NewsLetter 号外『Q&A−男女共同参画をめぐる現在の論点』 2003年3月発行

日本女性学会NewsLetter号外

(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)

学会ニュース 号外
『Q&A−男女共同参画をめぐる現在の論点』

2003年3月

皆さま

皆さま

「男は仕事、女は家事育児」という性別分業が日本で作り出されたのは明治末でした。戦後の高度経済成長期を通じてそれはピークを迎えましたが、現在、終身雇用慣行の崩壊、女性の社会進出、少子高齢化などによって変化を迫られています。20世紀末から行政によって模索されてきた男女共同参画というヴィジョンは、こうした情況下で必然となった変化の一環とも言えるでしょう。

ところが、21世紀を迎えるとともに、一部のマスメディア(特に産経新聞社系メディア、あるいは統一教会系メディアなど)、草の根運動、議員、伝統的保守団体の連係による、男女共同参画社会、ジェンダーフリー、女性学、フェミニズムなどに対する批判やバッシングが強まってきました。

日本女性学会の内外の有志による本研究会は、こうした動向とその主張について情報収集と分析、議論を重ねてきました。そこで明らかになったことの一つは、多様なかたちをとって行われている批判のほとんどが、誤解あるいは曲解に基づくものであるか、単なる懐古的な主張であることです。しかし、その批判は大声で荒々しいものですので、異を唱えにくい雰囲気になっています。

この『Q&A −男女共同参画をめぐる現在の論点』は、しばしば見受けられる典型的な批判を27挙げ、それらに回答を試みたものです。
この『Q&A』の著作権は本研究会にありますが、必要に応じてコピーのうえ、自由にご利用ください。

2003.3 日本女性学会 男女共同参画をめぐる論点研究会

1.「男らしさ/女らしさ」をめぐる論点

[批判1] ジェンダー・フリーは、男らしさ/女らしさを全否定するものだ。
[回答1] ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・・)・女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事・育児・・・)と決めつける規範を押しつけないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係・格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです。
[批判2] 世の中は、男/女の違いがあってこそおもしろい。ジェンダー・フリー社会は、同じような人々しか存在しない平板で退屈な社会だ。
[回答2] 男/女の違いばかりが人の違いではありません。ジェンダー・フリーの社会は、金子みすずが「みんな違ってみんないい」と言ったような、男性にも女性にもいろいろな人がいる、一人ひとりが多様に違う楽しい社会なのではないでしょうか
[批判3] 思春期の頃に「男であること/女であること」を強く意識して自らに課して引き受けていくことを通じて、人間は社会的な自分を形成し成熟していくことができる。しかるに、ジェンダー・フリー教育は「男であること/女であること」を意識させないものなので、そうした成熟に関与しない。
[回答3] 思春期に必要なのは、一人ひとりが、性別ということと自分の気持ちにていねいに付き合っていくことです。性別を、乱暴な男/女のステレオタイプの二分法で捉え、その一方の鋳型に自分を押し込んでいくことは、成熟ではなく、むしろ幼稚な思考でしょう。
[批判4] 例外的な存在はあっても、大多数の人々は男/女のどちらかであるから、そちらが規準になるべきである。人を男/女の2群に分けてとらえる「男女の二分法」に対する批判は、どちらでもない少数の例外的な人が在る、ということの方を規準に置き換えようとする考え方である。
[回答4] 問題は、「例外」の話ではありません。分かりやすく、身体の大きさを例に考えてみましょう。男女一万人ずつの身長分布を図示してみると、ピークの位置がずれた、しかし重なり合う正規分布になります。この場合、大多数とは誰のことで、例外とは誰のことでしょう?どこに明確な線が引けるのでしょう?このような現実を「男は女よりも体が大きい」と二分法で理解してしまうことがどんなに乱暴なことであるかは、すぐに理解できるでしょう。多くの精神的特徴についても同じで、人間を特徴によって二つに分けるなどということはそもそもできないのです。「大多数/例外」という区別自体も乱暴な二分法にほかなりません。
[批判5] 男女共同参画政策は、鯉のぼりやひな祭りなどの伝統や慣習を破壊するものである。
[回答5] 伝統や慣習は不変ではなく、時代とともに取捨され改変され、今日にいたっているものです。例えば、明治初期にチョンマゲや帯刀などの伝統は放棄されてしまいました。鯉のぼりとひな祭りに含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、性別と人のありかたを結びつけるシンボリズムは、今日では適切とは言えません。現在、5月5日は、すべての子どものための祝日とされています。ひな祭りも、性別と関係づけないお祝いにするのが良いと思われます。なぜ、そうしないのでしょう?
[批判6] 男女共同参画政策は「トイレや風呂を男女共用にしろ」というような、人々を困惑させるような主張をしている。
[回答6] 男女共同参画政策は、いつ・どこでそのような主張をしたでしょうか?どなたかご教示ください。「性別にとらわれず・性別にかかわらず、だれもが等しく尊重され、等しい機会を得られ、その結果を等しく享受できる社会をつくる」ということを男女が全く同じになることだとか、性別をなくすことと解するのは曲解というものです。
[批判7] 「男の子はブルー、女の子はピンクや赤」ということを否定すると子育てや教育現場で混乱が起こる。ふつう、女の子はピンクを選ぶし、男の子はプルーを選ぶ。
[回答7] 「男の子にはブルー、女の子にはピンクや赤」という性別に基づいた固定的な考え方や決めつけ、選択の余地のない押しつけを問題にしているのです。ブルーや寒色系が好きな女の子に、女の子はピンク・赤だからとピンクや赤の持ち物ばかり持たせることは、本人の意思や感情を尊重しない強制です。ピンクや赤が好きな男の子にとっても同じです。また、自分がどのような色が好きなのか、似合うのかを本人が考え・選ぶ余地なく、機械的に男の子にはブルー・女の子にはピンクのものが与えられるという経験の中では、色彩について考える習慣も、自分で選ぶ力も身につきません。

