日本女性学会NewsLetter
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第111号[PDF] 2007年11月発行
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第110号[PDF] 2007年5月発行
| 日 時 | : | 2007年6月9日(土)・10日(日) |
| 場 所 | : | 法政大学 市ヶ谷キャンパス |
| 東京都千代田区富士見2-17-1 JR総武線・地下鉄各線「市ヶ谷駅」または「飯田橋駅」から徒歩10分 |
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| 参加費 | : | 会員:500円 非会員:1000円 |
| ★財政状況改善のため、今年度より、会員の方にも参加費を負担していただくことになりました。なにとぞご理解下さい。 |
| 開場/受付 12:00 | |
|---|---|
| 場所 | 外濠校舎3階 *市ヶ谷方面からの場合は正門を、飯田橋方面からの場合は逓信病院を通り越し、外濠校舎内のセブンイレブン横より、校舎にお入りください。 |
| シンポジウム 13:00〜16:30 | |
| 場所 | 外濠校舎3階(S305) |
| テーマ | バックラッシュをクィアする−性別二分法批判の視点から |
| 司会者 | 伊田久美子、釜野さおり |
| 発題者 | クレア・マリィ、風間孝、井上輝子 |
| コメンテーター | 田中玲、金井淑子 |
| コーディネーター | 風間孝 |
| 総会 17:00〜18:15 | |
| 場所 | 55年館5階(553) |
| *この間非会員の方にはビデオ上映を行います。場所:55年館5階(554) | |
| 懇親会 18:30〜20:00 | |
| 場所 | ボアソナードタワー26階(ラウンジ) |
| 会費(予定) | 4000円 (学生・院生・OD等、常勤職に就いていない方は2000円) |
| 受付 | 9:30 |
|---|---|
| 場所 | 富士見坂校舎3階 *この日は、すべて富士見坂校舎3階で行われます。 |
| 分科会名(部屋)/報告者/テーマ | |
| 【午前】10:00 〜 12:30 | |
| 第1分科会(F305) | |
| (パネル) | 「女性同性愛(者)の表象とポリティックス」 |
| 黄綿史 | 近代日本における女性同性愛者ー新聞記事に見る問題化の位相 |
| 堀江有里 | レズビアンの自己表象と承認をめぐって−カミングアウトに関する一考察 |
| 飯野由里子 | 差異を含む<わたしたち>をどのように語ることができるのか? |
| 第2分科会(F306) | |
| 江島絵里子・ 内海崎貴子 |
保育場面における保育者のジェンダー意識について |
| 佐藤恵子 | 男性の意識の変化と男女共同参画社会への展望−青森県男性の男女共同参画に関する意識調査を基に |
| 多田良子 | 性サービス業における男性利用者の考察−インタビュー調査をもとに |
| 第3分科会(F307) | |
| 谷村和枝 | 民間シェルターの避難者分析から見えてくる21世紀日本の人身売買 |
| 水野桂子 | 中高年期女性の主体的力量形成−地域社会での学習活動から |
| 四之宮玲子 | ブルデュー理論と現代家族におけるマルトリートメント |
| 第4分科会(F308) | |
| 衛藤幹子 | 女性の過少代表とクオータ制度−特定集団の政治的優先枠をめぐる考察 |
| 堀久美 | 「新しい公共」における女性の活動の可能性−相互依存を認める社会をめざして |
| 村上潔 | 「男女平等」か「女の分断」か−1975年「国際婦人年」以降のリブ運動を切り分ける論点 |
| 【午後】13:50〜15:30 | |
| 第5分科会 (F305) | |
| 三宅えり子 | 日本型フェミニズム理論構築への模索 |
| 荒木菜穂 | フェミニズムと個人との距離、再考 |
| 第6分科会 (F306) | |
| 渡辺みえこ | 日本文学の中のレズビアン表象 |
| 吉野靫 | 大学におけるジェンダー・セクシュアリティ課題の現状ー立命館大学の事例から |
| ワークショップ(1) (F307) | |
| 二瓶由美子 宇野朗子 山本有紀乃 |
ポルノグラフィと性行動−スライドショーとアンケート結果を使って |
| ワークショップ(2) (F308) | |
| 幹事会 | もっと話そう!「バックラッシュをクイアする−性別二分法批判の視点から」 |
■大会事務局からのお知らせとお願い
(●を@に置き換えてください)
ジェンダー・フリー・バッシングには、「男女共同参画」や「ジェンダー」概念への反感だけでなく、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーへの嫌悪感(ホモフォビア、レズボフォビア、バイフォビア、トランスフォビア)が根深く含まれている。このことは、バッシングが性的少数者を含むセクシュアリティのありかたを攻撃の対象としていること、すなわち、性別二分法規範と相容れない性のありかたやその規範を疑問に付す実践に対する攻撃であることを示しているといえるだろう。
しかしながら、バッシングに対するフェミニズム側からの対抗言説は、これらの「フォビア」を分節化し、そのうえで十分な批判や反論を行ってきただろうか。また、あえて触れぬことで、「フォビア」を温存する傾向はなかっただろうか。「フォビア」や「セクシュアリティ」への対応の不十分さは、ある意味でバックラッシュに対抗する上での「アキレス腱」であり、そこをバックラッシュ側につけこまれてきたとも考えられる。
また、ジェンダー・フリー・バッシングとほぼ同時期に生起した「過激な」性教育バッシングは、近年の若者の性の「乱れ」や、性的少数者に焦点を当てた教育実践への批判をつうじておこなわれてきた。性教育バッシングの顕在化に対して行政や学校現場では、これらの動きを意識するあまり、これらの教育実践を規制しようとする風潮も生じている。「過激」な性教育バッシングもまた、若者の性や「フォビア」を含むセクシュアリティに関して議論が不十分なところを狙って行われているのである。性教育バッシングに対抗するには、若者の性や「多様な」性のありかたを含んだ、セクシュアリティそのものをどのように認識していくのかという根本的な議論が必要とされている。
ジェンダー・フリー・バッシング、そして「過激」な性教育バッシングからなる一連のバックラッシュに対抗するには、ジェンダーとセクシュアリティを切り離すことなく、その関係性について改めて考え、認識を深めることが必要とされているのである。
本年度の大会シンポジウムにおいては、クィア・スタディーズのアプローチ、すなわちジェンダーとセクシュアリティの非因果的であるが切り離すことのできない関係を問い、かつジェンダーやセクシュアリティの認識における二元論的な図式(性別二分法規範)を問うていくアプローチを踏まえつつ、(1)バックラッシュにおけるジェンダーとセクシュアリティの絡み合いを正面から取り上げ、(2)ジェンダーへの焦点化に偏りがちであったバックラッシュへの対抗言説にセクシュアリティの視点を導入する意義を確認し、(3)そのことがバックラッシュに反撃するうえで不可欠であることを共有していきたい。
ジェンダーとセクシュアリティは非因果的であるが切り離すことのできない関係にあることは、ジェンダー研究やセクシュアリティ研究において繰り返し指摘されてきている。しかしながら、ジェンダーやセクシュアリティ規範における二元論的な構造、つまり「性」を「女」と「男」にし、性愛を「同性愛」と「異性愛」とする構造が社会文化的な「常識」として広く共有されていることも認めざるを得ないのである。
ジェンダー・フリー・バッシングにおいては、この二元論的構造に基づいて「女」「男」たるものを守り通すのみならず、固定的な性規律に基づく性愛、つまり「イエ制度」に根ざした「子孫」を残すものとしての性愛を守ることが重大な目標でもある。その動きのなか、性二分法に基づくディスコース以外のものを認めないだけではなく、「常識的」な性規範からの「逸脱」を「脅威」として位置づけていくのである。その結果、様々な「フォビア(恐怖/嫌悪)」が生産されていくのである。よって、ジェンダー・フリー・バッシングへの対抗ディスコースにおいても、矛盾した形で生じている様々な「フォビア(恐怖/嫌悪)」に、占有されることなく立ち向かえるかが重要な問題となるのである。
ここでは、ホモフォビア、レズボフォビア、バイフォビア、トランスフォビアを、ジェンダー・フリー・バッシングと切り離して解読するのではなく、これらの「フォビア(恐怖/嫌悪)」が性別二分法規範のもとで生じているジェンダー・フリー・バッシングの異なる表出であることを確認していく。さらに、それが「子孫」「イエ」「国」または、「ジェンダー」「性」の名の下に行われている性愛規制の行使やクィアな人々に向けられる制度上の暴力でもあることを顕在化させたい。
ジェンダー・フリー・バッシングの言説には、同性愛(者)への嫌悪や恐怖(ホモフォビア)に関する記述がしばしば登場する。また、ほぼ同時期に生起した「過激な」性教育バッシングは、性的マイノリティに焦点を当てた教育実践を批判の対象としてきた。しかしながら、反バックラッシュの対抗言説においては、ジェンダーの視点を中心に組み立てられ、性的マイノリティや若者の性といったセクシュアリティをめぐる論点については、これまで十分に分析されずに放置されてきたのではないか。
この報告では、2002年から2004年にかけて国会において展開された『思春期のためのラブ&ボディBOOK』をめぐる性教育論争を中心に分析することをつうじて、
[1]バックラッシュ派は、
a)若者の性をめぐる環境・状況の大きな変化に対して、「モラル」を強調することで対処しようとしていること、
b)伝統的な家族や性のあり方を破壊する教育実践として、ジェンダーフリー教育と「過激」な性教育を捉えていること、
c)さらに、ジェンダーフリー教育による性差の消失を国家的な危機として捉えていること、
d)性差の消失した「中性人間」の一部に同性愛者を含めていること、
を明らかにしたい。
そのうえで
[2]バックラッシュ派がジェンダーフリー教育の結果生み出されると主張する「中性人間」に対して、反バックラッシュの言説が、「私たちはセックス(生物学的性差)の差異を無視していない」と反論するとき、セックスにおける差異の肯定が異性愛の自然化(ヘテロセクシズム)を生み出し、同性愛嫌悪が潜む可能性について検討したい。
バックラッシュにおけるフェミニズム攻撃は、扇情的で非論理的な標語の羅列が多く、筋道をたどることがなかなか難しいが、あえて論点を整理すると、1)生物学的性差決定論に基づく「女/男らしさ」の強調 2)性別役割分担家族の理想化 3)女性の存在理由を生殖能力に還元 4)「性の二重基準」を前提とした禁欲主義的性教育論などが、骨子となっている。
ここでは、生物学的性別、ジェンダー・アイデンティティ、及び社会的な性別役割の遂行が一貫して男性であり、性的指向が女性に向かう異性愛の「男性」を、それ以外の性別と区別し特権化する性別二分法が、背後仮説として前提されている。
こうした性別二分法は、戦前のイエ制度ならびに戦後の家族制度下で社会通念化されていたジェンダー・イデオロギーの再現ともいえる内容である。また、1970年代以来のフェミニズム運動、女性学・ジェンダー研究ならびに、国連をはじめ、政府・自治体で展開されてきた性差別撤廃政策が批判し、解体しようとしてきた相手は、まさに、この性別二分法の思考法であり、それに基づく性別二元制の社会システムであったはずだ。
こうした歴史の流れを揺れ戻す性別二分法イデオロギーは、単にいわゆるバックラッシュ派の論客によって喧伝されるのみならず、反フェミニズム感情ないし嫌フェミニズム感情の蔓延に乗って、国会や地方議会での論議にも登場し、条例や法制度の改変にまで到る危険なしとしないほど、今の日本の状況は緊迫している。
今回の報告では、バックラッシュによって再構築されつつある性別二分法イデオロギーを、あらためて批判の俎上に乗せ、フェミニズム・女性学・ジェンダー研究が立つべき立脚点を再確認したい。
本報告では近代日本で女性同性愛が周縁化された過程について述べる。現代では同性への性的指向という共通項のもと同一カテゴリーにくくられるが、大正期における問題化の位相はジェンダーや階級によって異なっていた。大正期の同性愛に関する記事を分析すると、男性同性愛は犯罪性が強調される一方、女性同性愛に関しては富裕層の女性に限り危険視されている。それに対し下層階級の女性に関しては特に危険視されていない。
