NewsLetter 第83号 2000年8月発行

日本女性学会NewsLetter

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女性学会ニュース第83号[PDF] 2000年8月発行


学会ニュース
日本女性学会 第83号 2000年8月

2000年春季大会報告

2000年6月17日(土)・6月18日(日)
会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館・法文2号館

第1日目:6月17日(土) 13:30〜16:30

シンポジウム 「フェミニズムと政治権力」

パネリスト/コーディネーター 大沢 真理 (東京大学社会科学研究所)
パネリスト 福島 瑞穂 (参議院議員)
大西 珠枝 (総理府男女共同参画室室長)
森屋 裕子 (スペース・フィフティ代表、
「女性を議会へバックアップスクール」主宰)
討論者 舘 かおる (お茶の水女子大学ジェンダー研究所)
進藤久美子 (東洋英和女学院大学・社会科学部)

大会シンポジウムには255名の参加があり、途中退席する人もなくパネリストらの話に熱心に耳を傾けていた。
今回のシンポジウムに対する参加者アンケート(回収率20%、51名)にみると興味深く、良かった、というのが過半数を占めていた。シンポジスト、討論もバラエティーに富んだ顔ぶれで、異なる立場からの貴重な意見を聴くことができたというのが理由である。
その反面、発表者が多いため、討論の時間がなかったことを悔やむ感想も多かった。今回のシンポジウムの趣旨である国家主義の台頭の中で女性の政策決定過程への参画を進めることは可能か、可能ならば、いかにして、また、それは日本の政治にどのような影響を持ち得るのか、保守化に抗していくパワーをいかにつけていくか、等の疑問への解答を見出すヒントは各発表には何らかの形であったように思う。しかし各発表者間、討論者間の有機的関連が非常に弱かったこと、多くの問題提起について、また現在の政治的危機状況を踏まえた上での討論が充分できなかったことは至極残念だった。理論を深めるために討論する時間をいかに捻出するかは、今後の女性学会大会の検討課題だと思う。
当日のシンポジストの発言内容を独断と偏見でまとめると、大沢真理さんは大企業、男性中心の社会政策からジェンダー平等政策への転換の可能性、男女共同参画社会基本法はジェンダー平等政策主流化の力となるか、審議会委員として権力にとりこまれないための戦術について、福島瑞穂さんはテーマ別立法化の難易度、憲法改悪を射程に入れた憲法調査会の設置、森発言を支える神道政治連盟の動きなど、大日本帝国憲法下に生きていると錯覚するほどの国会の保守化と、その一方での、児童関連法案の成立、参議院での共生社会調査会、DVプロジェクトチームの結成などの報告があった。大西珠枝さんは男女共同参画社会形成の現状の報告、及び行政のセクト主義は今後減少し、横断的テーマに取り組むために行政の手法の変革が必要とされていることを指摘し、森屋裕子さんは市民運動の立場から、女性候補者は特別視されなくなったが「フェミニズムを議会に」とはなり得ていないこと、そして今後の、市民主体の政策提言のシンクタンクの必要性を語った。討論者の舘かおるさんは、1910年代及び、1970年代からの30年間の社会政治状況の類似点、相違について、一国フェミニズムの限界、政策決定過程への参画には政治権力構造変革への射程こそが重要と指摘。進藤久美子さんからも世界的視野の重要性、アメリカと日本の政治的状況の違い、99年統一選挙に見る女性候補者の選挙の特色など、お二人から多くの問題提起がなされた。しかし進藤さんの言うアメリカの平等主義や、全体を通しての戦前の日本のフェミニストの植民地主義に対する言及がなかった点は気になる所だ。とはいえ多くの重要な問題が提起された。いかにこれらの問題を継続して議論し、理論形成をしていく場を創り出していくかが今後の課題であろう。
(船橋 邦子)

