NewsLetter 第90号 2002年5月発行

日本女性学会NewsLetter

(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)

女性学会ニュース第90号[PDF] 2002年5月発行


学会ニュース
日本女性学会 第90号 2002年5月

2002年 日本女性学会大会

日 時:2002年6月8日(土)・9日(日)
会 場:エル・パーク仙台
〒980-8555 仙台市青葉区一番町4丁目11番1号
tel:022-268-8300 fax:022-268-8304
共 催:財団法人せんだい男女共同参画財団
— プ ロ グ ラ ム —
第1日 13:00〜15:00 個人研究発表
15:15〜17:15 ワークショップ
17:20〜18:30 総会
19:00〜21:00 懇親会
第2日 9:30〜 受付開始
10:00〜13:00 シンポジウム:「ポルノグラフィーの言説をめぐって−男とポルノ−」

2002年大会シンポジウム

ポルノグラフィーの言説をめぐって —男とポルノ—

コーディネーター 江原由美子 東京都立大学人文学部教員

船橋 邦子

女性学がポルノグラフィーを分析するための理論枠組みを再構築するために男性学あるいは男性研究の観点からポルノを論じる。
女性学がポルノを論じるために、幾重にも重なり入れ子状態になっているポルノをめぐる言説を再構成しなければならない時期に来ている。
ポルノを性差別、正確には女性差別の一形態として女性学は論じてきた。その論述のための装置として、男—女、見る—見られる、買う—買われる、消費する—消費される、抑圧—被抑圧 等々の二元論も長らく支配的な場所にあった。
しかし事態がそれほど単純なものでない事は、実は大分前から分かっていただろう。
ポルノは男のものだという言い方も、男性がポルノを好み女性はポルノを嫌悪するというようなとらえ方も必ずしもリアルではない。男がポルノと関わる関わり方に限っても一様ではないし、写真や映像、コミックも含めてポルノ製作に関わるのは男に限らない。そしてそれらを消費するのも男に限らない。フェミニズムがポルノを性差別の一形態として批判の対象に据えたとたんに、これらの諸々の側面は不可視化されてしまうことにもなった。
そしてポルノ批判をよそに、ポルノは表の経済に出ない部分をも含めてそれ自身が大きな市場を形成して一大産業であり続けている。それだけではない。ポルノは、コンピューターの画像技術の普及に影響したといわれるなど周囲に対しても無視できない影響力さえ持つ。その背景には、自分のセクシュアリティを充足させながら生きる事を推奨しつつも、セクシュアリティをプライベートな事柄にする近代社会の独特な構えがある。
セクシュアリティは、嗜好や選択に納まらない「指向」性を持つという理解は我々が既に共有しているところである。しかし特定の形を他の人が良いと思うかどうか、社会が許容 するかどうかは別の事としてある。ジェンダーのカテゴリーで欲情し充足する人が多い事と、その場合にもその仕方が極めて多様であるという事と、そして何よりもジェンダーを軸に差別が 存在する事とをどのように整合させて理解すればよいのか。ポルノを性差別として問題にしていくことと並行して、これは改めて考えなければならないことだ。
女とポルノの多様な関係の考察に先立ち、本シンポジウムでは男性学あるいは男性研究の観点から論じるポルノに焦点を当ててみたいと思う。女性学がポルノを論じる枠組みを再構築するための看過できない領域の一つである。

シンポジストと発題テーマ

《私と「女性の裸体」像》

沼崎 一郎 東北大学文学部教員

「男とポルノ」という問題設定を、どこまでも個人的に考えたい。ヘテロセクシュアルな男性として自己構築してきた〈私〉にとって、〈女の裸〉とは何なのか。それは、単一か、多様か 。〈私〉と〈裸の女〉との関係性とは、どのようなものなのか。それは、一元的なものか、それとも多元的なものか。それは、不変か、可変か。このような作業を通じて、ポルノ的な状況、ポルノ的な関係というものに迫りたい。

《男のセクシュアリティの一断面》

森岡 正博 大阪府立大学総合科学部教員

男性にとって(おそらく女性にとっても)ポルノ批判はアキレス腱のひとつであろう。なぜなら、われわれの多くが、ポルノを実際に利用しているからであり、みずからを棚上げにしては正面から語れないからである。ポルノのなかで語られる、「暴力」「支配降伏関係」「フェティシズム」などをどのようにとらえればいいのか、男性としてのパーソナルな次元から考察したい。またインターネットポルノよって開拓されたのは、女性視聴者ではないかという点についても触れられればと思う。