同性愛者の自己表象は、カミングアウトという社会的行為によって示されてきた。その行為は、ときに、異性愛主義という社会規範への「抵抗」の手法として表現される。しかし、レズビアンにとってのカミングアウトは、ただ「抵抗」の側面のみならず、「女」であるというジェンダーもあわせ持つがゆえに、ゲイのそれとは差異が生じる。本報告では、カミングアウトは、レズビアンにとって、いかなる意味をもちうるのかを、レズビアンによる自己表象と他者による承認の問題をめぐって考察する。
アイデンティティ・ポリティクスの終焉がいわれて久しい。他方、日本のレズビアン・ポリティクスでは、未だレズビアンの「不可視化」が乗り越えられるべき課題の一つだとされている。本報告では、差異を含む〈わたしたち〉をどのように語ることができるのか?という問題意識から、レズビアンである〈わたしたち〉の内部の差異や亀裂によりセンシティブな表象のポリティクスの可能性を模索する。
子どものジェンダー形成において保育者の持つ役割は非常に大きい。その観点から報告者は2005年、保育園に勤務する職員たちのジェンダー意識に対する質問紙調査を行った。本報告においては、質問紙調査での結果を元に、実際の保育場面において保育者たちにどのようなジェンダー意識が働いているのかについて、保育者たちの生の声から分析し、明らかにしたい。
男女共同参画社会の実現に向けて、これまでの仕事中心の男性の生き方の変更が大きな焦点になってきている。そのような中で、平成18年度に青森県の委託を受けて実施した「青森県男性の男女共同参画に関する意識調査」結果を基に、男性の意識の変化の現状を明らかにするとともに、そのような変化を男女共 同参画社会の実現につなげるための課題について考察 する。
本研究の目的は、性サービス業を利用している男性への質的調査から彼らの利用に関する意識を考察することにある。性の商品化、売買春の議論において「買う側」とされる男性は問題視されつつも、彼ら自身が研究の対象となることはあまりなかった。彼らがなぜ、どのような経緯で性サービス業を利用するのか、また彼らにとって性サービス業、またそこに従事している女性はどのような存在であるのか、30人の質的データをもとに考察していく。
人身「受入国」日本において、21世紀の「女性と子どもの人身売買」がどのような仕組みで発生し、問題の所在がどこにあるのかを本研究では探っていきます。具体的には、発表者自身が活動に参加している民間シェルターに避難をしてきた女児・女性たちの公開された記録を、プライバシーに配慮しつつ分析をし、現在の「人身売買」問題にアプローチします。本発表では「1」で「人身売買」を国際的組織犯罪とみなした国連定義を考察し、「2」で民間シェルターの報告や記録を検証し、「おわりに」で当該問題の所在をまとめます。
地方自治体の中には、国際婦人年以降、女性行政の一環として地域のリーダー育成を目的とする海外研修を長年実施してきたところがある。A県では、その研修に参加しインパクトを受けた女性たちの一部が、市民団体をつくり自主的な学習活動を継続している。本研究では、中高年期女性がグループによる学習活動 とネットワークづくりを経て、どのように主体と
して力量形成をし、地域社会においてNPOの代表、地方議会議員等として活動することが可能となったのかを考察し、その課題を探る。
家族におけるマルトリートメントの視点は、子どもに対する不適切な対応を取り上げ、大人との関係を分析していくものである。本発表では、児童虐待を現象面から捉え、虐待した大人(保護者や親)の行為をジェンダーの視点を取り入れて分析する。その内面や家族関係については、ピエール・ブルデューの「行為者」概念を用い、象徴的諸関係がもたらす結果としての象徴権力や象徴暴力の作用について考察する。
選挙におけるジェンダー・クオータには、政党が任意に党の方針として行なうものと憲法や法に基づいて全政党に適用を命ずるタイプの二つがある。現在、前者は73カ国、163政党、後者は43カ国で採用されている。クオータは、女性の過少代表を是正するための極めて有効な方策であるが、その是非をめぐる論争はフェミニストの間においてさえ決着のつかない議論となっている。本報告では、まずクオータの二つのタイプの特徴を概観し、クオータ制度の是非をめぐる論争について議論する。
近年、NPOや市民活動への関心が高まり、それらの活動は、市民、NPO・市民団体、民間企業、「官」等の多様な主体が担う「新しい公共」として論じられている。しかし、NPO・市民団体における実践の大きな部分を女性が担っているにも関わらず、論じられる市民像は、自立して主体的に行動できる個人であり、公的/私的領域の二元的枠組みに基づいたものである。依存的な存在を切り捨てた個人をモデルとする社会を越え、活動する女性が求める、多様な人間が共存する社会、相互依存を認める社会を創造することは可能であろうか。本発表は、従来の理論をジェンダー視点で検討し、女性たちの具体的な実践事例に基づく議論から、女性の活動が相互依存を認める社会を創造する可能性を探ることをめざす。
1975年の「国際婦人年」以降、日本国内では女性労働に関する様々な制度上の画策がなされた。特に重要なのは、1978年11月の労働基準法研究会報告に端を発する、労基法「改正」ならびに男女雇用平等法立法化の問題である。これに対しリブ運動は総じて反対の声をあげたが、その過程で「私たちの男女(雇用)平等(法)をつくる」動きと、逆にそうした動きを「女の(階層)分断」構造を強化するものとして強く批判する動きとが生まれた。この双方の論点とその差異を整理する。
まず、リベラル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズムなどの欧米のフェミニズム理論が日本社会にしめる女性の位置を十分に説明できない点を指摘する。次に、思想基盤となる日本と欧米の社会構造が異なる点に着目し、それがもたらす権力構造、男女間、階層間、民族間の差異が複合的に反映される日本の労働市場や家族構造の特色を分析することにより、日本型フェミニズム理論の構築を試みる。
近年、フェミニズムへの敵意や嫌悪感といった社会意識が、フェミニズムへのバックラッシュを支えるものとして問題視されている。一方それらの嫌悪感は、現時点での「普通の人々」の持つフェミニズムのイメージの一つと捉えることもできる。本報告では、フェミニズムや男女平等といった概念が、個人の感覚との距離で捉えなおされる現象についての考察を行いたい。またそれによりフェミニストと非フェミニストの連続性の一端を示すことができればと考えている。
村上春樹のベストセラー、『ノルウェイの森』の重要な影の破壊者、レズビアン少女について、また二人の女_性の性愛をめぐる物語『スプートニクの恋人』の分析。村田喜代子の『雲南の妻』の女性婚の関係はなぜ続かなかったのか、雲南の母系社会と女文字、中国女工間の同性愛・金蘭契などの問題を考察。金原ひとみ『アッシュベイビー』のレズビアン表現、サド・マゾヒズムの性愛などをめぐって。
現在、大学においてハラスメントを始めとしたジェンダー・セクシュアリティの問題を避けて通ることはできないが、学生側がそれらの課題について主体的に改善の取り組みを行うことは珍しい。しかし立命館大学では、2002年からジェンダー・セクシュアリティを専門に扱う学生団体が活動を続けている。その活動テーマは、セーファーセックスや DV、ハラスメント、セクシュアル ・ライツと多岐に渡っている。この団体が、大学という環境の中でジェンダー・セクシュアリティの問題をどのように打ち出し、その活動を展開してきたかについて考察を試みたい。
インターネットの普及に伴い、あらゆるメディアを巻き込みながら、ますます社会全体に増殖するポルノグラフィ。ポルノグラフィに日常的に曝露され、あるいはそれを継続的に使用することは、人々−男性だけでなく女性も−の性意識や性行動に、どのような影響を与えているのだろうか。この問題を、ワークショップでは2つの材料を用いながら考えます。1つは社会に溢れるポルノ画像。主催者が取捨した画像を実際に見ながら考えます。もう1つは、男性を対象に昨年行った「ポルノグラフィと性行動に関するアンケート」の調査結果で、その分析をとおして、日常的なポルノ使用が男性の性行動に与えている影響について考察します。今日の日本社会で生じている広範な性暴力の問題に関心を抱いている会員の皆様に、ぜひ参加していただきたいと思います。
第一日目のシンポジウムのテーマについて、さらに議論を深めたい。参加者の皆さんの活発な意見交換を期待しています。
日本女性学会第14期幹事会および会員有志は、2007年1月27日の柳沢厚生労働大臣発言に関する意見書を作成し、2月2日に公表した。以下に、声明文全文を掲載する。
柳澤伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。
これは、子育て支援を司る行政の長としてまことに不適切であり、即刻辞任されるよう強く求めます。
大臣の発言には、以下のような問題があると、私たちは考えます。
第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。
第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。
第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。リプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方は、カップル及び個人が子どもを産むか産まないか、産むならいつ、何人産むかなどを自分で決めることができること、そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。
第四に、子どもを多く産む女性(カップル)には価値がある(よいことだ)、産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。
第五に、少子化対策を、労働環境や社会保障の制度改善として総合的に捉えず、女性の責任の問題(女性各人の結婚の有無や出産数の問題)と捉えることは、誤った認識です。子どもを育てることは、社会全体の責任にかかわることであって、私的・個別的な家族の責任としてだけ捉えてはなりません。
第六に、「産む(産まれる)」という「生命に関する問題」を、経済や制度維持のための問題(数の問題)に置き換えることは、生命の尊厳に対する危険な発想といえます。もちろん、出産を経済、数の問題としてとらえることが、社会政策を考える上で必要になる場合はありえます。しかし、社会政策はあくまで人権擁護の上のものでなくてはならず、生命の尊厳への繊細な感性を忘れて、出産を国家や経済や社会保障制度維持のための従属的なものとみなすことは、本末転倒した、人権侵害的な、かつ生命に対する傲慢な姿勢です。
以上六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。
柳澤大臣の発言にみられる考え方は、安倍首相の「子どもは国の宝」「日本の未来を背負う子ども」「家族・結婚のすばらしさ」などの言葉とも呼応するものであり、現政権の国民に対する見方を端的に表しているものと言えます。2001年の石原慎太郎「ババア」発言、2002年の森喜朗「子どもをたくさん生んだ女性は将来、国がご苦労様といって、たくさん年金をもらうのが本来の福祉のありかただ。……子どもを生まない女性は、好きなことをして人生を謳歌しているのだから、年をとって税金で面倒をみてもらうのはおかしい」発言も同じ視点でした。産めない女性に価値はないとしているのです。少子化対策が、国のための子どもを産ませる政策となる懸念を強く抱かざるを得ません。
小泉政権に引き続いて、現安倍政権も、長時間労働や格差、非正規雇用差別を根本的に改善しようとせず(パート法改正案はまったくの骨抜きになっている)、障害者自立支援法や母子家庭への児童扶養手当減額、生活保護の母子加算3年後の廃止などによる、障がい者や母子家庭いじめをすすめ、格差はあっていいと強弁し、経済成長重視の新自由主義的優勝劣敗政策をとり続けています。ここを見直さずに、女性に子どもを産めと言うことこそ問題なのです。したがって、今回の発言は、厚生労働省の政策そのものの問題を端的に示していると捉えることができます。
以上を踏まえるならば、安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。以上の理由により、柳澤伯夫厚生労働大臣の速やかな辞職と、少子化対策の抜本的変更を強く求めるものです。
「うわー、全然数字があわないよー」「どれくらい?」「軽く30万円以上・・・」「減ってるの?」「いや・・・増えてる」—また、この季節がやってきた。企業と同じ春の決算期である。