2.家族をめぐる論点

[批判8] 男女共同参画は、専業主婦という生き方を軽視し否定している。
[回答8] これまで、一見専業主婦という生き方は誉められ、税制など制度上も優遇されていたかに見えます。しかし、それは被扶養の妻である限りでのことです。夫と死別したり離婚したりしたら、専業主婦という足場はたちまち消失します。また、年金保険料の拠出義務免除は優遇されているとも言えますが、その結果、65歳以上になって受給する年金は月に6万円ほどの基礎年金のみです。一人の人間の生活費としてはむしろ冷遇と言えるでしょう。男女共同参画は、女性たちが他人に頼らなくては生きていけないのではなく、しっかりした生きる足場を持てるような社会の仕組みを作り出していこうという考え方です。専業主婦という生き方をしている個人のあり方・生き方を軽視したり否定したりする、などと、個人を問題にする次元の話ではありません。
[批判9] 母になり子育てすることは、女性だけの使命であり特権であるのに、男女共同参画などを言う女性たちは、それを理解せず、男と同じになること、男と対等に肩を並べることをめざそうとしている。
[回答9] 「母になり母として子育てすることは、女性固有の使命である」というような世の中の考え方が、妊娠・出産できない、または望まない女性たちをどんなに生きづらくしてきたことを、また、子どもを産むことや子育てについて男性がもち得る可能性やチャンスを狭めてきたことを考えたことがありますか? 妊娠・出産・母乳授乳をした女性たちの多くが男性には経験できないその経験を通じて幸福を感じるということはもちろんあるでしょう。しかし、女性に固有の経験は、妊娠・出産・母乳授乳のみであって、子産み・子育てに関するそれ以外の経験は性別と関係ないはずです。子どもが産まれ育つこと、子育てに関する男性の喜びは、なぜ語られないのでしょう? こうした、女性のみを子産み・子育てと結びつける考え方は、社会的活動(とりわけ仕事)と妊娠・出産、育児や介護を含む家事など生活活動を二者択一的に分け、前者を男性、後者を女性と結びつける、これまでの社会の慣行に基づいています。男女共同参画は、男性にも女性にも、そうした二者択一の選択を強いる社会を変えていこうという考え方です。
[批判10] 働く女性が増えると出生率が低下する。
[回答10] データはそうなっていません。子育て期の30歳から39歳の女性が働いている割合の高い県の方がむしろ、出生率が高いですし、「実際に産み育てている子ども」の平均人数も就業女性は1.98人、専業主婦は1.91人と就業主婦の方がやや高くなっています。25‐34歳女性の労働力率が高い国ほど出生率も高い傾向にあるという国際比較調査の結果もあります。
[批判11] 子育て期の母親が、子育てに専念せず、就労をすることは、子どもの発達に悪影響を及ぼす。
[回答11] そのようなことは実証されていません。母親の就労と子どもの発達の関係を調べたある調査では、0歳から5歳までに「異常行動」がみられた割合は、母親が専業主婦である子どもの方が高いという結果が示されています。また、別の調査では、育児不安や、虐待にもつながりかねない過度なしつけをしている人の割合は、専業主婦の方が高くなっていました。専業主婦にさまざまな人がいることは言うまでもありませんが、子育てや家事と両立する良い条件の就業機会を整えていくことは、それがないために専業主婦を選んでいる人の不満を解消し、結果的に育児不安や子どもに対する不適切な対応を減らすことにつながります。人間の子育ては多くの要因の複雑なかかわり・影響によって成り立っている、つまり、特定単一の要因が決定的な影響を及ぼすとは考えにくい、複雑な営みなのではないでしょうか。ライフスタイルの選択、働きかた、子育てのしかたはもちろん個人の自由です。が、男女共同参画社会基本法の基本理念の一つ、第6条は、女性も男性も、家庭生活の役割と就労等社会的活動の両方ができるよう社会的条件を整えていくべきことを定めており、そのもとに施策が進められています。