第2日目:6月18日(日) 10:00〜12:00

個 人 研 究 発 表 報 告
◇旧師範閥問題とジェンダー
木 村 松 子
旧師範閥は、同一都道府県内に複数の男子師範学校が存在した場合に発生し、その同窓会組織による戦前からの学閥である。旧師範閥問題は、旧師範閥によって小中学校の教員人事、校長人事、組合人事、校務分掌が決められていることである。学閥間抗争に加え、多くの場合女性は排除されている。主に新潟県の事例について発表があった。

1. 女性は多くの場合、旧師範閥の会員になれない為、昇格人事の対象にならない。
2. 学校経営、管理、指導は男性のものとし、研修を積み、管理職となるのは男性とされた。また、家庭科以外の女性教員は二流教員とされている傾向が強く、昇格差別が起きる。
3. 教員世帯(男性)に広く管理職ポストを配分する意図があるため、妻である女性教員は平のままである。

1999年度においても、新潟県校長会、教頭会、教育研究会、体育連盟理事、視聴覚教育連絡協議会役員、特殊・音楽・美術などの教育研究会の役員などは、女性が皆無である。非公式の学閥による女性排除が、公式の組織からの女性排除に繋がっている。
資料「新潟県同期小中学校教員のライフヒストリー」の男女13人の仕事内容の追跡調査を見ても、男性は全員校長、教頭になっているが、多くの女性教員には、研究や研修の機会を全く与えず、ほとんど昇格していない。
あまりにも男女差別が露骨で、参加者があきれて何度もオーと声を出してしまった。
(内藤 千文)

◇女性の市民権からみる「介護の社会化」
佐 川 成 美
佐川さんは、「介護の社会化」をマーシャルの「市民権」概念から考察された。佐川さんは、福祉体制の違いにより市民権の完全な実現に差が生まれるとし、日本とスウェーデンの就労条件、社会保障、生活時間等の差を示された。そして「私的領域に対し公正の視点から正当な評価を行うことによって、家族の介護を社会的労働と認識し、ペイドワークとする」ことを通して、「市民権獲得につながる枠組みを作る必要がある」という。このような考察の結果、佐川さんは、「介護の社会化は、介護を私的領域から公的領域へ移行することではなく、二つの領域を統合することにある」と主張する。
この報告にたいし、フロア−からは、(1)家族介護に戻す危険性、(2)ペイドワークにしていく際のスウェーデンとドイツの方向性の違い(3)現金給付の問題、(4)マーシャルの「市民権」概念を用いることの是非、(5)「公正」とは誰にとってものか,(6)「領域」概念の含意など、多岐にわたって質問・コメントがだされた。
分析概念の整理や、結論部分の主張をフロアーと充分に共有できなかった点で課題を残したが、「介護の社会化」を新しい角度から考察しようという熱意はよく理解できた。理論的にも実践的にも焦点であるだけに、市井の場からの発想を生かしていくためにも、議論の継続を望みたい。
(黒田 慶子)

◇「アメリカのフェミニズム批評におけるジェネレーション・ギャップ」
三 宅 あつ子
本報告は、世界のフェミニズム言説をリードしてきたアメリカのフェミニズム批評の理論的変遷をめぐって、各理論の主張点を主たるディスカッサントの有力な引用を加えながら歯切れ良く展開したものである。そこでは、第二波以降顕著になる視点の多岐化に、他のディシプリン同様もはや「大理論」の時代ではない(それを切り崩す一動因がまさにフェミニズムであったのだが)、自らも同じ状況下で新たな切り口を求めもがく姿が見いだされた。
その意味において1990年代後半から注目されているのが、若い世代のフェミニストを中心に出現しつつある「第三波」と呼ばれる潮流で、報告者によると以下のような特徴を持つという;多様性の積極的肯定 「自分らしさ」「正直さ」への肯定 政治活動としての「生きること」全般的回答の拒否シスターフッドに基づく運動を強調した前世代の理論に対し、個と生活を主張するこの「第三波フェミニズム」が、今後認証された位置を獲得していくかいなか、非常に関心の持たれるところであり、フロアーからもこの理論の持つ「非連帯性」への疑義を含め質問が集中した。報告者である三宅氏には、今後この潮流の新たな展開の紹介を、その中でのご自身の研究の可能性をも含め、大いに期待したいと思う。 (喜多村百合)