会計の日常の仕事はごくごく淡々としたものだ。請求書がくれば振り込み、入金があればそれを記録する。毎月の幹事会で領収書をもっておずおずとやってくる幹事にはギロリと威嚇しながら(嘘ですよ、ニコヤカに)立替分を支払う。
学会の収入は、会費と学会誌の売上げがほぼすべてを占める。財布を握るものとしては、昨今の会員の減少傾向が特に気になっている。主として会員が高齢化したことにより、退職に伴い退会を決断される方が多いように思う。「○年間ありがとうございました。これからも貴学会のますますのご発展をお祈りしております」と丁寧に添えられた文面など見ると時には涙も出そうになる。新規入会者の獲得、学会誌の販売促進などとともに、まだまだ改善すべき点がありそうだ。
収入に比して、支出のほうは、学会誌やニュースの発行に伴う経費、研究会や大会の開催に伴う経費、幹事会活動費や事務局費など多様である。収入の基礎的な部分の増大が見込めない以上、当然のことながら会計はシブチンにならざるを得ず、常に「どこを減らせるか」の発想に気がめいることもしばしばだ。
そして、お仕事のピークは会計の締めの作業である。学会がもっている3つの口座のお金の出入りと2人の会計幹事(今期のパートナーは合場敬子さん)のそれぞれの手持ちのお金を帳簿とつきあわせるこの作業が一年で一番つらい。「前年度繰越金+総収入−総支出=3つの口座の残金+2人の手持金」になれば万々歳。だが・・・。
冒頭のようにこの作業中には「ぎゃー」とか「ひえー」とか悲鳴が飛び交い続け、作業は何時間にも及ぶことになる。ここ数年、帳尻があわないといっても「ある」べきお金が「ない」のではなく、「ない」はずのお金が「ある」、というのがせめてもの救い(?)。いやいや、やはり、皆さんの前で監査の方に胸をはって「以上、間違いありません」と言われなければ、会計としては失格だ。
今年こそ、今年こそ、と思いながら、3年目の春を迎える。
2007年の大会シンポジウム『バックラッシュをクィアする〜性別二分法批判の視点から〜』に向けて、事前研究会を3月31日(10時から12時半)に開催しました(参加者は15名)。風間孝「若者のセクシュアリティと性的マイノリティ−−性教育バッシングの影響を考える−−」と井上輝子「バックラッシュにおける性別二分法の構築」の2つの報告がありました。
風間報告では、『ラブ&ボディBOOK』をめぐる国会での論争の分析がなされ、「性別をなくすのではない、中性人間を作るのではない」等という応答の中に、同性愛者などの性的マイノリティの排除の意識がなかったかなどという問題提起がなされました。
井上報告では、バックラッシュ側が、(1)生物学的性差決定論、(2)二項対立必要論、(3)性別役割分担家族の理想化、(4)母性神話への固執、(5)性道徳強調型性教育のすすめ、などを主張しているという整理がなされ、それに対する根本的な対応が必要であるとの見解が示されました。
バックラッシュ派の「性別二分法(異性愛を前提とした男女二分法)」への批判が必要というだけでなく、フェミニズムの中の一部、行政の中の一部にも性別二分法にのっているものがあることが議論されました。それに対して、ジェンダーとセクシュアリティを総合的に把握して、豊かに「性の多様性」「ジェンダーフリー」をとらえていくことが必要であるという意見が出されました。また現実の社会において、マイノリティグループへの差別がある中で、マイノリティグループのアイデンティティを尊重した運動の意義も確認されました。したがって今後、運動戦略上の「本質主義的」なありかた(性別二分法の上での運動、当事者性尊重、アイデンティティポリティクス)と、非本質主義的な運動のありかた(ジェンダー・アイデンティティ解体、ジェンダーフリー、シングル単位、多様性)のバランスがどこにあるかの議論が必要という意見も出ました。マジョリティを均質にとらえないことの重要性も指摘されました。
他の報告者を交えての第2回研究会が必要ということになり、5月19日に開催することになりました。
場所:国立社会保障・人口問題研究所 (日比谷国際ビル6階) 第4会議室
日時:5月19日(土)10:00〜12:30(13:30〜幹事会)
参加はどなたでも可能です。なお参加希望者は、事前に伊田広行(henoru●tcn.zaq.ne.jp)あてにご連絡ください。
(●を@に置き換えてください)
4月より、会計年度が新しくなりました。同封の郵便振替用紙にて2007年度会費7,000円をできるだけ早めにご入金くださいますようお願いいたします。
| 上村千賀子 | 『女性解放をめぐる占領政策』 | 2007/2 勁草書房 |
3,300円+税 |
| 今田絵里香 | 『「少女」の社会史』 | 2007/2 勁草書房 |
3,300円+税 |
| 杉山秀子 | 『プロメテウス:神近市子とその周辺』 | 2003/4 新樹社 |
2000円+税 |
| 山本昭代 | 『メキシコ・ワステカ先住民農村のジェンダーと社会変化:フェミニスト人類学の視座』 | 2007/2 明石書店 |
7,200円+税 |
| Diana Khor and Saori Kamano (eds.) コーダイアナ・ 釜野さおり(編) |
“Lesbians” in East Asia: Diversity, Identities and Resistance | 2007/1 Haworth Press |
ハードカバー $40 ソフトカバー$20 |
| 伊田広行 | 『これからのライフスタイル』 (「仕事の絵本」第5巻) | 2007/2 大月書店 |
|
従来ニューズレターでは、会員から学会に寄贈いただいた図書を紹介してきましたが、今後の掲載ルールを以下のように変更し、「会員からの寄贈図書」コーナーを「会員の著作紹介」に衣替えいたします(幹事会審議事項参照)。
1) 会員が執筆・編集している単行本(分担執筆含む、雑誌をのぞく)
2) 一年以内の発行物
3) ご本人からお申し出があったもの
4) 寄贈は要件としない
以上のルールで、会員のみなさまが執筆されたものの紹介をしていきたいと思います。掲載ご希望の方は、ニューズレター担当者までご連絡ください。
ニューズレター担当:伊田久美子:idak●hs.osakafu-u.ac.jp
木村 涼子:kimura●hus.osaka-u.ac.jp
(●を@に置き換えてください)
幹事会では、受信を希望する会員の方に、不定期に情報をお届けするメールニュースを発信しています。ニューズレターは年に4回の発行(今後3回の発行となる)ですので、その時々にお知らせしたい速報性のある情報については、メールニュースという形で提供しています。ぜひご登録の上、ご利用ください。登録のお問い合わせ等は下記連絡先までお願いします。
日本女性学会事務局 FAX: 047−370−5051
また、配信を希望される方は広報してもらいたい情報をテキストデータ形式にて、メールニュース担当幹事の 風間 孝(tkazama●lets.chukyo-u.ac.jp)までお送りください。幹事会で検討ののち、配信させていただきます。
(●を@に置き換えてください)
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第109号[PDF] 2007年2月発行
| 会場 |
法政大学 市ヶ谷キャンパス東京都千代田区富士見2-17-1 |
|---|---|
| シンポジウム |
バックラッシュをクィアする
|
| 1日目 6月9日(土) | |
|---|---|
| 13:00〜16:30(予定) | シンポジウム その後総会、懇親会 |
| 2日目 6月10日(日) | |
| 10:00〜12:00(予定) | 個人研究発表 |
| 13:00〜15:00(予定) | ワークショップ |
* 保育を予定しています。詳細は次号をご覧ください。
タイトルと発表の概要(200字程度)・発表時に使用する機材(機材は希望にそえない場合があります)を記載して、3月20日までに、ニューズレター担当の木村涼子・伊田久美子まで、メールかファックスでお申し込みください。
ワークショップ :木村涼子 kimura●hus.osaka-u.ac.jp fax:06-6879-8115
個人研究発表 :伊田久美子 idak●hs.osakafu-u.ac.jp fax:075-791-9273
(●を@に書き換えてください)
* ワークショップは、参加者との共同作業でテーマを発展させていく取り組みであり、個人報告とは性格の異なるものです。
* 個人研究発表は、共通テーマでのパネル応募も可能です。人数は3人以上とします。各報告の発表時間の公平性と質問の時間を十分にとることにご留意いただき、時間の配分、司会者等を申込者で設定してください。
ワークショップ、個人研究発表をされる方で、学生・院生・OD等、常勤職に就いておられない方には、学会より旅費の補助をします(総額10万円を、人数と距離に応じて配分しますので、補助金額は未定です)。希望される方は、報告申込のさい、「旅費補助希望」と明記してください。
詳細は次号をご覧ください。
| パ ネ リ ス ト | :井上輝子、クレア・マリィ、風間 孝 |
| コ メ ン テ ー タ ー | :金井淑子、田中 玲 |
| コーディネーター・司会 | :釜野さおり、伊田久美子 |
ジェンダーフリー・バッシングには、「男女共同参画」や「ジェンダー」概念への反感だけでなく、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーへの嫌悪感(ホモフォビア、レズボフォビア、バイフォビア、トランスフォビア)が根深く含まれている。このことは、バッシングが性的少数者を含むセクシュアリティのありかたを攻撃の対象としていること、すなわち、性別二分法規範と相容れない性のありかたやその規範を疑問に付す実践に対する攻撃であることを示しているといえるだろう。
しかしながら、バッシングに対するフェミニズム側からの対抗言説は、これらの「フォビア」を分節化し、そのうえで十分な批判や反論を行ってきただろうか。また、あえて触れぬことで、「フォビア」を温存する傾向はなかっただろうか。「フォビア」や「セクシュアリティ」への対応の不十分さは、ある意味でバックラッシュに対抗する上での「アキレス腱」であり、そこをバックラッシュ側につけこまれてきたとも考えられる。
また、ジェンダーフリー・バッシングとほぼ同時期に生起した「過激な」性教育バッシングは、近年の若者の性の「乱れ」や、性的少数者に焦点を当てた教育実践への批判をつうじておこなわれてきた。性教育バッシングの顕在化に対して行政や学校現場では、これらの動きを意識するあまり、これらの教育実践を規制しようとする風潮も生じている。「過激な」性教育バッシングもまた、若者の性や「フォビア」を含むセクシュアリティに関して議論が不十分なところを狙って行われているのである。性教育バッシングに対抗するには、若者の性や「多様な」性のありかたを含んだ、セクシュアリティそのものをどのように認識していくのかという根本的な議論が必要とされている。
ジェンダーフリー・バッシング、そして「過激な」性教育バッシングからなる一連のバックラッシュに対抗するには、ジェンダーとセクシュアリティを切り離すことなく、その関係性について改めて考え、認識を深めることが必要とされているのである。
本年度の大会シンポジウムにおいては、クィア・スタディーズのアプローチ、すなわちジェンダーとセクシュアリティの非因果的であるが切り離すことのできない関係を問い、かつジェンダーやセクシュアリティの認識における二元論的な図式(性別二分法規範)を問うていくアプローチを踏まえつつ、(1)バックラッシュにおけるジェンダーとセクシュアリティの絡み合いを正面から取り上げ、(2)ジェンダーへの焦点化に偏りがちであったバックラッシュへの対抗言説にセクシュアリティの視点を導入する意義を確認し、(3)そのことがバックラッシュに反撃するうえで不可欠であることを共有していきたい。
昨年11月に教育基本法「改正」が強引に進められた。事態を憂慮した第14期幹事会は、女性学研究の立場からこの「改正」に関する緊急声明を発表した。
以下に声明文全文を掲載し、合わせて教育基本法「改正」問題に関する動向を報告する。
11月16日、教育基本法改正案は、野党欠席という異常事態の下、自民・公明の連立与党による単独採決によって衆議院を通過し、現在、参議院での審議に入っている。教育に関わる憲法とも言われる重要な法律の改正が、十分な審議を尽くさないままに遂行されようとしていることに対して、日本女性学会はここに声明を発するものである。
今般の教育基本法「改正」の与党案については、実に多くの個人および団体から疑問や反対意見・声明が提出されており、議論すべき点は多方面にわたっている。改正案には、日本女性学会が結成の柱とする「あらゆる形態の性差別をなくす」という観点からも、看過できない種々の問題点がふくまれている。