[批判12] 男女共同参画は、夫婦別姓、世帯単位ではなく個人単位の諸制度、離婚における破綻主義、“事実婚”等を導入し、社会の基本単位である家族や家族に関する制度を破壊し、社会的安定・公序良俗・安寧秩序を破壊する「崩しの思想」である。
[回答12] 社会を構成しているのはあくまで個人です。家族は、それを望む個人がより良く生きていくためにつくり・営む、共生のしくみとして尊重されるものです。そして、その共生には多様なありかたがあり得るはずです。2000年の国勢調査では下図のように多様な世帯が存在していることわかりました。モデル世帯とされている夫婦・子ども2人という世帯は、全世帯の13.4%に過ぎません。単親世帯は、7.6%、単独世帯(一人住まい)は27.6%とモデル世帯の倍にもなり、世帯・家族の多様化が急激に進んでいます。従って税制度などはモデル世帯をもとにできず、個人単位にする方向しかなくなったのです。
もし、個人を生きにくくさせるような家族のあり方があれば、それは当然批判されるべきです。例えば、家庭内暴力を許すような家族のあり方、構成員の誰かに不当な重荷を与えるような家族のあり方、特定の人を排除するような家族のあり方に対して。そして家族に関する制度は、家族は個人の尊重のうえに成り立つものだ、ということを前提に考えられるべきです。構成員の誰かが制約や不利益を受けることを許す余地のある制度、特定の生き方や家族のあり方を前提とする(つまり、それ以外のあり方を選ぼうとする人々に不利益になり得る)制度であってはなりません。ひとりも犠牲にされない人々の共生を可能にしていくことを通じて、安定性のある安全で住み良い社会を目指すのが、男女共同参画の考え方です。
[批判13] 男が女を守る−そうした自然な愛を排斥するのがフェミニズムである。
[回答13] 「男に守ってもらいたいとは思わない。しかし、危機が迫ったら、一緒に戦うか、一緒に逃げるかして欲しい。自分だけ逃げ出すような男は最低だ」。ある、20歳くらいの女性の発言です。一般に、強い者が弱い者を守る。それが「自然な愛」に基づくものなのかどうかはわかりません。しかし、望ましいモラルとは言えるでしょう。ただし、「男が強い者で、女が弱い者である」とは必ずしも言えませんね。
[批判14] 母が子どもを産み・育てる−そうした自然な愛を排斥するのがフェミニズムである。
[回答14] 子どもを産んだり、育てたりする過程で親が子どもに対してもつ愛情が素敵なものであることを否定するものではありません。しかし、その愛が「自然な」ものであるとか、母に固有のものであるとか、あらゆる母が自動的に備えるものであるといったことは、もはや反証されています。父が子どもを育てる愛もとても素敵ですし、さまざまな要因で子どもとの愛情関係を形成できない人のことも見落としてはなりません。
[批判15] 主婦が家族の世話をする−そうした自然な愛を排斥するのがフェミニズムである。
[回答15] 「自然な愛」と称して、家族の世話が、女性の役割(主婦という慣習上の制度)にするというかたちで為されてきたことが問題なのです。世話を必要としている人は、それを担える身近な人たちが自発的にかつ協力・調整し合って、また、社会的なサービスを活用しながら世話をしていくと考えるべきではないでしょうか。