◇「クイアー言語学」
阿 部 ひで子 ノーネス
発表は、前半は5月にスタンフォード大学で行われた第1回国際ジェンダー言語学会(IGALA)の報告、後半はその学会で阿部さん自身が発表した「Lesbian bar talk in Japan」の紹介という形で行われた。この研究は新宿の13軒のレズビアンバーでのフィールドワークによって、そこで用いられる言葉の特徴を明らかにしようとしたものだが、結果的には、互いにレズビアンであるという了解のもとで語られる言葉であっても際だった特徴があるわけでなく、通常街頭などで聞かれるような若い人々の言葉と比較しても特に差異はみられないとのことだった。会場からは、研究者のセクシュアリティ(レズビアンではない)が研究を困難にし、浅くしているという指摘があり、発表者からもこれに関連して、特に日本の社会ではアメリカ以上にその問題が大きいこと、またこのような研究に関して特に日本語では発表しにくい事情などが語られたが、日本の社会に関する研究発表を日本でしないことは罪であるという鋭い批判も行われた。
レズビアンコミュニティも日本社会の一部である以上、現在この社会で進行している言葉の男女差消滅の方向がレズビアントークにも反映するのは当然だし、調査の結果には明らかにそれが現れているように思われる。そのような状況の中でセクシュアリティやジェンダー意識と言語使用の関係をどのような方向に位置づけていくのか、という点をもう少し深めた議論をしたかったし、それはクイアー言語研究の今後の課題でもあろう。  (小林美恵子)

◇表現の自由とジェンダー・ハラスメント
綾 部 裕 子
99年8月、国立大学の男性教授が、学外の講演で、女性蔑視発言を行なった。地元の女性たちの問題提起を受け、教授が教育を担当している大学の機関は、発言をセクシュアル・ハラスメントとして、非難決議を行なった。教授は、機関の役職教授らを名誉毀損で刑事告訴したり民事訴訟を起こして、対抗した。大学当局は当初、研究者の表現の自由を理由に対応を拒んだが、学内での教授の言動に関係する特別調査会が設置されるに至った。教授が学内の授業においても同じような発言を繰り返していたことも明らかになった。
この事件では、学外における発言に非難決議を行なうことの是非、学外での発言を同僚が「不快」と思うことがセクシュアル・ハラスメントにあたるのか、非難決議の正当性、他のさまざまな差別を含む発言のなかからセクシュアル・ハラスメントだけを取り出すことは問題の矮小化か、といった、さまざまな議論が提起された。
会場では、女性差別の問題が提起された以上女性差別問題に取り組むこと、「不快さ」を公のものにすること、「不快さ」を理論武装すること、ガイドラインの重要性が議論された。この国立大学は、授業評価の先進的な取り組みで有名であるにもかかわらず、学外から指摘を受ける前に、学内で問題を発見できなかった点を指摘する発言が興味深かった。本件は、学内のセクシュアル・ハラスメントが学外のそれと密接に関係していることを示した貴重な事例と言えよう。 (武田万里子)

◇大学におけるセクシャル・ハラスメント
—認識に影響を与える要素—
合 場 敬 子
明治学院大学セクシャル・ハラスメント人権委員会が98年度に実施したアンケートに基くセクハラ認識度についての分析であった。データより、次の4つの仮説が支持された。女の方が男よりも想定例について「セクハラである」とより認識する傾向がある。教職員の方が学部学生よりも…(以下同文)。ハラサーが男のケースの方を女のケースの方よりも…(以下同文)。ハラサーの性別に関わらず女の方が男よりも…(以下同文)。また「回答者の性別とその地位の間には交互作用がある」という仮説は部分的に(ハラサーが女のケースでのみ)支持された。
以上の報告について、次のような疑問や意見が出た。

1. セクハラは個人の認識がポイントであるのに、平均的認識を論じることの意味は何か?
2. 異性間での想定例しか出さなかったのはどうしてか?
3. サンプリングの仕方はどうなっていたのか?
4. 想定例は、男女を形式的に入れ替えるだけで適切な想定となっているとは思われない。
5. 非専任職員で男女のセクハラ認識度のギャップが大きいのはどうしてか?