まず、現行第5条「男女共学」(「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」)の削除は、教育分野における男女平等の根幹をゆるがすものである。この条項は、戦前の学校教育システムが男女別学・別学校体系により女性差別を制度化していたことへの反省に基づき、男女共学の基本を謳ったものである。現在もなお、高等教育進学率における男女間格差や、後期中等教育および高等教育での専攻分野における男女比率のアンバランスなど、就学経路上の男女平等を確立する課題は山積している。女性学研究は、そうした就学経路上の男女格差が社会的・文化的に生み出されるプロセスや、教育における男女間格差が雇用などの性差別の問題とつながっていることなどを明らかにしてきた。第5条の削除は、それらの課題解決の進展を阻むのみならず、男女特性論に基づいた公立の別学校を新たに誕生させるなど、男女をことさらに区別した教育を展開させる誘因になるのではないかと強く危惧する。
その危惧は、現行法には存在しない「家庭教育」と「幼児期の教育」という二つの新設条項についてもあてはまる。「父母その他の保護者」の「子の教育」に関する「第一義的責任」をさだめた第10条「家庭教育」と、「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」と謳った第11条「幼児期の教育」は、教育や福祉の分野を、国家の責務から「家庭」の責務に転換していく方向性をもつものであり、さらには「母性」や固定的な性別役割分担の強調につながる危険性がある。
一方、改正案は、第2条「教育の目標」第3号(「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」)の中に、現行法には含まれていない「男女の平等」という理念を掲げている。しかし、そもそもこの第2条そのものが、国民に求められる「徳目」をさだめる性格をもち、私たちの精神的自由を侵す危険性をはらんだものである。男女平等は国民にとっての権利であり、名宛人を国家とする教育基本法においては、「教育上男女の平等は保障されなければならない」といった国家の責務をさだめる条項として位置づけられるべきである。にもかかわらず、改正案における「男女の平等」は、国民にもとめられる「徳目」として掲げられており、その位置づけには大きな疑問が残る。
同じく第2条第5号(「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」)は、愛国心を強制するものとして幅広い抗議を巻き起こしているが、この条項については性差別の撤廃という観点からも、重大な問題がある。この条項に含まれる「伝統と文化の尊重」という文言は、近年のジェンダー・フリー・バッシングのなかでさかんに使われているフレーズであり、「伝統や文化」といった多義的でしかあり得ない概念によって定義された「教育の目標」条項が、今後政治的に利用されていく可能性は極めて高い。その可能性は第2条全体に対して言えることであり、この条項と、現行法第10条「教育行政」を「改正」した第16条第1項(「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」)とが連動することにより、「教育の目標」に沿わないと解釈された教育実践や教育運動は、「不当な支配」に相当するものとして排斥されていくだろう。現行の教育基本法第10条が、戦前の反省を踏まえて目指した、国家権力の中枢に近いところに位置する「官僚とか一部の政党」(昭和22年3月14日衆議院・教育基本法案委員会・政府委員答弁より)による「不当な支配」の排除とは、まったく逆の方向への「改正」と言わざるを得ない。
多くの課題を残したまま、広範な抗議の声を無視して、政府与党は、近々12月8日にも教育基本法改正案の成立を目指している。日本女性学会は、性差別の撤廃という設立の趣旨を貫く立場から、今般の教育基本法「改正」の動きに強く抗議するものである。
2006年12月15日、1947年教育基本法は第165臨時国会で死刑宣告されてしまった。防衛庁昇格法とともに国の方向性を決める重要な法案が「改正」の理由も不明、内容の討議はほとんどなされず、人々の理解が得られないまま、数に物を言わせて成立した。いじめゼロ報告、未履修問題、タウンミーティングでのやらせ問題と続出する常識を逸した事態に対して国会答弁で他人事のように「規範意識の欠如」を連発した文部科学大臣は、その原因が47年教育基本法にあるとして葬り去った。それにしても教職員組合も市民グループも反対運動は本当によく頑張ったと思う。11月初めから国会前でハンストに入った人々を含め国会前集会には毎日1000人以上が参加したしリボンとキャンドルによる「ヒューマンチェイン」には5000人が集まった。(ただしこの動きが統一されなかったのは残念に思う)しかしこれらの反対運動についてマスメディアは徹底して無視し続けたために、多くの市民は、この問題の重要性に気づいていなかった。また私は何度か国会傍聴をしたが議論の内容は本当にお粗末、ただの時間稼ぎ、真剣さもなく国民を愚弄していた。とくに衆議院特別委はひどかった。民主党が「改正」を前提としていたことは今回「改悪」を許した最大要因だった。参議院特別委では、国会外での反対運動の広がりとやらせ問題などの実情が明らかになるにつれ容易に採択というわけにいかなくなった。12月5日、参議院特別委員会での神本美恵子さんは日本女性学会幹事会の「緊急声明」を手に「改正」案は、明らかにジェンダー平等政策の撤退であることを指摘した。しかし初めに成立ありき、急速に大きくなってきた反対の声は黙殺された。
今後の課題として現憲法下では新法は違憲立法であることに間違いない。廃案にしていくためには新法への批判的世論を高めることが重要だ。また1月末に始まる通常国会に学校教育法をはじめ関連法案が国会に提出されることになる。新法第17条教育振興計画を策定にも取り掛かるだろう。新法の実効性をもたせないために関連法案成立をさせないこと、監視する運動も必要。しかしなんといっても憲法改悪を阻止していくために統一地方選、7月の参議院選で安倍首相を退陣させること、そのための野党の連携が今、一番必要だと痛感している。今回のように数の暴挙を許さないために。
ニューズレターは年間4回発行します。学会大会や総会の案内、報告がメインの記事となります。大会が年1回となってからは会員の研究会への助成を行っていますが、そうした研究会のお知らせや報告、それに会員に有用な情報の提供や会員相互の情報交換の場として機能することを心がけております。
もうひとつこの間心がけているのは、幹事会が何をやっているかを会員にできるだけお知らせすることです。そのために数年前から幹事会議事録を掲載しております。また今期は「幹事のお仕事」というコラムを設けて、学会運営のさまざまな事務仕事を紹介しています。
メールのおかげで、執筆者や印刷所との原稿のやりとりは本当に楽になりました。それでもときどきは、お世話になっている京都の印刷所へ出向くことも必要です。原稿を集め、印刷所に送り、校正のやりとりをし、一段落するとまもなく次の号の準備をしなければならない時期がきます。けっこう1年中仕事の切れ目がない状態です。
幹事会だけでなくできるだけ会員のみなさんに書いていただくことを目指しています。原稿の依頼があれば、是非ご協力くださいますよう、お願いいたします。
11月24日金曜日都内で開かれた暴力AV研究会は、日本女性学会から1人の参加者を得、APP研究会会員の参加もあり、企画者の司会とインタビューによる有益で濃密な2時間強の時間をもつことができた。報告者の誠実で詳細な報告により重要な事実をたくさん知ることができた。とくに、プロダクションとメーカーの役割の違いよくわかり、大きな収穫があった。
事前に用意した質問への丁寧な答えは、一般には知られていないことが多く、AV業界の実態と問題点が、現場の方から網羅的に語られた、初めてのものになると思われる。
*研究会(会員企画)を随時募集しています
研究会担当幹事にお申し込み下さい。
伊田広行(henoru●tcn.zaq.ne.jp)(●を@に書き換えてください)
| 狩谷あゆみ編 | 『不埒な希望 ホームレス/寄せ場をめぐる社会学』 | 松籟社 | 2200円 |
| ベル・フックス/里見実訳 | 『自由の実践としてのフェミニズム教育 とびこえよ、その囲いを』 | 新水社 | 2800円+税 |
| 岩淵宏子、長谷川啓 | 『愛・性・家族』 | 東京堂 | 2200円+税 |
| 田間泰子 | 『「近代家族」とボディ・ポリティックス』 | 世界思想社 | 3,200円+税 |
| 女性の家HELP(編) | 『希望の光をいつもかかげて:女性の家HELP20年』 | 日本キリスト教婦人矯風会 | 1000円 |
| 杉浦郁子・野宮亜紀・大江千束(編著) | プロブレムQ&A 『パートナーシップ・生活と制度』【結婚、事実婚、同性婚】 |
緑風出版 | 1,700円+税 |
柳澤厚生労働大臣の「産む機械」発言に対する抗議声明文を、会員の大本良子さんのご協力を得て2月2日に幹事会名で提出しました。声明文は学会ホームページに掲載されています。ニューズレター次号にも掲載する予定です。
かねてより学会誌『女性学』の売れ行きが低迷しており、学会財政は厳しい状況が続いています。在庫も拡大し、倉庫保管料を新たに負担せざるをえない状況になっています。
女性学の普及のためにも、会員の皆様に、学会誌の購入・販売促進にご協力をお願いいたします。
1. 学会誌のバックナンバーをお持ちでない方は、同封の「注文書」で、新水社に直接ご注文ください。割引があります。
2. 勤務校などの図書館に女性学のバックナンバーがそろってない方は、欠号をご購入ください。
3. 現在創刊号が品切れです。創刊号を復刻し、創刊号から13号まで全号揃セット定価31000円(直接販売の場合、割引あり)で販売予定です。一定数の予約注文が取れ次第、復刻いたします。創刊号が復刻されれば、バックナンバーを図書館などにセット購入していただける方は、同封の「予約注文書」を、学会事務局 (Fax:047(370)5051)まで、お送りください。
会員の皆様の、ご協力をお願いいたします。
2007年の大会シンポジウム『バックラッシュをクィアする〜性別二分法批判の視点から〜』に向けて、発表予定者を中心に、事前研究会をしたいと思います。
参加はどなたでも可能です。なお参加希望者は、事前に研究会担当幹事の伊田広行( henoru●tcn.zaq.ne.jp )あてにご連絡ください。(●を@に書き換えてください)
なお、当日の駆け込み参加もOKです。
発題予定
風間孝「若者のセクシュアリティと性的マイノリティ—性教育バッシングの影響を考える—」
他1、2名
日時:2007年3月31日(土曜日)10時から12時半
場所:国立社会保障・人口問題研究所(日比谷国際ビル6階)
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第108号[PDF] 2006年11月発行
各地、各界で頻発するここ3.4年のバックラッシュの動きに対して、反論のための出版活動をし、雑誌の特集を組み、集会や抗議活動を繰り広げるという形の「反撃」が大きなうねりの形で盛り上がったのが、今年の春から夏だったのではないのだろうか。関西を中心に活動している世界女性会議ネットワーク関西(通称:ネッ関)も、「何かしなければ」の思いにかられ、シンポジウムを企画した。その成果が、7月16日にドーンセンター(大阪府立女性総合センター)で開催された「今こそいるねんジェンダー平等、いらんて!そんなバッシング」である。会場は遠方からの参加者も含めて立ち見が出るほどの人で埋まり、「何とかしよう!」という参加者の熱気が強く感じられた。
シンポジウムは、落合恵美子さん(京都大学教員)の講演「世界の分岐と『ジェンダー』をめぐる政治」における日本の「家族主義」の弊害についての指摘と「伝統的家族」にしがみつくバックラッシュ派への批判で始まり、伊田広行さん(立命館大学非常勤講師)による国内のバックラッシュの背景と意味の分析(演題「ジェンダーフリー・バッシングの背景と意味」)、鶴田敦子さん(聖心女子大学教員)によるジェンダー教育の歴史と教科書検定という権力の行使によるバックラッシュ現象の浸透の指摘(演題「ジェンダーをめぐる教育の状況とこれから」)という順序で進行した。その後、自治体行政や地方政治(森屋裕子/世界女性会議ネットワーク関西)、条例制定(二木洋子さん/高槻市市議)、性教育(野村啓子さん/中学校教諭)、労働(屋嘉比ふみ子さん/働く女性の人権センターいこ☆る)、大峰山女人禁制(大野京子さん/I女性会議なら)の現場からの報告が行われ、全体で討論した。最後に伊田久美子さん(大阪府立大学教員)が「ジェンダー主流化の動きは止まらない」としめくくり、『今こそいるねん「ジェンダー平等」宣言』(『いるねん宣言』)を全員で採択して、シンポジウムは終了した。