《ポルノの快感/不快感/被害感》

 細谷  実  関東学院大学経済学部教員

ある女性研究者の未公刊の論考を読んだら、(ヘテロ男向けのポルノにおける)性暴力映像についての不快感と被害感=脅かされ感が論じてあった。その感覚は、おそらく痴漢に対して抱く被害感=脅かされ感に近いものと想像する。ところが、同様なポルノについて、ぼくは快感/不快感の双方を感じるが、被害感はほとんど感じない。その違いにジェンダーが関わるようだ。また、快/不快、被害感という主観の扱い方についての問題も考えたい。

《同性愛の欲望と表象》

  風間  孝  動くゲイとレズビアンの会

ゲイによるHIV予防実践において男性間のエロティックな映像や写真はセイファーセックスのエロティック化という位置づけを与えられ多用されている。他方で、行政からそのような表現はポルノとみなされ用いないよう促される。性的存在に矮小化されてきたゲイが敢えてエロティックな表現を用いようとするのはなぜか。(ヘテロ)セクシズムの中で男性間のエロティックなイメージがいかなる意味を持たされ/持ちうるのかという点からポルノグラフィについて考えてみたい。

個人研究発表

第1分科会 司会:牟田 和恵

(1)「女性に対する暴力」という問題設定を考える

 北仲 千里

セクシュアル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスの問題をその他の性暴力とともに、「女性に対する暴力Violence Against Women」とカテゴライズし、国や地方自治体の政策では「女性の人権」の項目として分類する動きが進んでいる。しかし、安易にこの呼び名を採用してよいものだろうか。この呼び方を採用することは、ジェンダー問題としてのこれらの問題の共通の背景を強調すること、また、従来の理解とは異なる意味での「暴力」という問題把握を促すという意義を有しているが、同時に次のような問題があるのではないか。第一に、セクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・バイオレンスそれぞれに固有の問題構造、対策の方向性を指し示すことに失敗するのではないか、第二に、「暴力」という捉え方は、従来の「暴力」という語から受け取るイメージとは異なるものが含まれている。それでもなお「暴力」という表現を使う理由があるとも考えられるが、そのための難しさも抱え込むことになりはしないか。こうした問題意識からの論点整理を試みたい。

(2)ジェンダーで聴く憂鬱な「プラネット・ロック」
−裏/トランスナショナル・アメリカにおける男性幻想の抑圧と回帰−

 新田 啓子

ラップ・ミュージックの基本的手法は、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」(1982年)という楽曲によって確立されたと言われるが、このタイトルはまさに、後にかつてない規模で多国籍化した大衆音楽産業により、世界的な経済資本として変換されることになるこのジャンルの特異性を、言い当ててもいた。つまり、本来アメリカ合衆国都市部の民族(主義)的経験を表現する抵抗の媒体であったヒップホップ文化が「抵抗」の言説空間を拡げる前提には、文化帝国主義と容易に結びつくグローバルな資本が存在した。
本発表は、この「ねじれ」ないしはある種の「共犯関係」をジェンダーの視角から解きほぐし、そこに読み取ることのできる「男性幻想」を概念化しつつ、ヒップホップ文化が暗示するグローバリゼーションの危うい曖昧性を指摘することを試みるものである。研究対象となるのはラップにおける「紛争」の言説であるが、そこでは、合衆国主流政治文化が隠蔽しながら深く係わる二つの地下市場−武器・麻薬売買−が物語として変容しつつ歌詞に回帰する様が分析される。
なお本発表は、平成13年度科学研究費補助金基盤研究(c)(2)「聴覚とジェンダーの政治的・文化的・精神分析的諸相」の一環である。

(3)日本におけるポルノグラフィ批判思想をめぐって

 守  如子

これまでポルノグラフィ批判理論といえば、欧米のフェミニズムによる議論が中心に紹介されてきた。本報告では日本におけるポルノグラフィに関する議論を再考することによって、ポルノグラフィの何が問題とされてきたのかを明らかにしたい。