参加者は、約30名であった。 (細谷  実)

◇ドイツの女性学・ジェンダー研究
寺 崎 あき子
本発表で寺崎さんは最新のデータと滞独経験をもとに、1970年代から現在までのドイツの女性学・ジェンダー研究の自立から制度化に至る過程を紹介された。この動きはその萌芽期にあたる70年代前半、台頭期の70年代後半、普及と定着が試みられた80年代、女性学の専門化が推進された90年代、そして 96年以降という5つの時期に区分される。アメリカの女性学の影響を受けた70年代前半、関心を持つ女性たちが大学などで個別に活動していたが、70年代後半にはそれが実を結び女性学が普及した。それに伴い女性の職場拡充と大学内の階層構造の変革が求められ、女性学の方向性−自立を守るか制度化に向かうか−が模索された。結果として大学・研究所・地域を拠点に女性学研究が進められ、女性教官の登用等の制度化も進んだが、その具体的な実施状況は州毎に異なる。今年ドイツのハノーヴァーで女性大学が開校されたのも、こうした試みの一つとして理解できよう。近年では旧東ドイツの大学を含む、戦後の新設大学を中心にジェンダー研究が取り入れられ、その名称・内容ともに多様化している。今後の課題は、80年代以降女性の関心が多様化し、また助成金も削減されるに伴い、民間の女性学研究グループの活動が先細りするケースもあるという事実をどう受け止めるか。そしてEU統合下にあるドイツの女性の動きを、他の国々と関連させて位置付けていく作業であると思われる。 (石井 香江)

◇シンガポールの人口政策
—セクシュアリティーへの国家介入—
大 岩 寿美子
本発表は、過去50年のシンガポールにおける人口政策の経緯と特徴をまとめたものである。
シンガポールではリー・クアンユーからゴー・チョクトンにいたる人民行動党が、顕著な人口政策を展開している。当初は量的抑制にポイントをおいた人口抑制であったが、しだいに量より質、すなわち「良質」の人材を多く確保することに関心をシフトさせるようになる。
この質の確保のために、具体的には出産を奨励する人と抑制する人とを区別する方針がとられる。初期にはその指標を学歴に求めて高学歴者の出産を優遇する方針をとるが、後に経済的な養育能力を指標にして子どもを多く養える財力を持つものを優遇する方針をるようになる。
質に目を向けた人口政策は、高学歴の女性に出産を奨励することになるが、同時に高学歴女性を貴重な人材として活用する国家の方針も維持されるため、彼女らが出産によって離職することはないという。
最近は、出生率の低下が問題になるという逆転現象はあるものの、概してこの政策は政府の意図を実現するものだという評価を受けているという。
発表に対してのフロアーからの質議では、シンガポール国内の女性たち自身のこの政策に対する考えはどのようなものかが話題になったが、実際にそれはなかなか容易に知れないという。また、このシステムを支える外国人労働者、とわけメイドの労働についても意見がかわされた。
(広瀬 裕子)