ネッ関は、第四回世界女性会議に参加した関西在のグループや個人が連携し、北京会議の成果を日本の政策に活かしていくことを目的に作られたロビイングネットワークである。今まで、各地の計画や条例などへの提言活動の他、横山ノック前大阪府知事のセクシュアルハラスメント事件にあたっての「怒る女たちの会」や男女共同参画社会基本法制定に際しての「エエモンつくろう男女平等基本法」の動きなどを通じて、活動家、活動グループ、専門家、地方議会議員を横断的につなぐ役割を果たしてきたが、バックラッシュ状況下では各地での個別の対応に追われ、連携した広い動きをつくることはできないでいた。今回のシンポジウムは、社会の根本枠組みをかけた攻撃への「反撃」にこそ横断的ネットワークが有効であること、「連携とパワーの結集」は「反撃」と「参画」の両面でなされる必要があることを改めて確認するよい機会となった。
事件は、2005年11月、男女共同参画推進員からの「生活学習館の図書の内容を確認し不適切なものは排除するように」との申し出に始まる。福井県は「情報の提供は学習する上で必要である」と公式に回答し却下したが、その後153冊の排除本リストを持ち込んだ推進員の排除要求に屈し、2006年3月下旬、図書を書架から撤去した。
5月に事件の一報が届いた翌日、わたしは福井県敦賀市議の今大地はるみさんと関連の「公文書のすべて」を情報公開請求。同時に、福井県に対し「住民監査請求」と「抗議文」提出というダブルアクションを起こした。
県は153冊の図書のすべてを「誹謗中傷や人権侵害、暴力的表現などの公益を著しく阻害するものがないか」確認し、問題がないとして書架に戻した。
本を戻せば一件落着ではない。図書の排除は「思想・表現の自由および知る権利の侵害」であり、図書の内容の精査は「検閲」である。 上野千鶴子さん、江原由美子さんなど排除本リストの著者・編集者等で請求した情報公開では、5枚の「図書リスト」は「公にすることにより、個人の権利利益を害するおそれがある」としてすべて「黒塗り」。わたしたちは処分を不服として、情報非公開処分取消訴訟(原告20人/代表・上野千鶴子さん)の準備をはじめた。この動きを知った福井県は153冊の図書リストを公開した。勝てると確信していた提訴は「幻の訴訟」となり、わたしたちは8月26日に予定していた提訴集会を抗議集会に変更して開催した。集会では「福井県男女共同参画推進条例」に基づく「苦情申出書」を呼びかけ、80名(42人は福井県民)で提出した。(事件の詳細は「みどりの一期一会」http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/<福井・焚書坑儒>)。
図書排除の抗議運動は、今大地さん、上野さん、行政訴訟の準備をすすめた寺町知正さん、事務局のわたしの4人を中心にすすめてきた。
自治体の政策は「条例」が根拠であり、図書の選定に国の権限は及ばない。いかなる理由であれ、権力による図書の選別・排除は許されない。図書の排除とその後の混乱は、行政のことなかれ主義と隠蔽体質が引き起こした。わたしたちは迷走する福井県に対し、法や制度を熟知し、公的な手法でたたかってきた。
恣意的な図書排除(選別)はどこでも起こりうることだ。このような動きには、まず「図書の選別・排除は違法と認識すること」が不可欠だが、さらに、(1)女性センターなどの公正な運営ルールと図書選定の透明性の確保、(2)法・制度を熟知して市民が日常的に行政や議会の動きを監視、(3)公的手段を使って対抗するノウハウの共有、(4)指定管理者委託の「公の施設」を情報公開制度のブラックボックスにさせないこと、などが必要だと思う。情報公開制度を使って事実関係を精査し、問題を明らかにすることによって、有効な解決手段を選択することが可能になる。
わたしは学問とは無縁の市民だけれど、現場の市民運動でノウハウを培ってきた。法や直接民主主義の制度をつかった現場の実践と研究者も含めたネットワークを広げ、知恵と手法を出しあえば、各地で起きる組織的なジェンダー・バッシングに対抗できると思っている。今回の事件の成果は、その一例である。
「ジェンダーフリー」という用語や関連図書の公の場からの排除は、2000年ごろから徐々に広がり、今年初頭には、男女共同参画局が国会質疑を受けた「事務連絡」として、この使用を地方公共団体において「使用しないことが適切」と表明した。とくに今年相次いだジェンダーフリー・バッシングに反論する書籍や記事の刊行は、このような主流政治の場でのあからさまな反動に対するフェミニズム側からの異議申し立てである。
『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』(資料も充実。明石書店)、『「ジェンダー」の危機を超える!』(青弓社)、『バックラッシュ!』(双風社)、『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社)、『ジェンダーフリーの復権』(新風社)、『ジェンダーフリー・性教育バッシング』(大月書店)、『ジェンダーフリーは止まらない!』(松香堂書店)など、バッシングに対抗する数多の出版物を読むと、ポスト植民地主義の洗礼以降、その内部の差異を認識することにこそ重きを置いてきたフェミニズム論壇の、久びさの必然的連帯が浮かび上がって心強い。裏を返せば、かく言う私などフェミニズムの中で差異の承認を渇望してきたクィア・フェミニストさえ、連帯を恐れてはいられないほどただならぬ状況になってきた、ということでもある。与党自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」は、人びとの不安に依拠しスケープゴートに社会問題の責任をかぶせる典型的なプロパガンダの手法をもった、ジェンダーフリー・バッシングの一主柱だが、私たちは、この座長が首相を務める社会に生きているのだ。
ここへきて、フェミニストの間でも解釈と使用するか否かの見解が分かれている「ジェンダーフリー」という言葉に対しても、「同意はせずとも弾圧は許さない」という態度表明が続いている。「ジェンダーフリー」の再定義・再採用が始まっていると言えるだろう。
この流れの中で、フェミニズム側がほぼ共通に認識している主要課題は、(1)ジェンダーフリー・バッシングが「過激な」性教育をラベリングに利用できた理由の追及(2)政治経済再編によって新しい下層階層に位置づけられた(とくに若年男性)との連帯をどう実現するか(3)物事の論理的理解を避ける社会的傾向の中でメディアと教育にどう影響力をもつか、にまとめることができそうだ。どの課題も深遠だが、不遇をかこつマジョリティがジェンダーフリーやフェミニズムを標的としてその不満を発散させる根拠に向き合い、これを克服する道程を探すことに関わっている。とくに(1)に関連して、ジェンダーの力学との関係上、セクシュアリティが人間にとっての危険因子として扱われ続けることがいかに不毛かを再考させられる。この文化に対するオルタナティブを、フェミニストが追及する必要性を強調したい。
*幹事会って何をしているの?幹事をまだ経験しておられない会員の方々には、幹事会が一体どんな仕事をしているのか、年間を通しての動き方など、わかりにくい面があると思います。ニュースレターでは、幹事の仕事を役割分担ごとに紹介する、新コーナーを新設することにしました。第一回は「庶務」です。
今期(第14期)は、海老原暁子さんと釜野が庶務を担当しています。「庶務」では、幹事会運営に関わる事務全般ならびに幹事内や幹事会と学会事務局(ジョジョ企画)間の連絡・調整をする役割を担っています。私がこの役を引き受けた2年前、どなたからか、庶務は学会の運営が円滑に進むように全体に目配りしている必要があると教えていただきました。しかし、なりたての頃は、幹事会にどういう仕事があるのか、いつ頃何が起こるのか、いつまでに何をすべきなのかといったことが全くわからず、「目配り」するどころではありませんでした。2年のサイクルを終えて、振り返ってみて初めて「これが庶務の役割かな」と認識し始めたというのが正直なところです。
日常的な仕事はシンプルで、具体的には、総会議案書の作成、幹事会の会合の準備、郵便物・問い合わせへの対応、入会申込書の扱い、学会書類の保管が挙げられます。
まず、総会の議案書は、年次大会の1ヶ月前くらいに原案を幹事のメーリングリスト(以下、ML)に流し、必要に応じて各担当の幹事に執筆・補足を依頼し、代表幹事に確認を取りながら完成させ、必要部数を印刷して大会会場に持参あるいは郵送します。
年に6回程度開催される幹事会の際には、継続審議事項、ML上での連絡事項や議論中の事項等を拾い上げ、議案の原案を作成し、MLで他の幹事にインプットを依頼し、完成させます。議案や各幹事が持参する配布資料の印刷、会場の準備、欠席した幹事への資料の送付、場合によっては会議の日程調整も行います。
郵便物やファックスは、学会事務局から転送されてくるものを取捨選択し、担当の幹事や幹事会全体に情報を流します。例えば講演会やイベントについては学会ニュース担当やホームページ担当の幹事に連絡し、他の関連資料は会議の際に回覧します。また、必要に応じて、書類への記入や各種調査への回答もします。その他の問い合わせや取材申込みについては、ML上や幹事会の席で全体に計って対応します。入会申込みに関しては、学会事務局から届く申込書・添付資料を幹事会の席で回覧し、承認の有無を学会事務局に伝え、その後の手続きをお願いします。
学会事務局との契約書、学術刊行物助成金の応募書類、入会申込書、幹事会や総会の議事録や配布資料なども庶務で保管しています。今後は、さまざまな書類をPDF化し、効率良く保管できる体制を整える予定です。また、先々の幹事引き継ぎも念頭に置き、幹事会・学会の年間スケジュールや各担当の仕事内容を明文化した、幹事用の手引きも整備して行きたいと考えています。
以上が、本学会の「庶務係」の仕事です。仕事の性質上、他の幹事の協力がなければ動きのとれないことが多いのですが、それぞれご多忙な中、適宜対応してくださるおかげで、今まで続けてくることができました。力量不足で、なかなか全体の目配り役をこなすまでには至りませんが、会員の皆様には、今後とも温かな目で見守っていただければ幸いです。
日本女性学会の研究会補助制度による補助を受けて、「暴力AV研究会」を2006年6月25日(日)、東京都内において開催した。参加者は8名と少人数だったが、活発な質疑応答がなされ、今日の暴力AV制作現場の実態を知る有意義な機会となった。
今日、「レイプもの」「監禁もの」と呼ばれる、女性への様々な虐待を映像化したビデオやDVDの存在とその社会的影響について問題視する声が広がりつつある。実際に、AV撮影現場における集団強姦と拷問・虐待によって重い傷害を受け、後遺症によって車椅子生活を余儀なくされた被害女性の訴えによる事件(現在公判中)も起きている。そこで、そのAV会社のAV制作現場にライターとして居合わせ、壮絶な現場の暴力を目の当たりにして問題提起したMさんの経験、AV女優と呼ばれる女性たちの労働の実態についてお聞きした。現場の映像を使用しての報告により、参加者は構造的な暴力の存在について詳細な事実を知ることになった。「つぶす」という表現で、「使い古されたAV女優」が暴力AV出演を最後に映像から消えていく現実は、女性の身体と尊厳が搾取されている実情を明らかにした。
また、11月24日(金)午後6時から、新たに、「暴力AV研究会その2」を企画している。この回では、AV女優派遣事務所のマネージャーから、AV女優と呼ばれる女性たちの派遣労働の実情をお聞きする予定だ。女性学会会員のみなさまにも是非参加していただき、問題を明らかにしたいと考えている。
問い合わせ先:二瓶由美子 y-nihei●ssjc.ac.jp(●を@に書き換えてください)
「お知らせ」欄は幹事会および会員等からの公共性の高い情報を掲載します。
掲載希望はニューズレター担当者までご連絡ください。
ニューズレター担当:
伊田久美子:idak●hs.osakafu-u.ac.jp
木村 涼子:kimura●hus.osaka-u.ac.jp
(●を@に書き換えてください)
<応募要件>
研究会担当:伊田広行:田嶋陽子
連 絡 先:henoru●tcn.zaq.ne.jp (●を@に書き換えてください)
寄贈本で会員が著者もしくは編者である単行本新刊書誌情報を掲載します。
| 城西国際大学ジェンダー・女性学研究所 編 | 『ジェンダーで読む<韓流>文化の現在』 | 現代書館 2006年8月 |
