミニストの連続性の一端を示すことができればと考えている。

第6分科会(富士見坂校舎 F306)

司会:木村 涼子

(1)日本文学の中のレズビアン表象

   渡辺みえこ

村上春樹のベストセラー、『ノルウェイの森』の重要な影の破壊者、レズビアン少女について、また二人の女_性の性愛をめぐる物語『スプートニクの恋人』の分析。村田喜代子の『雲南の妻』の女性婚の関係はなぜ続かなかったのか、雲南の母系社会と女文字、中国女工間の同性愛・金蘭契などの問題を考察。金原ひとみ『アッシュベイビー』のレズビアン表現、サド・マゾヒズムの性愛などをめぐって。

(2)大学におけるジェンダー・セクシュアリティ課題の現状−立命館大学の事例から

 吉野 靫

現在、大学においてハラスメントを始めとしたジェンダー・セクシュアリティの問題を避けて通ることはできないが、学生側がそれらの課題について主体的に改善の取り組みを行うことは珍しい。しかし立命館大学では、2002年からジェンダー・セクシュアリティを専門に扱う学生団体が活動を続けている。その活動テーマは、セーファーセックスや DV、ハラスメント、セクシュアル ・ライツと多岐に渡っている。この団体が、大学という環境の中でジェンダー・セクシュアリティの問題をどのように打ち出し、その活動を展開してきたかについて考察を試みたい。

ワークショップ[1](富士見坂校舎 F307)

  司会:海老原暁子

ポルノグラフィと性行動−スライドショーとアンケート結果を使って

二瓶由美子・宇野朗子・山本有紀乃

インターネットの普及に伴い、あらゆるメディアを巻き込みながら、ますます社会全体に増殖するポルノグラフィ。ポルノグラフィに日常的に曝露され、あるいはそれを継続的に使用することは、人々−男性だけでなく女性も−の性意識や性行動に、どのような影響を与えているのだろうか。この問題を、ワークショップでは2つの材料を用いながら考えます。1つは社会に溢れるポルノ画像。主催者が取捨した画像を実際に見ながら考えます。もう1つは、男性を対象に昨年行った「ポルノグラフィと性行動に関するアンケート」の調査結果で、その分析をとおして、日常的なポルノ使用が男性の性行動に与えている影響について考察します。今日の日本社会で生じている広範な性暴力の問題に関心を抱いている会員の皆様に、ぜひ参加していただきたいと思います。

ワークショップ [2](富士見坂校舎 F308)

 司会:伊田久美子

もっと話そう!「バックラッシュをクイアする−性別二分法批判の視点から」

 日本女性学会幹事会

第一日目のシンポジウムのテーマについて、さらに議論を深めたい。参加者の皆さんの活発な意見交換を期待しています。


柳澤大臣発言問題に対する学会からの声明についての報告

日本女性学会第14期幹事会および会員有志は、2007年1月27日の柳沢厚生労働大臣発言に関する意見書を作成し、2月2日に公表した。以下に、声明文全文を掲載する。

日本女性学会による、柳澤大臣発言に関する意見書

2007年2月2日
日本女性学会第14期幹事会および会員有志

柳澤伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。
これは、子育て支援を司る行政の長としてまことに不適切であり、即刻辞任されるよう強く求めます。
大臣の発言には、以下のような問題があると、私たちは考えます。
第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。
第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。
第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。リプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方は、カップル及び個人が子どもを産むか産まないか、産むならいつ、何人産むかなどを自分で決めることができること、そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。
第四に、子どもを多く産む女性(カップル)には価値がある(よいことだ)、産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。
第五に、少子化対策を、労働環境や社会保障の制度改善として総合的に捉えず、女性の責任の問題(女性各人の結婚の有無や出産数の問題)と捉えることは、誤った認識です。子どもを育てることは、社会全体の責任にかかわることであって、私的・個別的な家族の責任としてだけ捉えてはなりません。
第六に、「産む(産まれる)」という「生命に関する問題」を、経済や制度維持のための問題(数の問題)に置き換えることは、生命の尊厳に対する危険な発想といえます。もちろん、出産を経済、数の問題としてとらえることが、社会政策を考える上で必要になる場合はありえます。しかし、社会政策はあくまで人権擁護の上のものでなくてはならず、生命の尊厳への繊細な感性を忘れて、出産を国家や経済や社会保障制度維持のための従属的なものとみなすことは、本末転倒した、人権侵害的な、かつ生命に対する傲慢な姿勢です。