◇高齢者扶養とソ−シャルネットワ−ク
—在日韓国・朝鮮人女性高齢者の事例調査を中心に—
金恵 媛(キム ヘウォン)
川崎及びその周辺に居住する「在日」高齢者56人〔うち女性は52人〕を対象に、そのソ−シャルネットワ−クがいかなるもので、それは高齢者の生活を支えうるものか、といった問題をめぐる研究であった。
結論を先に述べると、「在日」高齢女性をめぐるサポ−トネットワ−クは十分機能していない、ということである。具体的には、在日期間が長期にわたっているにもかかわらず日本語の習得機会に恵まれず、そのことにより福祉情報を十分得られないなど深刻な問題が生じている、家族扶養が困難になっている、公的経済保障及び福祉サ−ビスから置き去りにされている、という点が指摘された。
日本語習得状況については、「ほとんど読めない」「カタカナ・ひらがなならよめる」の両者で66%である。在日高齢女性は、来日以前にも教育機会に恵まれなかった女性が多く、学校生活というものを経験していない場合も多いことが指摘された。教育からの疎外の他にも、聞き取り調査で、夫の死の翌日から生活のために働かざるを得ない状況の中で、「旦那が死んだらすぐ外に出かける」と陰口を叩かれ、暗いうちに出かけ暗くなってから戻るというような生活をしたという話や、「娘はいたけれど息子を産んでいなかったので国に帰れず日本に残った」という話などが提示され、現在の在日高齢女性がかかえる問題がジェンダ−問題と深く関連していることが確認できる発表であった。
(佐々木典子)

◇ある在日朝鮮人一世との対話
田 中 由布子
田中由布子氏による「ある在日朝鮮人一世との対話」は、全体が詩的な言葉で紡がれていた。報告者は、長年「性差別問題」に取り組んできた報告者にとっては、「民族差別問題」をかかえる在日朝鮮人一世と対話をもつことにより、(1)「在日朝鮮人の日本人社会での世渡り」と、(2)「日本人女性の日本人男性世界での世渡り」には共通するものがあり、(1)を観察することにより(2)について考察をすることが可能であるという前提にたっておられた。報告者と在日朝鮮人一世とが対話を重ね、情緒的交流を獲得していく過程が重視されており、その関係性の変化が時間軸に沿って述べられていた。最終的には、報告者自身の「内なる相克」を発見し、「手本」のない世界へと漕ぎ出していこうとする決意が感じられた報告であった。
研究報告に、報告者という主体が全面に押し出されていることに潔さを感じた。それが自覚的であったのか、そうでなかったのかは、私には判断できなかった。しかし、研究活動を行う際に「私」をどこに位置づけるのか、私自身による「私」は記述が可能なのか、それはどのようにして可能になるのか、研究をとおして「私」を救済することは可能なのか、このような問いを正面から突きつけられた、「私」にとっては、衝撃的な報告であった。 (岩屋さおり)

◇日本企業におけるセクシュアル・ハラスメント問題
─女性のセクシュアル・ハラスメント対応を中心に─
ジェシカ・ラム
なぜ多くのセクハラ被害者は「泣き寝入り」対応を取らざるを得ないのか。この報告では、アンケート調査とインタビュー調査をもとに、セクハラ被害に対する「泣き寝入り」対応と「積極的な対応」それぞれに伴う「コスト」と「ベネフィット」を明らかにすることにより、「泣き寝入り」対応を取らざるを得ない構造が提示された。被害者が「積極的な対応」をとった場合、対抗しなければならない相手が増え、時間的、物質的、精神的コストが増大する。彼女たちが戦う相手は加害者を超え、日本企業のジェンダー規範にまで及ぶのだ。被害女性の「積極的な対応」は、「従来の職場で働く女性のイメージ」を加害者、管理者、法廷が共有し、維持しようとしているメカニズムを明るみにだす。
果たしてこのコストを回収するだけのベネフィットを得られるのか。セクハラ経験を忘れること、裁判に勝訴することまでたどり着くのは容易なことではない。「調停で解決はしたが、この経験を忘れることはできない」という会場からの、発言もあった。氏の分析によるコスト概念の類型化は、セクハラ被害と戦う人たち(被害者、援助団体、研究者)にとって実戦的であり、かつ、示唆に富む内容となっている。(詳細は『現代思想』2000.2)
(田辺 遊子)