1500円(税抜) |
| 若桑みどり、加藤秀一、皆川満寿美、赤石千衣子 編著 | 『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』 | 青弓社 2006年8月 |
1600円(税抜) |
| 堀江有里 著 | 『「レズビアン」という生き方—キリスト教の異性愛主義を問う』 | 新教出版社 2006年9月 |
2200円(税抜) |
| 水田宗子、長谷川啓、北田幸恵 編 | 『韓流サブカルチュアと女性』 | 至文社 2006年9月 |
2,381円(税抜) |
| 永原浩行、れいのるず・秋葉・かつえ 編 | 『ジェンダーの言語学』 | 明石書店 2004年12月 |
2,500円(税抜) |
| 唯物論研究協会 編 | 『ジェンダー概念がひらく視点:バックラッシュを越えて』 (唯物論研究年誌第11号) | 青木書店 | 4,000円(税抜) |
かねてより学会誌『女性学』の売れ行きが低迷しており、学会財政は厳しい状況が続いています。在庫も拡大し、倉庫保管料を新たに負担せざるをえない状況になっています。女性学の普及のためにも、会員の皆様に、学会誌の購入・販売促進にご協力をお願いいたします。
会員の皆様の、ご協力をお願いいたします。
日 時:2007年6月9日(土)、10日(日)
場 所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)
*詳しくは次号ニュースレターでお知らせします。
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第107号[PDF] 2006年8月発行
(大阪府立女性総合センターと協催)
日 時:2006年6月10日(土)・11日(日)
会 場:大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)
パ ネ リ ス ト:宮地尚子、大越愛子、木村凉子
コーディネーター:伊田広行
今年の大会シンポでは、昨年のシンポを引き継ぎ、フェミニズムの暴力への視座を、トラウマなどを絡めて深めようとした。暴力が蔓延する中で、「フェミニズムの非暴力・平和主義」とはどのようなものであるのか。それを明らかにすることで、バックラッシュに対抗する、フェミニズムの存在意義が示せるのではないかと考えた。
当日のシンポでは、宮地尚子さんが、性暴力・DV被害者との臨床から学んだこととして、トラウマをめぐって少し詳しく報告した。それは、暴力というものを繊細かつ複雑にとらえるものであり、そのことがシンポ全体の基調となった。大越愛子さんからは、「女性国際戦犯法廷」が戦争犯罪・性犯罪を不問にしてきた構造的暴力体制や歴史観、不法国家、植民地主義、セクシズムなどどの全体を裁いたことが明らかにされた。それはフェミニズムが、構造的暴力体制を解体する思想に変容していることの確認であった。木村涼子さんからは、暴力的・非民主的な学校教育を、フェミニズムが、男女2分法の自明視の見直しや「声」の尊重の水準で問い直してきたこと、バックラッシュ派と教育の場を巡ってヘゲモニー争いがあることなどが報告された。
3者の問題提起自体に示唆するものが多く、とくに宮地さんの議論の端緒が紹介できたことは、フェミニズム・ジェンダー学にとって本シンポの大きな意義であったと思う。フェミニズムの主張が、みずからの権力性や単純性、知らないということの特権性などを自覚し、常に繊細なレベルで暴力や差別をとらえる方向に進んでいけば、バックラッシュを反面教師にいっそうフェミニズムの魅力と必要性が広く認識されていくであろうと思わせるものであった。
心残りもある。私としては、私たちの生き方を足元から問い直すものとしてのフェミニズムの非暴力思想を具体的に深めたい、権力的でないように生きること、ケア的に生きることの今日的な重要性の議論を、トラウマ論を受けて展開したかったのだが、時間の関係でそこまで論じられなかった。全体として、せっかく出された数々の視点を十分結び付けられず素材提供にとどまったこと、宮地報告を中心にして3者の議論を深くつなげるところにまで至らなかったという点が反省点である。シンポの中軸をもっとしぼっておくことが、コーディネーターには求められよう。今後の課題として明記しておきたい。
なお、会場からの質疑応答時間をもう少し増やすべきとの意見もきかれたが、そのためには、報告者をしぼり、全体の時間を延長させることが必要かと思われる。
今回のシンポジウムのテーマ、とりわけ副題の「暴力の対抗としての、フェミニズムの希望のあり方」は、現在の状況の中で、私自身を含めて多くの人が手探りしているものをうまく集約しているように感じられた。ただ、そのテーマを3人のパネリストと限られた時間の中でどう展開するかは、かなり難しいことも予測できた。
精神科医として性暴力のサバイバーと向き合った経験にもとづく宮地尚子さんの報告は、暴力とそれが生み出すトラウマについて、ひとつ深いレベルで考えさせてくれるものだった。一般論ではなく、個別の被害体験によりそうことから出発した洞察にはハッとさせられることが多く、夏休みになったら紹介されていた著書を読んでみたいと思っている。
大越愛子さんはこれに対して、暴力の構造を大きく提示されたが、同時に、セクハラ事件を支援する中でのサバイバーとの複雑な関係にもふれられた。「私にできたのは一緒に飲むだけだった」というこの体験について、もうすこし突っ込んで聞きたかった。そうすれば、宮地さんの報告との接点がふくらんだのではないだろうか。
木村涼子さんの提起された教育の場における暴力も現在焦眉の問題だが、教育というテーマ自体が多くのものを含むので、このシンポの中には収まりきらなかったような気がする。学校をめぐる問題については、機会を改めて討議ができればと思った。
暴力が及ぼすトラウマに接している臨床からの視点での宮地氏、広く暴力を捉えた上での暴力の構造化といった観点(思想、理念)より大越氏、フェミニズムの観点から学校教育と暴力を考える木村氏、それぞれご自分の経験や研究を通して興味深い話を聞くことが出来た。臨床、概念、構造化、教育としての暴力をそれぞれのパネリストたちが「暴力への対抗としてのフェミニズムの希望のあり方」を議論することがこのシンポの目的だったと思う。各パネリストの発言は興味深いが、全体を通してみると、未消化感が残った。暴力をどのようにとらえるのか、ということは暴力の定義にもつながるが、定義すること自体そこから取りこぼされてしまう被害を被る人たちも生じてくる。定義することの権力問題も浮上してくる。見える/見えないを含む暴力を、フェミニズムがどう考えていくのだろうか。宮地氏は「全てフェミニストらが背負わなくてもいい(もっと肩の力を抜いていいというニュアンスだと思う)」木村氏「女性学が積み重ねてきたことは少しずつ広がっている」そして大越氏は「ネットワークを作り声を上げていく大切さ」と語られた。
個々のパネリストの発言を、いかに分野の違う領域間で相互的に深められるかが、シンポジウムの本来のおもしろさと思う。そういう意味では今回のシンポジウム、さらなる課題を次に残したのではないだろうか。
現在のバックラッシュ状況の中で非暴力—暴力に対抗すること(これさえも問いの対象である)とは、どのようなあり方なのであろうか。暴力的ではないあり方を問うこととは、「いかに生きるのか」を問うことにつながろう。本大会でのシンポジウムに参加することによって、「生」のひとつのありようの端緒に触れたように感じた。
見えない暴力、見えない傷、見えない連鎖といった、“見えない”とされていること(このこと自体が文化的暴力である)を、いかに可視化していけるのであろうか。可視化していく試みの一つが「自己表現」の模索なのかもしれない。手探りのなかで、失敗を重ねながら、矛盾を孕みつつも、その都度、その都度、何ができるのか、問いと試みを繰り返す過程。このような過程の中で生起してくる「関係」や「表現」や「生」が、越境しつつ、既存の虚構を揺らがすことにつながるのではないか。
矛盾を孕みつつ、無力さを感じながら営まれる「生」—「生きていること」そのもの—が非暴力という抵抗のありかたにつながるという、本シンポジウムにおける提起は、矛盾と無力さに押しつぶされそうになる日々に「それでよい」という肯定と、そのような日々のなかにこそ「可能性」が生まれてくるという示唆を与えてくれた。そして、「生きていること」そのことを丸ごとで認め合うというありようが、ゆるやかでしなやかな関係を紡いでいくことにつながるのではないかと感じた。
バックラッシュへの<反転攻勢>となるような取り組みを、参加者に紙に記入してもらい、それを司会者が大まかに整理発表した。その上で参加者が2グループに分かれ、自由討論をおこなった。
その結果、バックラッシュへの効果的反撃のための、ネットワークをいかにつくるか、が主な論点となった。
●従来の女性運動の枠を超えつつ、闘いの「場」を他の運動と共有する可能性を探れないか(「教育」という場を共有するかたちで、反「性教育バッシング」運動と、教育基本法改悪阻止運動が連携する、など)
●「草の根女性運動の人にもわかりやすい語り方」をするつもりで、ジェンダーについての議論を単純化することが、逆に「運動」と「研究」との相互理解と連携を難しくしているかもしれない
●「硬直化・教条化したもの」というのではない、フェミニズムのポジティブ・イメージを一般に広げていくことが重要。そのためにも、個人の多様な意見を尊重しつつ連携する、ネットワークのあり方づくりが、ネット空間の活用なども視野に入れつつ、模索されるべき、等の意見が出た。
その他にも、
●メディアや行政をいかにフェミニズムの側に取り込めるかについて、あらためて議論が必要。現状ではバックラッシュ派の「苦情」をマスコミや行政が取り上げざるを得ない状況が生まれている
●バックラッシュには、組織化されたレベル、ゆるやかな草の根保守のレベル、シンパ(同調者)の単独行動によるレベルなどがあり、それぞれのレベルに対応した<反転攻勢>を考える必要がある、等の意見も出た。
ルーティン化した「ジェンダーについての語り口」や組織運営のあり方の、再考が緊急課題だという点では、多くの参加者の意見が一致していたと思われる。問題はそれをいかに実現化するのかである。MLの活用など、現在でも既に模索は行なわれているが、一層ラディカルな試みの必要性が明らかになったワークショップであった。
GMMPとは、70数カ国のモニターグループが参加して、世界のニュースメディアをジェンダーの視座から5年ごとに一斉にモニター調査するプロジェクトである。2005年2月に実施されたGMMP2005には、日本から11のモニターグループが参加し、GMMPにメディア・リテラシーワークショップを組み込んだ独自の活動を行なっている。ここではまず、報告者から、GMMPの調査方法とその結果、およびメディア・リテラシーワークショップでのメディア分析の方法とその結果が報告された。その内容をふまえて、コメンテーターを中心とする参加者全体の対話へと展開し、日本におけるメディア・リテラシーの必要性について活発な議論が行なわれた。
GMMPの調査は、主に登場人物に焦点をあてたジェンダー分析である。具体的には、キャスターやレポーター、記者など、ニュースを伝える側の人物と、事件・事故の被害者や加害者、インタビューされる人物など、ニュースで取り上げられる人物の割合を、それぞれジェンダー別に明らかにするものである。調査結果から、日本に限らず世界のニュースメディアに、伝統的なジェンダーの価値観が提示されていることが指摘された。さらにメディア・リテラシーのワークショップでは、オーディアンスである市民が、ニュース番組の構成分析や映像・音声技法に注目した内容分析を行なっている。報告者は、参加した市民による「読み」の内容を報告し、メディア・リテラシーワークショップでの分析と参加者同士の対話をとおして、より多様なメディアの読み解きが可能になることを示した。
コメンテーターからは、対話がオーディアンスである読み手のエンパワーメントの場になるのではないかとの指摘がなされ、教育の場でのメディア・リテラシーの必要性が提起された。参加者からは、メディアで働く女性の少なさなど、日本のメディアの問題点が挙げられた。また、現在、教育の場で行なわれているメディア・リテラシーの授業やメディア分析の実践報告もなされた。
日本女性学会の会員でもあり、ポルノ・買春問題研究会(APP研)のメンバーでもある宇野朗子、山本有紀乃、二瓶由美子は、APP研の他のメンバー(会員外)の協力を得て、盗撮の現状を報告するとともに、ポルノ被害としての盗撮について参加者と議論を深め、問題を共有した。