3.性(セクシュアリティ)をめぐる論点

[批判16] 性と生殖に関する女性の自己決定権(リプロダクティブ・ライツ)を認めないのが世界的潮流である。
[回答16] 2002年12月にバンコクで開催された第5回アジア太平洋人口会議で、性の自己決定権は、ブッシュ政権のアメリカが反対しましたが、日本、中国、インド、マレーシア、インドネシア等31カ国が賛成、2カ国棄権で採択されました。世界には、確かにイスラム教諸国のように性の自己決定権を認めない国も少なからずあります。しかし、それら諸国と最近政策変更したアメリカの存在を「世界的潮流」と呼ぶのは、情報な恣意的な取捨選択ではないでしょうか?
[批判17] 性と生殖に関する女性の自己決定権を認めよというのは、フリーセックスの推進である。
[回答17] 性と生殖についての女性の自己決定権という考え方は、最終的には、妊娠・出産をその身に担う女性の意思が尊重されなければ、女性の、個人としての尊厳、生命の安全は保障されない、という認識に基づくものです。つまり、妊娠・出産を身に負う人々である女性の人権を守る考え方で、結果的に女性が不利になるフリーセックスの推進とは結びつきようがありません。
[批判18] 女性の、性と生殖の自己決定権を認めることは、夫の了解なく妻が勝手に中絶することを進め、家庭崩壊を招く。
[回答18] 出産や中絶について、夫婦で相談して決めることが大切であることは言うまでもありません。しかし、夫との合意が成立しない場合や、どうしても子どもを育てられない情況にある場合などには、最終的に、妊娠・出産をその身に担う女性の意思が尊重されなければ、女性の、個人としての尊厳、生命の安全は保障され得ません。ましてや、日本を含む世界の多くの地域では、男女間の政治的・経済的・社会的・文化的なアンバランスな力関係が完全に撤廃・解消されておらず、いまなお、女性が強制を受けやすい情況にあります。こうしたことから、性と生殖についての最終的な自己決定を女性の基本的権利と考えるものです。
[批判19] 「性と生殖の自己決定権」は、女子高校生、女子中学生が“援助交際”をすることを助長するものだ。
[回答19] 宮城県、千葉県、石川県、岡山県、大分県の中高生3133人を対象に警察庁「青少年問題調査研究会」が行った調査では、「同年代の女子が見知らぬ人とセックスすること 構わない 9.6%、問題だが本人の自由 58.1%」、「同年代の男女がセックスすること 愛し合っていればいい 38.0%、したければすればよい34.7%」、「援助交際によるセックス して構わない 5.9%、問題だが本人の自由 44.8%」という結果が示されています。“援助交際”などによるエイズの蔓延も大きな問題となっています。性に関する情報が氾濫するなか、性に対してこれほど寛容な現在の中・高生が、“援助交際”に追いやられたり、性的人権侵害に巻き込まれることを防ぐのに必要・有効なのは、性のタブー視や禁欲教育ではあり得ません。必要なのは、セックスや妊娠や性感染症についての正しい知識、自らの性に関することの自己決定の尊重とその力、他者の尊重理解・他者に対する想像力を育てること、衝動のコントロールなど、発達段階に応じた性教育です。家庭や学校できちんとした性教育を行っていくことこそ大人の責任です。と同時に、大人と子ども、金銭の払い手と受け手、とくに少女では男性と女性という三重の力関係の下、不当な性的強制を受けやすい18歳未満の子どもと、金銭を支払って性的かかわりをもつことを、法律(児童買春禁止法)で禁じ、性に関する自己決定の力が未発達・未成熟な子どもたちを保護しています。
[批判20] 性教育パンフレット『ラブ アンド ボディ』は、中学生に性交渉を奨めている。
[回答20] 中学生に対して、性について決定を委ねることと、自己決定できる力を持てるように教育していくことは、まったく別のことです。『ラブ アンド ボディ』には、「欲望のままに性交渉をしないように」と明記してあり、中学生のセックスを奨めてはいません。現在、大学生であっても、性について無知であったり偏った知識しかもっていない人が少なくありません。適切な性教育を受けることなく、メディアが発信する性情報だけにさらされた結果です。彼ら・彼女らが性的な不幸に見舞われることのないよう、家庭や学校で、セックスや妊娠や性感染症について正しい知識を提供していくことは大人の責任です。