◇日本の映画における女性兵士の肖像
─『軍隊と/の女性』論のために─
佐 藤 文 香
映画に登場する女性兵士像をてがかりに、女性─軍隊の問題が考察された。米映画『GIジェーン』が描く「成功したプロの女性兵士」像は、軍事への男女平等なアクセスを目指すフェインマンの論に重なる。一方エンローは、女性を分断する軍の家父長的性質を見破り、軍事化を食い止めるために女性たちが連帯すべきであると主張する。
日本のフェミニストは「軍隊の女性」を論ずることに嫌悪感を共有してきたが、国家主義の流れに抵抗するには、制度そのものの批判的対象化と制度内差別を問題化する作業、つまり「軍隊と/の女性」についての議論が必要である、と佐藤氏は指摘する。映画『守ってあげたい!』では、災害救助で活躍する女性自衛官が描かれており、ミリタリズム的ではない軍隊の捉え方に意義を見出しうるとしているが、会場からは、「『守ってあげたい』という言葉こそ特攻隊から続く軍事化のキーワードだ」、「防衛庁のプロパガンダに過ぎない」という異論が出た。また、女性自衛官が景気の調整弁となっている実態や、Peace Keepingとして軍隊への男女平等な貢献が国際的なコンセンサスとなっていることへの危機感も述べられた。憲法改正が現実性を持つ現在、軍事化に対抗し得るフェミニズムの理論構築が必要であるという佐藤氏の指摘は時宜にかなった問題提起であると感じた。(本報告の前段は『女性学』1999,vol.7 に掲載) (田辺 遊子)

◇日本における『国際移動』と女性
─香港で働く日本人女性の経験と『語り』─
酒 井 千 絵
酒井氏は、海外に在留する日本人女性の増加の動きを質的な変容と捉える。つまり、国際結婚という家族結合的な移動から、海外就労等の個人型の形態に移行していると指摘する。そして、個人型移動の問題点を香港在住日本人男女の事例調査から明らかにしている。日本企業にみきりをつけた女性たちは、業績主義に基づいた香港企業での働き方に満足している一方、男性駐在員との間に労働契約上のジェンダー格差があることに気づき、また、帰国後の不安をも抱えているとしている。会場からは、日系企業が少なかった70年代と、90年代の移動の質的違いや、選挙権・社会保障の受給資格というファクターも国際移動に影響を及ぼすのではないか、という指摘があった。
(田宮 遊子)

第2日目:6月18日(日) 13:00〜15:00

ワ ー ク シ ョ ッ プ 報 告
◇入門女性学のアプローチとその課題
浅生 幸子 梅村智恵子 斉藤 正美 中島 美幸 山口 智美
本ワークショップでは女性学(フェミニズム論やジェンダー論なども含む)をどのように講義し学生に伝えていくことができるかについて講師たちが中心に話し合った。
はじめに米国ミシガン州立大学の女性学入門コースについて説明があり、それを足がかりに日本の各大学について報告、議論が行われた。
ミシガン大での入門コースは、講師は教授1人と院生5人のチームから成る。特徴は、女性学の学際的性質を重要視する上で、人文/社会科学双方のバランス、また人種や民族、性的指向などマイノリティの視点を取り入れ、ゲストや資料などもその視点に立って選択する、とのこと。
議論では、まず一人が学生の無関心やバックラッシュの中、また総合科目の一つとして女性学を教えることの難しさを語った。参加者からは、その場で反応は見えなくとも感想を書かせると意見を言う学生が多い、それを話題にすることで問題を共有化し関心をつなげていくとの意見が出された。また、獲得した理論を実社会へどのように貢献していけるのかという声も聞かれた。このような話の背景には、ジェンダーやフェミニズムという言葉が社会へ浸透する一方で、それに対する偏見や無関心がとくに若い世代に広がっていること、また理論と実践の乖離という問題が生じているからと考えられる。ミシガンの報告の中で、学生たちは個人的に興味があるテーマには関心を持つが、それが社会的関心へとつながらないとの指摘があったが、それは日本でも同様だろう。研究対象としての女性学は増えても、それが実践の場へと繋がっているのか、そこをもう少し議論をと思ったがここで時間切れとなった。
「実践」や「運動」などの言葉が多く聞かれたが果たしてこれらは何を指すのか。参加者の中で定義が共有されていたのだろうか。また、有益な講義とは何か?学生が問題意識を持つことか?価値観の変革にまでいくことか?そもそも、何をもって価値観の変革というのか?参加者も多く、各自が問題意識を持っているためかえって問題の焦点が見えにくい部分もあった。それゆえに継続して扱って欲しいテーマである。 (田丸 瑞穂)