以上六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。

柳澤大臣の発言にみられる考え方は、安倍首相の「子どもは国の宝」「日本の未来を背負う子ども」「家族・結婚のすばらしさ」などの言葉とも呼応するものであり、現政権の国民に対する見方を端的に表しているものと言えます。2001年の石原慎太郎「ババア」発言、2002年の森喜朗「子どもをたくさん生んだ女性は将来、国がご苦労様といって、たくさん年金をもらうのが本来の福祉のありかただ。……子どもを生まない女性は、好きなことをして人生を謳歌しているのだから、年をとって税金で面倒をみてもらうのはおかしい」発言も同じ視点でした。産めない女性に価値はないとしているのです。少子化対策が、国のための子どもを産ませる政策となる懸念を強く抱かざるを得ません。
小泉政権に引き続いて、現安倍政権も、長時間労働や格差、非正規雇用差別を根本的に改善しようとせず(パート法改正案はまったくの骨抜きになっている)、障害者自立支援法や母子家庭への児童扶養手当減額、生活保護の母子加算3年後の廃止などによる、障がい者や母子家庭いじめをすすめ、格差はあっていいと強弁し、経済成長重視の新自由主義的優勝劣敗政策をとり続けています。ここを見直さずに、女性に子どもを産めと言うことこそ問題なのです。したがって、今回の発言は、厚生労働省の政策そのものの問題を端的に示していると捉えることができます。
以上を踏まえるならば、安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。以上の理由により、柳澤伯夫厚生労働大臣の速やかな辞職と、少子化対策の抜本的変更を強く求めるものです。


■幹事のお仕事(3) 会 計

−幹事会活動の実際を担当幹事が紹介します

「うわー、全然数字があわないよー」「どれくらい?」「軽く30万円以上・・・」「減ってるの?」「いや・・・増えてる」—また、この季節がやってきた。企業と同じ春の決算期である。
会計の日常の仕事はごくごく淡々としたものだ。請求書がくれば振り込み、入金があればそれを記録する。毎月の幹事会で領収書をもっておずおずとやってくる幹事にはギロリと威嚇しながら(嘘ですよ、ニコヤカに)立替分を支払う。
学会の収入は、会費と学会誌の売上げがほぼすべてを占める。財布を握るものとしては、昨今の会員の減少傾向が特に気になっている。主として会員が高齢化したことにより、退職に伴い退会を決断される方が多いように思う。「○年間ありがとうございました。これからも貴学会のますますのご発展をお祈りしております」と丁寧に添えられた文面など見ると時には涙も出そうになる。新規入会者の獲得、学会誌の販売促進などとともに、まだまだ改善すべき点がありそうだ。
収入に比して、支出のほうは、学会誌やニュースの発行に伴う経費、研究会や大会の開催に伴う経費、幹事会活動費や事務局費など多様である。収入の基礎的な部分の増大が見込めない以上、当然のことながら会計はシブチンにならざるを得ず、常に「どこを減らせるか」の発想に気がめいることもしばしばだ。
そして、お仕事のピークは会計の締めの作業である。学会がもっている3つの口座のお金の出入りと2人の会計幹事(今期のパートナーは合場敬子さん)のそれぞれの手持ちのお金を帳簿とつきあわせるこの作業が一年で一番つらい。「前年度繰越金+総収入−総支出=3つの口座の残金+2人の手持金」になれば万々歳。だが・・・。
冒頭のようにこの作業中には「ぎゃー」とか「ひえー」とか悲鳴が飛び交い続け、作業は何時間にも及ぶことになる。ここ数年、帳尻があわないといっても「ある」べきお金が「ない」のではなく、「ない」はずのお金が「ある」、というのがせめてもの救い(?)。いやいや、やはり、皆さんの前で監査の方に胸をはって「以上、間違いありません」と言われなければ、会計としては失格だ。
今年こそ、今年こそ、と思いながら、3年目の春を迎える。

(佐藤 文香)

■研究会報告

研究会の報告とお知らせ   (研究会担当より)

2007年の大会シンポジウム『バックラッシュをクィアする〜性別二分法批判の視点から〜』に向けて、事前研究会を3月31日(10時から12時半)に開催しました(参加者は15名)。風間孝「若者のセクシュアリティと性的マイノリティ−−性教育バッシングの影響を考える−−」と井上輝子「バックラッシュにおける性別二分法の構築」の2つの報告がありました。

風間報告では、『ラブ&ボディBOOK』をめぐる国会での論争の分析がなされ、「性別をなくすのではない、中性人間を作るのではない」等という応答の中に、同性愛者などの性的マイノリティの排除の意識がなかったかなどという問題提起がなされました。