第2分科会 司会:浅野 千恵

(1)ジェンダー政策と農村女性への「開発」についての一考察−バングラデシュの事例から−

  水野 桂子

バングラデシュ政府第5次5ヵ年計画の女性と開発の分野において、開発のメインストリームにおける女性の開発を通じてジェンダーの不均衡を減らしていくことを強調している。「小規模農家向けの養鶏技術の開発および技術移転プロジェクト」に参加した農村女性たちへの聞き取り調査の結果を基に、農村の実状に合った「開発」プロジェクトの可能性とジェンダー政策の具体化を考察する。

(2)「超音波診断を含む妊婦検診」と、妊婦への影響

  鈴井江三子

既存の量的研究で報告されてきた、胎児画像が与える妊婦の精神的効果について、例えば超音波診断装置の画像を見ることにより、妊婦に対して安心感を与える、リラックスをさせる、ボンディング効果を与える等については、これまで質的な研究が殆どなされてこかった。また、これらの研究を実施する際、調査対象者となった妊婦の診察環境の影響が考慮されておらず、実際に何が妊婦の心理・精神面に効果的に作用したのか不明瞭である。そこで本研究では、胎児画像に焦点を当て、妊婦の視覚と認知との整合性、認知過程、妊婦の意識との関係性を分析した。

(3)英語教育からみた性差別表現の問題について

 石川(中尾)有香

フェミニズム運動の影響を受け、1970年代以降、英語という言語がどのように変化してきたかを調査・分析する研究を紹介する。また、このような言語変化を英語教育で取り扱う上での問題点を考えてゆく。

第3分科会 司会:広瀬 裕子

(1)博物館学芸員におけるジェンダー・バランスの研究(2)
−学芸員養成過程のジェンダー問題を中心として−

 内海崎貴子(代表)  田中  裕

発表者らは、昨年度の大会で、博物館学芸員のジェンダー偏在についてその現状と問題点を明らかにした。今回は、学芸員のジェンダー偏在の原因を探るために、大学におかれている学芸員養成過程のジェンダー問題を指摘する。具体的には、学芸員課程がどのような学部/専攻分野に設置されているのか、学生の履修状況や資格取得の現状などをジェンダーの視点で分析し、その問題点を明らかにする。

(2)国語科教育におけるジェンダーフリー教材の問題
−「文学教材」と人権教育との接点を求めて−

根岸 泰子

ジェンダーフリー教育実践の浸透のなかで、現在さまざまなジェンダーフリー教材が提案されつつある。しかしながら国語教材の場合、テキストのカノン化や感化主義といった国語科特有の傾向性がジェンダーフリー教材をゆがめ、教授者と学習者のもちうる主体的ダイナミズムを逆に抑圧してしまう危険性がすでに研究者によって指摘されてきた。
ここではそれらの批判を出発点としながら、ジェンダーフリー教材を将来教師となる学生への学部でのジェンダーフリー教育プログラムとの相互的な関係性のなかに置き直し、1970年代のスウェーデンの男女平等委員会のかかげた「平等の最終目標」を参照しつつ、「ジェンダー分割からのフリー」理念の学校教育への位置づけや、第二波フェミニズム的なテキストの女性像を本質主義的として形式的に排除することなくいかにして受容するかといった問題について考察してゆきたい。

(3)自治体DV実態調査の検討と課題

 ゆのまえ知子

DV問題が行政課題となり、多くの自治体が実態調査を実施したが、それで事たれリと考えられているふしもある。調査のやり方は、自治体自身が調査主体のところや、研究者やNGOグループに委託したり、グループに調査のための助成金を交付するところなどいろいろである。これら自治体の関与した調査の傾向や問題を検討するとともに、今後の行政課題のあり方や3年後のDV防止法見直しに向けての新たな調査課題を探りたい。

第4分科会 司会:深澤 純子

(1)Catharine A. MacKinnonのジェンダー中心主義への問い

南茂由利子

周知のようにCatharine A. MacKinnonは、セクシュアル・ハラスメント、性的虐待、ポルノグラフィを性の平等問題として取り組むアメリカの法律家であり、セクシュアリティの変革をフェミニズムの中心課題に据えている。彼女は、性的虐待を女性がこうむる特有の権利侵害であると考え、それは私的領域で主におきるとして、私的領域の存在自体を批判する。この考えに対する疑問および、政治的な問題を全てジェンダーのみの視点で分析する彼女の基本的立場に対し、問いを投げかける。