◇「女性国際戦犯法廷」をなぜ開くのか
─戦時性暴力「不処罰」に終止符を
松 井 やより
20世紀最後の月である2000年12月、東京で、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれる。これは、バウネット・ジャパン(VAWW- NET Japan, Violence Against Women in War Network-Japan, 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)という日本の組織が中心となって、国際的な協力のもとに開催する民間法廷である。ワークショップでは、まずバウネット・ジャパン代表の松井やより氏によって女性国際戦犯法廷の目的や現在の状況などが報告され、その後、ワークショップ参加者との質疑応答が行われた。
女性国際戦犯法廷の目的は、①日本軍性奴隷制(「慰安婦」制度)が女性に対する犯罪であることを明らかにし、加害者の責任を問うことによって、被害者の正義と尊厳の回復に資すること、②戦時における性暴力が処罰されないまま放置されてきた状態を終わらせることによって、現在および未来におけるその再発を防止すること、である。そこでは個人の責任が問われ、その犯罪が裁かれる。過去の犯罪を「裁く」ことに違和感をもつ日本人も多いようだが、犯罪を犯した人間は処罰されねばならない。もちろん、この戦犯法廷は象徴的なものであり、現実の実効力はもっていない。しかし、ベトナム戦争における米国の犯罪を裁いた「ラッセル法廷」のように、国家権力とは無縁だからこそ普遍性がある、と考えることもできるわけである。戦後ドイツは、10万件以上のナチ戦犯調査を行い、6000件以上の有罪判決を下してきた。これに対し、日本政府が自ら行った捜査や裁きの実績はゼロである。被害女性たちの名乗りによって、日本軍性奴隷制の問題がはっきりと認識できるようになった今、女性に対して行なわれた犯罪を、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド(大量虐殺)の罪、として裁くことが必要である。
以上のような松井氏の報告に対し、会場からの質問は途切れることなく続いたが、しかし性奴隷制に関する基本的な認識が全員に共有されていたとは言い難い。女性学の研究者やフェミニストのなかには、この戦犯法廷にあまり関心を示さない人もいる。学会規約第2条に照らして、私たちは、女性国際戦犯法廷を支援する必要があるのではなかろうか。 (千野 香織)

学会からのお知らせ

科研費「ジェンダー」細目設定記念シンポジウム

総会報告にお知らせしていますように、科学研究費補助金の細目として「ジェンダー」が3年間の時限付きで設定されることになりました。これを記念して、日本女性学会も共催し、下記の通りシンポジウムが行われます。決定に至るまでの女性学研究者たちの努力を振り返り、今後を展望するほか、「どうすれば科研費があたるか」のノウハウも披露されます。ふるってご参集下さい。
シンポジウム「日本の学術とジェンダー」
主催:日本学術会議社会学研究連絡委員会
共催:日本女性学会他
日時:9月11日(月)18:00-20:30
場所:日本学術会議大会議室
(営団地下鉄千代田線乃木坂下車0分)
主な内容: 「文部省の科学研究費配分政策とジェンダー」塩原勉
「科研費分科細目ジェンダー設定の意義と効果」大沢真理
「学術会議の男女共同参画へ向けて」原ひろ子
科研費申請何でもQ&A 司会 上野千鶴子