ワークショップの冒頭では、盗撮が性被害であることについての解説がなされた。続いて、盗撮の現状が報告されたが、その内容は、最近の新聞記事からの被害事例紹介、被害の場所や加害者像と被害者像についての分析、さらには被害者が受ける影響や二次被害の問題についても言及されるという多角度的なものであり、インターネット時代ゆえの特徴があることも指摘された。加えて、盗撮に関する立法の情報について簡単な説明があった。その後、以上の報告を受ける形で、2チャンネルに代表されるインターネット掲示板にみる「盗撮する側・消費する側」の言説の分析も行った。ここまでの報告は、盗撮機器の進化と大衆化、女性蔑視や性差別を増幅させる手段としての盗撮映像とインターネットがもたらす、女性の人権侵害状況を認識することにつながったと思われる。
最後に、科研費研究の一端として行われた「盗撮防止に向けての企業側の努力」についてのアンケート結果報告と、盗撮に関する法的規制についての解説がなされた。アンケートは、第1回で都内コーヒーショップ、ファーストフード店、フィットネスクラブに向けて行われ、第2回では都内ホテル、デパート、スーパー銭湯を対象に行われた。法的規制については、諸外国の例が紹介され、わが国の現行法についての説明があり、今後の動向が注目される「盗撮禁止法案」についても解説があった。
以上のような報告の後、30名ほどの参加者からは、活発な質問や疑問が出された。なかには盗撮そのものについてというより、警察官による救急車内での盗撮という報道に関して、非常に具体的な疑問なども出され、いかに盗撮事件が日常化しているかが実感された。多くの参加者から感想や批判が相次ぎ、有益な問題共有の場となり、研究の新たな課題を見出す機会ともなった。参加していただいた会員の皆様に感謝したい。
*幹事会および会員等からの公共性の高い情報を掲載します。
掲載希望はニューズレター担当者までご連絡ください。
ニューズレター担当:伊田久美子:idak●hs.osakafu-u.ac.jp
ニューズレター担当:木村 涼子:kimura●hus.osaka-u.ac.jp
(●を@に書き換えてください)
詳細は学会ホームページを参照されるか、研究会担当者までご連絡ください。
研究会担当:伊田広行:田嶋陽子
連 絡 先:henoru●tcn.zaq.ne.jp (●を@に書き換えてください)
国立女性教育会館
論文、実践事例研究、研究ノートの3種類です。
締め切り:11月6日 詳細は、http://www.nwec.jp
日本女子大学
「平塚らいてうの研究、または男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する活動や研究を行う個人または団体」が対象です。
締め切り:9月30日
詳細は http://www.jwu.ac.jp/raiteu
国際交流基金日米センターと米国社会科学研究評議会 (SSRC)
社会科学と人文科学の分野の学者、研究者、また学界以外の分野(ジャーナリズム・法曹界等)の専門家からの応募を歓迎。応募資格は日米いずれかに研究の拠点を持ち、博士号ないしは専門分野での同等の経験を有していること。募集人員は15名前後。研究費、渡航費、滞在費、および給与補償分を支給。支給期間は最短3ヶ月、最長12ヶ月間。
申請はSSRCのウェブサイトにてオンラインでのみ受付。
締め切り:9月1日
詳細は以下のリンクを参照。
公募詳細情報:http://www.abefellowship.info
申請受付:http://applications.ssrc.org
SSRC安倍フェローシップ・プログラム東京事務所
〒107-6021 東京都港区赤坂1-12-32アーク森ビル20階 国際交流基金日米センター内
Tel: (03) 5562-3506 Fax: (03) 5562-3504
Email: ssrcABE●gol.com (●を@に書き換えてください)
GenEP企画推進委員:関 啓子・木本喜美子・貴堂嘉之・中野知律・尾崎正峰・佐藤文香
一橋大学・学長裁量経費プロジェクト「一橋大学における男女共同参画社会実現向けた全学的教育プログラムの策定」(GenEP)プロジェクトの活動報告書ができあがりました。この報告書には、2005年度の活動報告として、全学学生アンケート結果、公開講座記録、国内・海外視察報告、ワークショップ記録が収録されています。大学における男女共同参画への取組みにご関心をお持ちの方々に是非、手にとっていただきたく、ここにご案内させていただきます。
報告書をご希望の方は、送料実費にてお分けいたしますので、住所・氏名を明記し、80円切手3枚を同封の上、下記までお申込ください。
〒180-8601
東京都国立市中2丁目1番地
一橋大学大学院 社会学研究科事務室気付
GenEPプロジェクト
なお、本件に関するお問い合わせは、
genep●soc.hit-u.ac.jp までお願いいたします。(●を@に書き換えて下さい)
*寄贈本で会員が著者もしくは編者である単行本新刊書誌情報を掲載します。
| バーバラ・チェイス=リボウ著/石田依子 訳 | 『サリー・ヘミングス 禁じられた愛の記憶 ジェファーソン大統領の愛人奴隷として波瀾の生涯を生きた女』 | 大阪教育図書 2006年3月 2,520円(税込) |
| 小平麻衣子・氷見直子 共著 | 『書いて考えるジェンダー・スタディーズ』 | 新水社 2006年4月 1,943円(税込) |
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第106号[PDF] 2006年5月発行
| 協 賛 | 大阪府立女性総合センター |
|---|---|
| 日 時 | 2006年6月10日(土)・11日(日) |
| 場 所 | 大阪府立女性総合センター(ドーンセンター) 〒540-0008 大阪市中央区大手町1丁目3−49 Tel.06-6910-8500 京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」下車、徒歩5分 参 加 費 会員:無料 非会員:1,000円 |
| 場所 | 7階ホール |
|---|---|
| 開 場/受 付 | 12時30分 |
| シンポジウム | 13時〜16時30分 |
| テーマ | ジェンダーをめぐる暴力とトラウマ −暴力への対抗としての、フェミニズムの希望のあり方 |
| パネリスト | 宮地尚子、大越愛子、木村涼子 |
| コーディネーター | 伊田広行 |
| 総会 | 17時〜18時 (この間、非会員の方にはビデオ上映を行う予定です。) |
| 懇親会 | 18時〜20時 1階レストラン「ユイマール」 会費4,000円 |
| 個人発表 | |
|---|---|
| ワークショップ 午前の部 | 10時〜12時30分 |
| 午後の部 | 13時50分〜15時30分 |
クローバリズムと新自由主義の下で格差拡大/弱肉強食化がすすみ、憲法「改正」や戦争への抵抗感が低下し、フェミニズム・バッシングのような「人権運動」攻撃が起こっている。それは広義の暴力状況の蔓延である。あるいは暴力への鈍感さの広がりである。
それに対し本シンポジウムでは3人の論者が、暴力やトラウマ概念との関係で、「私にとってのフェミニズムとはどのようなものか」「私にとってフェミニズム/ジェンダーがいかに大事か」「今のバッシング状況においてフェミニズムやジェンダーの視点がなぜ重要なのか」を語る。
暴力という概念はメディアの中で日常語として安易に使われてもいる。だが、女性あるいはジェンダーと暴力の問題の認識にフェミニズムが拓いてきた地平は、まだまだ広く共有されていない。DV、レイプ、セクハラ、日本軍「慰安婦」問題などの取り組みを通して、暴力に対するフェミニズムのまなざしは、より深くよりセンシティブな側面へと向け変えられ、暴力の内面的な理解において「トラウマ」の概念を不可欠とする、暴力理解をもたらしてきた。暴力とは何で、それに対抗する非暴力とは何のか。それとフェミニズム/ジェンダーの関係は? 今回は、この点を深く共有していき、さらにそこから「フェミニズム/男女共同参画の現在的課題」を参加者とともに明確にしていきたいと思う。
性暴力やDV被害者のトラウマに精神科医として関わってきた経験は、私にとって「何も分かっていなかった」と打ちのめされることの連続でもあった。そのプロセスを振り返りつつ、暴力を多層的に捉え、恐怖と痛み、疑似恐怖とスリル、法や言語(による正当化)と暴力との関係、親密圏と個的領域、身体・触覚・幻想・解離、愛着と性愛、有徴性と無徴性、男性性と傷、などについて考えたい。トラウマ概念の有用性、フェミニズム理論の有効性と今後の課題についても言及したい。
学校が「善意に満ちた、真理を教える場」であり、子どもはそこで「大切に教え育てられる存在」である。こうした考え方があまりにもナイーブにすぎることは明らかだ。学校教育は公権力によって制度化された「暴力」的な装置であり、教師と生徒との間にはそれを背景とした権力関係が存在する。また他方で学校は、ジェンダーや階層などの抑圧.被抑圧の関係性にもさまざまに規定されている。フェミニズムは、そうした教育の場における「暴力」をあぶりだし、状況の変革を志向してきた。本発表では、フェミニズムの立場から教育運動、教育実践の可能性を考え、バックラッシュが強まる情勢における課題を検討したい。
究極の戦時性暴力としての日本軍性奴隷制に抗する私の闘いは、時期を同じくしたキャンパス・セクシュアル・ハラスメントの被害女性へのサポーター体験抜きにはありえない。私はSHのサバイバーである甲野乙子との関係で、自分のポジショナリティを激しく揺すぶられた。日本軍性奴隷制の被害女性との出会いにおいても、彼女たちの激しい怒りと拒絶に直面し、私は性暴力容認体制のみならず植民地暴力、軍事暴力体制の中に組み込まれ、加害者として位置づけられている自身に向かわざるをえなかった。その加害責任には、彼女たちの存在を抹殺していた「歴史」を受け入れ、彼女たちを不可視なままに放置していたこと、つまり内面化されていた「帝国のフェミニズム」も含まれる。
しかしながら、サポーターとサバイバー、被害者と加害者というカテゴリーの分断は本質的なものではなく、社会と文化の暴力によって構成されたものである。分断をえて連帯を可能にするためには、分断を固定化する構造化された暴力に抗する闘いに向かうことが必要である。その場合ポジションは常に被害者、サバイバーの側におかれねばならない。
今なおトラウマに苦しむサバイバーたちが投げかけてくる様々な呼びかけに応答しようとして、90年代の運動は展開した。日本軍性奴隷制の被害女性たちは、ユン・ジョンオクの指摘したように性差別、民族差別、階級差別などの複合差別によって人間としての尊厳を剥奪され、沈黙の日々を強いられてきた。死を間近にした彼女たちは、もはや同情や共感ではなく、責任者処罰を直接的に要求した。この要求は、責任という問題に関して曖昧であったフェミニズムに対する、厳しい問いかけであった。
この段階で、フェミニズムは性差別を問題化する思想から、ジェンダー二元論を構成する性暴力や植民地主義・軍事主義に抗し、その解体をめざす思想へと深化したと言える。それを具現したのが、2000年の日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」である。そのことは、ハーグ判決に明確に読み取れる。
このフェミニズムの変化に敏感に反応しているのが、右翼軍事主義者たちである。「法廷」以降激化したジェンダーフリー・バッシングは、フェミニズムが単なる男女平等ではなく、ジェンダー二元論と結びついたナショナリズム、ミリタリズムに抗し、その解体をめざす思想であることを見抜いたことに基づく。現在に至るまでの構造化された暴力に抗する、アジアのフェミニズム連帯の闘いの軌跡、「女性国際戦犯法廷」、「ハーグ判決」、「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」の持つ意義を、 ここで改めて考えてみたい。
1999年に男女共同参画社会基本法が公布・施行されて以来、各地方自治体において、男女共同参画に関する条例が策定されるようになった。その名称や条例の内容には、各地域の個性が現われている。本報告では、A県B市の事例を取り上げる。B市では、条例の策定準備に地域の社会活動に関わる市民も熱心に取り組んだ。その市民のアイデアが条例にも反映され、市民と行政の協同により、男女共同参画を進める新たな試みがなされようとしている。市民の主体とエンパワーメントをキーワードにして、この事例を考察する。
「男女共同参画社会基本法」は、男女が対等に生きていくことのできる社会をめざして1999年に制定された。その後、いくつかの地方自治体で男女共同参画条例が制定されてきたが、A市の条例は、性差に基づく性役割を肯定する内容を盛り込んだものとなった。A市の条例制定過程を詳細に跡づけながら、基本法の理念に逆行する可能性もはらんだ行政主導の男女共同参画政策のあり方を見直し、住民主体の男女共同参画社会実現の可能性を展望したい。