(2)女性政治家をめぐる報道について

熊谷 滋子

外務大臣であった田中真紀子氏をめぐる報道は、これまで指摘されてきたジェンダーを見事に体現している。今回は主に新聞(記事、投書、川柳等)を利用し、大臣就任中の田中真紀子氏をめぐる一連の報道をまとめたい。田中氏は、大臣就任当初、「女らしくない」行動力と発言で、「じゃじゃ馬」よばわりされたが、最後は「女らしさ」としての象徴である「涙」によって否定的評価を受けることとなった。結局、女性は政治家や大臣などの権威ある立場についた場合は余計に、女らしくしても女らしくしなくても非難の的となる。男社会のなかで、女性は絶えず女らしさに気を配りながら、プロとしてみられるように振舞わなければならない。さらに、問題視されると、同性からも距離をおかれ、孤立してしまう。そういう意味で、女性の政治家はいまだに男性の目とも同性の目とも戦わなければならない。

(3)女性のマゾヒズム的傾向について

  日合あかね

セクシュアリティの問題の一つに、女性の性的ファンタジーにおけるマゾヒズム的傾向をどのように取り扱うべきかというものがある。このような問いは、性的傾向と日常行動との関連についての精神分析理論と関係すると考えられる。初期精神分析理論ではマゾヒズムを女性に多い現象とする傾向があるが、これをフロイト派は男女の解剖学的差異に起因するものとして説明し、マゾヒズムを女性の本質と見なす理論的根拠を提供した。これに対しホーナイは、女性の「適度の攻撃性の制止」という文化的観点から分析する。これは、ギリガンによる女性の道徳の発達過程の分析においても見出せる。ギリガンやホーナイの議論の検討によって、女性的とされてきた対人関係のあり方とマゾヒズムの問題、性的ファンタジーのマゾヒズム的傾向の自由に関する問題などに、一定の見通しを立てることができるのではないだろうか。本報告では、これらについて論証することを試みたい。

ワークショップ

(1)男女共同参画時代の女性センターのありかたを考える

  運営者:木須八重子、深沢純子、船橋邦子

女性センターの運営は、政策として、市民参画や、市民、NGO、NPOと自治体のパートナーシップによる運営をうたいながら、なかなか進まないのが現実です。その原因は何か、どのような工夫によれば、乗り越えられるのか、真の男女平等の地域社会での実現をめざして、市民のネットワークや活動の拠点として、その責任を担う女性センターのあり方を考えます。

(2) 男子校学校文化とジエンダー意識形成
−出身者は語る・意識調査がとらえる高校生ー

  企 画:亀田温子
報告者:細谷 実、大森昭生
21世紀をひらくみやぎ女性のつどい

宮城県は公立高校の男女別学校(22校)が全国で2番目に多い県です。学校の男女共学は、1950年代戦後すぐにはじまる第1段階、これは男子を基本としそこに女子を入れる男子中心の共学化でした。続く1970年代は、高校増加の中で男女特性論にもとづく第2段階の共学化。そして今、男女共同参画社会という新しい社会を目指す時代に、高校教育の再検討とかかわる第3段階の男女共学化が、宮城県をはじめとし福島県、群馬県、埼玉県などで動き始めています。
学校における「ジェンダー再生産」の装置の1つである男女別学について、今回は男子校にスポットをあて、その学校文化と個人のジェンダー意識形成を語ってもらう中から、探っていきます。さらに、仙台の女性グループが行った高校生の意識調査から、別学とくに男子校が何をつくるのかをとらえ議論します。
共学出身の方、別学出身の方、どちらでもふるってご参加ください。

(3) 男女共同参画時代のジェンダーの現在

 主催者:和智綏子および城西国際大学院女性学専攻院生

男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法などの法整備と条例作りなどの施策の中で、男女が性差にとらわれず、社会へ参加するだけではなく主体的に参画し、文化を形成していく新たな時代に入ったと考えられるが、解決すべき問題が存在するのがまだまだ現在の実態である。本ワークショップでは、単なる参加の機会や可能性へのアクセスを設けるのみではなく、実際に政策や方針決定への参画をどのように実現していけるのか、ジェンダー・エンパワーメント水準をいかにして上げることが可能なのかについて、ジェンダーをめぐる諸問題の現在を明らかにしていきたい。