会員からの情報

■書評
秋田セクシュアル・ハラスメント裁判Aさんを支える会編
『セクハラ神話はもういらない—秋田セクシュアルハラスメント裁判女たちのチャレンジ』
教育史料出版会、2000.5

文部省のセクハラ防止規程から1年余。「振られたから訴えたのじゃないの」、「何かあったら辞めるはず」。キャンパスから相変わらずこんな声が聞こえてくる。被害を申し出ることが困難な状況は変わらない。二次被害の余りのひどさと自浄能力の欠如に、大学に見切りをつけて裁判を起こすケースが増えているのではないだろうか?
このほど、セクハラ神話を突き崩す画期的な勝訴判決を引き出した秋田農業短大事件の裁判の記録が出版された。「セクハラで悩んでいるあなたに元気を贈る」書であるとともに、女性への暴力を許容する社会の勝手な思い込みへ痛撃を与える書である。働きつづけながら勝訴を勝ち取った原告Aさんの怒りが胸に響く。同時に、大学の対応が決して他人事でないことに気づかされる。支援のあり方についての悩みや裁判参加の実践についても考えさせられた。本書の出版は大学関係者には余り知られていない。是非周りに薦めてほしい。 (戒能 民江)

■国立大教授による差別発言に怒る
女性たちからのメッセージ
大会自由研究報告でも触れられていますが、国立大学の男性教授が学外での講演で甚だしい女性差別発言を行った上、それを批判した学内の女性教授を名誉毀損で告訴するという事態が起こりました。この事態に怒る女性たちが、大学内外の女性たちが連絡会を結成しました。

××発言に怒る女たちの連絡会よりメッセージ
国立大学の大学教授が学外の講演で許し難い女性差別発言を行ったことを、「学外」の女はどう捉えているか。発言後、彼の勤務する大学へ抗議が殺到したのは「このような発言をして恥じない者が、なぜ教育者たる国立大学教授として安泰なのか。教授の見識は問われないのか」という怒りが爆発したからだと思う。大学のシステムというのは「学外」からは見えないが、少なくともわたしたちの目には、学外の市民社会では許されない差別発言が大学のシステムによって手厚く擁護されてい
るように映る。「市民社会」からの批判として捉え、あってはならない大きな「ズレ」だと認識して、「学内」でも真剣に向き合って欲しい。学内に「キャンパスセクハラ」に寛容な精神的風土があるとすれば、教授の女性差別的見識に寛容な精神的風土と地続きのものだといえるのではないか。発言が「学外」であろうが「学内」であろうが、教授がそのような見識を持ち、公の場で表現していることが重要な問題だ。詳しくは『週刊朝日』12年3月31日号参照。この件に関する問い合わせ先は以下の通り
X発言に怒る女たちの連絡会 神崎 直子  綾部裕子

■ 図書寄贈
以下の図書が著者(会員)より寄贈されました。
(財)東京女性財団編 大谷恭子、牟田和恵、樹村みのり、池上花英著
『セクシュアル・ハラスメントのない世界へ 理解・対策・解決』
有斐閣 2000年

■ニューズレターについて
従来ニューズレターは年4回発行し、年2回の大会のお知らせと報告を主な内容としてきましたが、この度総会で大会を年1回にすることが承認されたことを受けて、ニューズレターも一層の充実を図ることとなりました。大会のお知らせと報告以外の2回を、特集、研究会の報告などに加えて、会員の皆さんの問題提起や討論の場にもしていきたいと考えています。
次号は9月に開催される「学術とジェンダー」シンポジウムの報告を中心に特集を組みます。会員の投稿も大歓迎です。投稿希望者はニューズレター担当幹事(牟田和恵、伊田久美子)までご連絡下さい。

■研究会企画の募集
大会を年1回とするのに伴い、研究会を一層充実させていくことになりました。
会員の皆様からの企画を募集いたします。個人でもグループでもOKです。希望者は学会事務局まで、ご連絡下さい。