井上報告では、バックラッシュ側が、(1)生物学的性差決定論、(2)二項対立必要論、(3)性別役割分担家族の理想化、(4)母性神話への固執、(5)性道徳強調型性教育のすすめ、などを主張しているという整理がなされ、それに対する根本的な対応が必要であるとの見解が示されました。

バックラッシュ派の「性別二分法(異性愛を前提とした男女二分法)」への批判が必要というだけでなく、フェミニズムの中の一部、行政の中の一部にも性別二分法にのっているものがあることが議論されました。それに対して、ジェンダーとセクシュアリティを総合的に把握して、豊かに「性の多様性」「ジェンダーフリー」をとらえていくことが必要であるという意見が出されました。また現実の社会において、マイノリティグループへの差別がある中で、マイノリティグループのアイデンティティを尊重した運動の意義も確認されました。したがって今後、運動戦略上の「本質主義的」なありかた(性別二分法の上での運動、当事者性尊重、アイデンティティポリティクス)と、非本質主義的な運動のありかた(ジェンダー・アイデンティティ解体、ジェンダーフリー、シングル単位、多様性)のバランスがどこにあるかの議論が必要という意見も出ました。マジョリティを均質にとらえないことの重要性も指摘されました。

他の報告者を交えての第2回研究会が必要ということになり、5月19日に開催することになりました。

第2回 2007年大会準備研究会

場所:国立社会保障・人口問題研究所 (日比谷国際ビル6階) 第4会議室
日時:5月19日(土)10:00〜12:30(13:30〜幹事会)

参加はどなたでも可能です。なお参加希望者は、事前に伊田広行(henoru●tcn.zaq.ne.jp)あてにご連絡ください。
(●を@に置き換えてください)


■2007年度会費納入のお願い

4月より、会計年度が新しくなりました。同封の郵便振替用紙にて2007年度会費7,000円をできるだけ早めにご入金くださいますようお願いいたします。


■会員からの寄贈図書

上村千賀子 『女性解放をめぐる占領政策』 2007/2
勁草書房
3,300円+税
今田絵里香 『「少女」の社会史』 2007/2
勁草書房
3,300円+税
杉山秀子 『プロメテウス:神近市子とその周辺』 2003/4
新樹社
2000円+税
山本昭代 『メキシコ・ワステカ先住民農村のジェンダーと社会変化:フェミニスト人類学の視座』 2007/2
明石書店
7,200円+税
Diana Khor and
Saori Kamano (eds.)
コーダイアナ・
釜野さおり(編)
“Lesbians” in East Asia: Diversity, Identities and Resistance 2007/1
Haworth Press
ハードカバー $40
ソフトカバー$20
伊田広行 『これからのライフスタイル』 (「仕事の絵本」第5巻) 2007/2
大月書店

図書紹介のルールが変わります!

従来ニューズレターでは、会員から学会に寄贈いただいた図書を紹介してきましたが、今後の掲載ルールを以下のように変更し、「会員からの寄贈図書」コーナーを「会員の著作紹介」に衣替えいたします(幹事会審議事項参照)。

1) 会員が執筆・編集している単行本(分担執筆含む、雑誌をのぞく)
2) 一年以内の発行物
3) ご本人からお申し出があったもの
4) 寄贈は要件としない

以上のルールで、会員のみなさまが執筆されたものの紹介をしていきたいと思います。掲載ご希望の方は、ニューズレター担当者までご連絡ください。

ニューズレター担当:伊田久美子:idak●hs.osakafu-u.ac.jp
木村 涼子:kimura●hus.osaka-u.ac.jp
(●を@に置き換えてください)


■メールニュースのお知らせ■

幹事会では、受信を希望する会員の方に、不定期に情報をお届けするメールニュースを発信しています。ニューズレターは年に4回の発行(今後3回の発行となる)ですので、その時々にお知らせしたい速報性のある情報については、メールニュースという形で提供しています。ぜひご登録の上、ご利用ください。登録のお問い合わせ等は下記連絡先までお願いします。

日本女性学会事務局 FAX: 047−370−5051

また、配信を希望される方は広報してもらいたい情報をテキストデータ形式にて、メールニュース担当幹事の 風間 孝(tkazama●lets.chukyo-u.ac.jp)までお送りください。幹事会で検討ののち、配信させていただきます。
(●を@に置き換えてください)


大会会場案内(法政大学 市ヶ谷キャンパス)


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