(4)行政や政策におけるジェンダーの主流化

運営者:橋本ヒロ子、内藤和美

行政や政策におけるジェンダーの主流化とは、福祉・教育・消費生活・環境など伝統的に女性の視点が入りやすい領域だけでなく、都市計画・産業振興なども含めたすべての政策や施策について、計画、実施、監視、評価などすべての段階で、影響が男女で異ならないか見直し、同じ成果が男女の違いなくあげられるように、政策や施策を変えていくことである。バックラッシュが目立ち始めたなかで、ジェンダーの主流化を進めるためのよりよい戦略が期待されている。
このワークショップでは、地方自治体のジェンダーの主流化に実際関わった研究者と調査を実施した行政担当者による報告をベースに、参加者との積極的な意見交換をして展望を開きたい。
問題提起者:
内藤 和美:政策決定過程における協働の実質化
米田 禮子:グループみこしが進めてきた地方自治体におけるジェンダーの主流化
橋本ヒロ子:ジェンダーの主流化における国際的・国内的動向

■研究会報告

◇研究会報告−1

89号のニュースレターでお知らせしたように、6月大会のテーマである「ポルノグラフィーの言説をめぐって」に関連した、以下の内容の研究会が2月18 日、文京区女性センターで開催された。「女性表現者ネッワーク」などの非会員の方々を含め、30名を越す参加者があった。講師のお一人は北原みのりさん。北原さんは96年に始めたオンナのセックスグッズストア「ラブピースクラブ」の代表。日本のAV産業は男性向きマーケットが中心である現状において、女性向き、女性が気持ちがいいAVの制作をしたい、という思いから欧米諸国、オーストラリアのポルノ状況について調査を開始したそうだ。この日は「オーストラリアのポルノ規制と日本の現状比較」というテーマで話していただいた。まずオーストラリアでは、女性知事のいる首都キャンベラでアダルト産業が発展、92 年にエロス・ファンデーションを設立し、現在セックス産業界の70%が加入している。と同時に、同年州政府は性産業を合法化した。現在、non- violent eroticaの精神に基づいたセックスグッズ、ビデオ、買売春によって税収が増加している。毎年、年2回セクスポが開催され2万人が参加し、その46%が女性という興味深い報告がなされた。性産業に対する政策が選挙の勝敗にも影響するという。日本では年間5000本(実際は倍)のビデオをビデオ倫理協会が審査している。ビデ倫は入会金10万円、年間3万円の会費、を徴収しているが、制作会社150社が加盟し3億円市場のビデオ産業を形成している。参加者から暴力的ポルノが悪いのだというオーストラリアの政策で何を暴力的と規定すのか、北原さんのいう男性向きポルノと女性向きポルノの区別はできるのか、の質問が出された。もう一人の講師、ジャクリーヌ・ベルントさんは「米国の日本研究からみたエロ・マンガ/レディース・コミック」というテーマで、米国の日本研究者のエロ・マンガ/レディース・コミックの先行研究書について「日本」「セクシュアリティ」「マンガ」という3つの切り口から整理して
(1)エロ・マンガ全般を「女性敵視」と批判する立場が紹介された。その特色として、他者としての日本、変わった国、日本、変わったセクシュアリティとして他文化批判に潜む偏見に満ちた「日本」の同質的、本質論的捉え方、背景をなす「正常」のセクシュアリティー観があり、また日本でのマンガ論の無視などがあげられた。
(2)多様性と差異を可視化する可能性から論じる立場は、日本自体の多様性、読者が取る複数の視点の検討や日本におけるマンガ論への注目、さらに女性向けの視覚的ポルノの条件として特定の表現スタイルとアクセスがあること、また誰が何をどこでどのように、なにを目的として読むのかの分析、ポルノを意図していないもののポルノ的読みの可能性など、特色のまとめは興味深いものだった。

 (船橋邦子)