4.その他 の論点

[批判21] 暫定措置であることを明記しない積極的改善措置の規定は、女性の優遇を永続させる。
[回答21] 積極的改善措置とは、もともと、改善され格差がなくなったら必要がなくなる措置のことです。すなわち、暫定的であることは、はじめからその意味のなかに含まれています。
[批判22] 男女共同参画はマルクス主義に基づく思想であり、変装した共産主義である。
[回答22] 男女共同参画社会基本法の前文は、男女共同参画社会について「男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる」社会と説明しています。つまり男女共同参画はあくまで個人の尊重を旨とする考え方です。その元には、社会に、性別による不平等や女性に対する差別が存在すると認識し、それらを撤廃しようとする思想や運動の総称であり、個人の尊重と平等、公正な社会をめざすヒューマニズムの一種であるフェミニズムがあります。フェミニズムの思想には、性別による不平等や女性に対する差別の歴史的な成り立ちの分析や、差別の撤廃・公正の実現の展望のしかたによって、いろいろな流れ、いろいろな立場があります。が、共通しているのは、フェミニズムは、単に女権拡張、つまり女性が男性並みになったり、女尊男卑の社会をつくることをめざしているのではなく、女性も男性も「女だから」「男だから」ということから解放されて、性別にかかわりなく、自分らしく、お互いを尊重しあえるような対等な人間関係をつくりだしていくこと、多様性を認め、誰もがありのままの自己表現ができること、自分を愛せることで他の人の命も大切にする、つまり人権が尊重される社会、また暴力(力による強制)のない平和な社会をつくることをめざしている、ということです。
[批判23] フェミニズムは、個人の問題を、男女間の敵対の問題にすり替えている。
[回答23] フェミニズムは、性別にかかわらず一人ひとりの個性や可能性が大切にされることこそをめざしており、男性を敵視するなどというものではありません。人を男性と女性に分け、この2群を違って扱ってきたのは(そのような慣行を性別分業といいます)、むしろこれまでの社会の方でした。たとえば、今なお、家事労働の大半は女性によって担われている、一方、就労の場では、日本の女性雇用労働者の平均賃金は男性の半分あまり、管理職の男女比は93:7、国会議員の男女比は9:1、というように、「性別にかかわらずひとり一人の個性」どころか、人が性別によって異なって扱われている現実があります。フェミニズムは、そうした、人を男/女と分けて違う扱いをする社会秩序・社会慣行を問題にしているのです。
[批判24] フェミニズムは、男女を敵対物として捉える、階級闘争史観と同様の、西欧的な憎悪の思想だ。
[回答24] 性別で秩序化されている社会では、男女の間に利害対立や葛藤が生じる可能性はあります。そうした対立や葛藤は、隠蔽するのではなく、適切に解決・解消をはかるべきです。現実の問題を、見方の問題にすり替えてはいけません。例えば、現在、北の高度工業諸国と南の諸国の間には、経済の構造的な格差・利害対立があります。それを、「南北を敵対物として捉える西欧的な憎悪の思想だ」と評することがいかに抑圧的な隠蔽であるかを考えてみてください。南北間関係が仲良く良好であることは、もちろん望ましいことです。それは、両者の間の利害対立や葛藤を隠蔽することによってはなく、適切に解決・解消をはかっていくことを通じて可能となることです。
[批判25] 男女共同参画社会は労働を至上価値とするマルクス主義に基づく「尊い家事育児を担っている専業主婦も含め、みんな働け!」イデオロギーである。
[回答25] 貴族社会では蔑まれた労働に高い評価を与えたのは近代資本主義であり、マルクス主義の労働観もその延長線上にあるということは広く共有されている認識でしょう。男女共同参画社会はむしろ、労働に至上の価値をおく近・現代の産業社会で軽視されしわ寄せを受けてきた家事・育児・介護など生活にかかわる活動の意義を、高く評価し直そうとする社会です。が、それらを特定の人(専業主婦)の役割にするような「慣行」がつづいてよいとは考えないのです。個々の人が、人生のある時期に就労をせずに家事労働に専念するのはもちろん自由です。そういう選択を含めて、女性も男性も、生活にかかわる活動について多様なやり方が認められ、選んでいけるような条件整備をしようというのが男女共同参画社会の理念です。
[批判26] 国の男女共同参画会議や地方自治体の男女共同参画審議会はフェミニストに乗っ取られ、今やフェミニストは体制派となって、フェミニズムという全体主義をおし進めている。
[回答26] 回答22で述べたように、フェミニズムは、社会に、性別による不平等や女性に対する差別が存在すると認識し、それらを撤廃しようとする思想や運動で、個人の尊重と平等、公正な社会をめざすヒューマニズムの一種です。全体主義とはまったく相容れないものです。男女共同参画政策は、1980年ころからの、フェミニズムの視点で取り組まれる学問である女性学(近年では男性学も)の発展を背景に、その成果を採り入れながら整備推進されてきました。それは、フェミニズムの視点を基づく女性学(男性学)が、現代の性別に関する問題の解明と解決、人の平等と社会の公正をめざすうえで有効性をもっていたからです。一方、男女共同参画会議議員の半数は大臣ですし、残る半数の有識者も、また、地方自治体の男女共同参画審議会委員も、あくまで人の平等と社会の構成を多様な立場・見識が反映されるように選ばれることになっており、フェミニズムであれ何であれ、特定の思想をもつ人々が意図的に「乗っ取る」ことができるようなものではありません。「フェミニストのたくらみ」「陰謀」「乗っ取る」「全体主義」などという描き方は、フェミニズムに反感をもつ立場からの、それこそ意図的な言いがかりと考えざるを得ません。
[批判27] 国の男女共同参画会議には監視機能を与えられている。これは、市民生活を監視する全体主義と同じである。
[回答27] 国の男女共同参画会議がもつ監視機能は、各省庁の施策や方針が、性別について中立的であるように、つまり、いずれかの性別の人々に不利益を与えたり性別の偏りを作り出したりすることのないようモニターするもので、市民生活を監視することではありません。それは、労働基準監督局のように、事業所に出向いて使用者や労働者に尋問したり、違反があった場合の労働基準監督官が発動できる司法警察官のような権限も持っていません。市民の権利を守るための行政の活動を監視する機能を、市民の権利を制限するための全体主義的な監視機能であるかのように意味をねじ曲げて伝えるのは、悪意に基づく行為でしょう。