◇研究会報告−2

愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所
研究会 日本女性学会共催
テーマ:フェミニズムとアジア・太平洋地区の多文化コミュニケーション
講 師:ヴェラ・マッキー教授(カーティン工科大学教授、お茶の水女子大学客員教授)
日 時:2002年1月10日  18:00-20:30
場 所:愛知淑徳大学 研究棟2階会議室
「国境を越えるフェミニズムと多文化コミュニケーション」というテーマで、マッキーさんはまず、日本語で、ご自身の成育背景からスコットランド、オーストラリアという欧州、アジア太平洋地区での体験を語り、グローバル化の中でフェミニズムが直面する課題を解説した。グローバル化による権力関係の複雑系をなし、その諸相はジェンダー、階級、エスニシティ、セクシュアリティーなど多様な格差を産む。そのなかでサイード「オリエンタリズム」を例にヨーロッパからのアジアへの視線のもつ権力性が主要な問題意識として強調された。
現代フェミニズムにおけるキーワードでもあるグローバル・フェミニズムということばについても、このことばがあたかも普遍主義的にとりあげられることの権力構造を批判した。多文化主義は70年代半ばのオーストラリアの文化政策であるが、現実にはイギリス文化が自明の主体とされイタリア・ベトナム・アボリジニなどの文化を周縁化したという批判が80年代に出され、多文化主義とはなにかについて再検討がされた。後半、自由討議がもたれ、1976年から85年の国連による数回の世界女性会議は女性たちが種々の国際会議に出るようになり、ジェンダーをtrans-nationalなレベルで見るきっかけとなったが、実態は英語を母語とする文化が主導的位置にあることも参加者から指摘された。近年の原理主義的ムスリムによるテロでは、アメリカの反テロという御旗のもとで、コロニアリズムやオリエンタリズムがフェミニズム的実践の言説を簒奪するという現実があることも議論された。言説分析による文化研究の緊急性がこのような現実のなかによく示されている。

(國信潤子)

■研究会のご案内

近代日本男性史研究会(第1回目)へのお誘い

近〜現代の日本における「男らしさ」の歴史的構築過程 を、分析・検討していこうという会です。
<スピーカーとテーマ>
海妻径子「一條忠衛、あるいは男らしさからの逃走」
<日時・場所(予定)>
2002年5月25日(土)13時〜17時
横浜市立大学サテライト施設「よこはまアーバンカレッ ジ」セミナールーム
(京浜急行/横浜市営地下鉄の上大岡駅隣接 ゆめおおおかオフィスタワー17階)
●場所は変更になる可能性がありますので、参加希望者 はあらかじめご連絡をお願いいたします。
●資料代(実費)を頂きます
●問合は海妻または細谷実

■寄贈図書

会員より、以下の著書、訳書の寄贈がありました。
江原由美子著 岩波セミナーブックス84
『自己決定権とジェンダー』岩波書店、2002年
田間泰子著
『母性愛という制度』勁草書房、2002年
チョ・ヘジョン著、春木育美訳
『韓国社会とジェンダー』 法政大学出版局 2002年

■会員からの情報

男性学メーリング・リストへのお誘い

男性学に関するメーリング・リストがあります。男性(学)研究についての情報交換と意見交換を目的としています。現在、女性学会会員でもある熊田さんがシステムの管理者をしています。
このMLへの参加資格は、原則として、
1.研究者(大学教員と院生)またはそれに準ずる者
2.性自認を問わず、男性学(=女性学を経た男性の自己省察の学)に一定の理解があること
であり、女性研究者の参加も歓迎いたします。
興味をお持ちの方は、愛知学院大学の熊田一雄さんにご一報願います。

(文責 細谷実)

■懇親会のご案内

第1日目 6月8日(土)19時〜21時
ハーネス仙台 tel:022−222−1121
参加費 飲みもの代を含め5000円 参加する方は以下に大会1週間前までにお申し込み下さい。
橋本  細谷
〈会員が交流できる貴重な機会です。どなたもふるってご参加下さい!!〉

■大会会場案内・宿泊案内

エルパーク仙台 TEL.(022)268−83008
〒980-8555 仙台市青葉区一番町四丁目11番1号
仙台141 5F・6F
交 通
■地下鉄 地下鉄南北線 仙台駅(JR仙台駅からすぐ)から三駅目:勾当台公園駅下車
(南1番出口より地下道で連結)
■バ ス 中央警察署・商工会議所前 または定禅寺通市役所前下車宿泊案内
前号ニューズレターでお伝えしたように、大会時はサッカーワールドカップのため仙台附近は、ホテル事情が厳しいと思われます。
学会では「東横イン:仙台西口広瀬通(tel 022-721-1045)」を三月末日まで仮押さえして、これに対処しました。間に合わなかった方は、非常に厳しいと思われますが、お問合せ下さい。