男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などの法律や制度が整備されることで、女性に対する差別や、男女間の不均衡は解決されたかのように扱われている。また、女性の進学率上昇や、かつて男性だけだった領域に女性が「進出」していくことが社会的に賞賛されているかのように見える。しかし、その一方で性犯罪や殺人事件など、様々な犯罪の「被害者」となるのは女性である。本発表では、犯罪報道や犯罪を扱った小説や映画などを事例として、ジェンダーの視点から犯罪という現象を解明することを試みる。
昭和11年に小林秀雄が吉屋信子の「女の友情」を、罵倒に近い物言いで全否定したことはよく知られている。本発表では、小林の文芸時評における女性作家評価を中心に、川端康成の文芸時評や太宰治の女性一人称小説などを補助線としながら、「自明」かつ「自然」な基準軸として昭和戦前期に(あるいは今でも?)君臨する、男性ジェンダー化した昭和期文学規範の偏差を析出したい。また、小林の時評の対象となった窪川いね子(佐多稲子)、林芙美子、岡本かの子らにおける女性表象の特性と同時期の文学規範との拮抗についても言及する予定である。
母性というテーマは、フェミニズムにとって非常に厄介で、扱いにくいテーマの一つでありつづける。本報告では、80年代末以降、日本のフェミニズムが母性について論じる際に依拠してきた二つの主要な枠組み(「母性主義イデオロギーの批判」と「現実の母性情況についての研究」)を取り上げ、批判的検討をこころみる。その上で、それらに代わる新しい視座の必要性を指摘する。
身体を変容させ、闘う技能を獲得した女性として、日本の女子プロレスラーを考察する。女子レスラーが、入団からデビューしてキャリアを積んでいく過程で経験する身体の変容において、自らの自意識を強めているか、また日本における規範的な女性身体を超越しているか否かを検討する。分析に使用するデータは、女子プロレスラー25人(現役22人、引退者3人)にインタビューした内容である。
本発表では、アメリカを中心とする英語圏における日本女性研究、なかでも人類学・社会学の著作に焦点をあて、その内容を紹介するとともに、理論的・方法論的批判を試みる。研究者たちは、従来のステレオタイプ的記述を避け、エスノグラフィーの手法によって「日本女性の現実」を描きだそうとするが、それもまた政治的構築であることに変わりはない。学術的表象に潜むオリエンタリズム、そして研究者のポジショナリティの問題を追究する。
本発表の目的は、韓国の米軍基地村における米兵相手の売春女性に対する「犠牲者」という主流社会の表象と、彼女たちに貼られた強いスティグマを問い直すことである。約8ヶ月間の現地調査を通して聞き取りが可能であった、米兵相手の韓国人(元)売春女性たちの語りから浮き彫りになるのは、彼女たちをただ単に「犠牲者」と一枚岩的に呼べない、多様性を持ちながらしたたかに生きる一人一人の女性の姿である。
第一に、「売春=自由意志」論、「売春=強制」論の双方について批判的に検討し、その両方とも支持できないことを主張する。第二に、性と人格の関係を検討し、特定の性道徳に依拠しない性と人格の関係を定式化する。そこで売春肯定論には留保されるべき問題が残ることを示す。最後に、売春を肯定できないとしても禁止できないこと、売春する自由と同時にそこから降りる自由が同時に要請されることを主張する。
(1)英語学習するモダンガール
日本近代文学は、英語学習する女たちをどのように描いてきたであろう。手始めに明治期の二葉亭四迷「浮雲」を始めとする男性作家、「青鞜」の女性作家たちのテキストを読み込んで、「英語学習するモダンガール」の自己表象と他者表象を検証する。男性においては、立身出世の道だった英語学習は、女性においてはどんな目的に役立ったであろう。国民国家形成史、教育制度史を横断する英語教育史を、物語的にジェンダー化する試みである。
「廃娼」論は、しばしば公娼廃止論と同義だと解釈されてきたが、本報告は、廃娼運動における「廃娼」論を、性および家族の近代的あり方を論じた議論として読み直す試みである。廃娼運動雑誌『婦人新報』および『廓清』の記事を分析することにより、そこで展開されている「廃娼」論が、必ずしも買売春問題や公娼制度論に特化されたものではなく、その主要な論点において「家庭」論と重なっていたことを立証する。
「婦人警察官」は、戦後警察の民主化の一環として制度化されたが、二流の労働力と見なされ、警察活動からは疎外されてきた。その一方で、駐在所勤務員の配偶者は「駐在所夫人」と呼ばれ、警察職員ではないにもかかわらず貴重な治安維持要員として警察活動に組み込まれていった。本報告では、「婦人警察官」と「駐在所夫人」の警察組織内での位置づけを歴史的に考察することで、治安維持のあり方にも問題提起したい。
イギリスの第二波フェミニズムは、1970年、オックスフォードにあるラスキン・カレッジにて開催された初の全国女性解放会議を起点とする。同会議は、その開催地からラスキン会議と呼ばれ、イギリスの女性運動史に関する文献の多くによって言及されているものの、その内実は明らかではない。本報告では、現地での文献調査の結果をもとに、その内実に迫り、イギリスのフェミニズムにおけるラスキン会議の意味について考察したい。
固定的なフェミニズム・イメージ、「男の犠牲者」としての女性のイメージは、現代における「フェミニズム離れ」を促進させる一要因となっている。「フェミニズム離れ」は反フェミニズムの一側面であると見なされるが、個人への不正義としての男女の不平等にたいする抵抗という新たなフェミニズム的まなざしをそこに見出し、その意義を探ることは、フェミニズムと、それがまさに彼女らの解放を目指していたはずの、現実の女性との関係を知るきっかけとなるのではないだろうか。
宝塚ファンへのインタビューと、宝塚歌劇の舞台やメディア上のオフの領域を総体的に考察することを通して、現代社会において表象困難な女性のホモソーシャリティが宝塚歌劇に読み取られている可能性があることを提示する。
基本法成立後のバックラッシュには、従来のフェミニズムへの反発とは異なる様相がみられる。例えば保守思想への明確な信奉がないのに「なんとなく」程度に反平等的社会ムードを支持する、一部女性もまきこんだ動き。この新情況に受身的守勢をこえて、<反転攻勢>をとる必要があろう。だが一方、基本条例制定運動や女性国際戦犯法廷などフェミニズムの「現場」が国内外に多岐広汎化した結果、「現場」間や「現場」と「研究」間で、現状/課題認識の違いが生まれ、有効な<反転攻勢>へのまとまった認識をもちにくくなってもいる。この困難を乗り越える<反転攻勢>を、共に構想する場としたい。
GMMPとは、70数カ国のモニターグループが参加して、世界のニュースメディアをジェンダーの視座から5年ごとに一斉にモニター調査するプロジェクトである。2005年2月に行われた3回目のGMMPには、日本からも11のモニターグループが参加し、GMMPにメディア・リテラシー・ワークショップを組み込んだ独自の活動を展開させている。ここでは、まず、2006年2月にGMMPの事務局から発表された世界のデータと比較しながら、日本の分析結果を報告する。そのうえで、日本におけるメディア・リテラシー活動の必要性と現在の課題について考えていきたい。
昨今、盗撮に関連する事件が報道で相次いでいます。盗撮機が設置されているのは、駅や学校やデパートのトイレ、銭湯やスーパー温泉、フィットネスクラブや海水浴場の更衣室、モーテルやラブホテルの客室などです。東京地裁や東京大学のトイレにさえ盗撮機が仕掛けられた事件が報道されたことは、記憶に新しいところです。もはや安全な場所など存在しないと言えるほどであり、それらの盗撮画像は個人の楽しみとして用いられるだけでなく、編集されて盗撮ものポルノとしてビデオ、DVD、インターネットを通じて広く流布されています。これはポルノを通じた性被害の一種であり、その最も日常的なものの一つと言ってもいいでしょう。私たちポルノ・買春問題研究会は昨年からこの問題に取り組み、アンケートの実施や新聞記事の分析などを通じてその実態の一端を調査してきました。その結果を発表し、この問題の深刻さと法的規制のあり方について討論したいと思っています。
日本女性学研究会・女性の自立支援研究プロジェクトでは、関西の弁護士の離婚相談活動について調査を実施した。調査内容は離婚相談の経験や、得意分野、離婚に関する意識、離婚相談のどんなところに困難を感じているか等である。当日は調査結果を示しながら、離婚女性の支援のあり方について考えてみたい。なお本研究は、平成17年度大阪府男女共同参画活動補助対象事業である。
高専とは高等専門学校の略称であり、主に工業高等専門学校を指す(商船高専、航空高専を一部含む)。16歳から20歳までの5カ年専門教育を行っている。学生の多数を男子が占めていたが、近年では、学科の多様化とともに女子学生も増加傾向にある。本調査は、女子卒業生を対象に2003年に実施し、 998の有効回答を得たものである。本報告では、高専では少数とされる女子卒業生の就労状況および離職・転職に関して報告し、技術職現場における女性技術者の状況等を分析する。
本報告は、戦後日本における〈主婦論争〉(1955年に始まり1970年代前半まで断続的に生起した、日本の「主婦」のあり方—その立場・役割や労働の評価—をめぐる論争)の意味を捉え返す作業を行うものである。本報告では、〈主婦論争〉が全体として本質的に可視化せず、表面上の論点からは抜け落ちてきた領域があることを指摘し、そのうえで改めて本来論争の対象となる層を分類・再配置し、新たなモデルを構築することを試みる。
「(第一次)主婦論争」(1955〜59年)はこれまで主に女性解放論的文脈において意味づけられてきており、それらの議論は、「職場進出論」、「家庭擁護論」、「主婦運動論」の三つに分類される。しかし、「主婦論争」の掲載された雑誌『婦人公論』の当時の読者たちは、これらの議論をそのようには意味づけていなかった。彼女たちは論争の内容を自分たちの〈生〉に引きつけて読み解いたのであり、女性解放論的立場によって「職場進出論」と称されてきた主張も、結局は読者たちの「主婦アイデンティティ」を強化する方向へ、さらには、「進歩的な主婦」願望を確立していく方向へと作用した可能性が指摘されるのである。
戦後、女性教員だけの研究協議会(日教組)が、1952・53・54年の3回開催されている。沖縄を除く全国から約2、3千名の幼・小・中・高校の女性教員が集まり、当時の職場(学校)での差別や家庭・地域での諸問題について討議した。28人の発表と延べ約400人の発言は、女性への威嚇や非難と集団的トラウマの存在を示している。これらの発言や森昭、宗像誠也、丸岡秀子、山川菊栄らの講評は、問題の原因をどう捉えたのかを明らかにする。
2004年に同時に改正されたDV防止法と児童虐待防止法。両法は、「DVの目撃」を子どもへの虐待と定義することで、DVと児童虐待を結びつけた。子どもが両親のDVを目撃するとは、どのような経験なのか。子どもに顕れるさまざまな症状から、それらの過酷さを指摘する調査は少ないながらも出てきている。本報告では、子どもの立場から見た「DVの目撃」経験がどのようなものかを明らかにすることで、DV目撃サバイバーの支援のあり方を考えたい。
2006年3月25日に、「ジェンダー概念」シンポジウム実行委員会主催、イメージ&ジェンダー研究会と日本女性学会共催で「ジェンダー概念について話し合うシンポジウム」が東京でもたれた。全国から女性学研究者や女性運動にかかわる人びと約250人が集まり、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「男女平等」「バックラッシュ」などの概念と運動・実態をめぐって、熱い情報・意見交換がなされた。
豊富な資料と発表、話し合いの時間ももたれ、充実した内容であったし、バックラッシュの組織的な動きも確認されたし、基本的にバックラッシュ状況に対して、ジェンダーフリー概念も擁護して闘っていこう、ジェンダー概念の理解を一部に限定せず多様な使い方を認めていこうという基本認識は共有されていた。
だが、ジェンダー概念をめぐる材料は提起されたものの、各論者の違いを掘り下げて深く議論していくところにまでは至らなかった。私見だが、一部研究者はジェンダーを分析概念とだけとらえて、草の根運動で使われている「イメージや実態としての女/男のありかた」というジェンダー、女らしさ/男らしさとしての利用実態を十分視野に入れておらず、したがって「ジェンダー概念は価値中立だ」「政府の男女共同参画基本計画のジェンダー定義はまちがっていない」「ジェンダーフリー概念は使わない」「男女平等でよい」などと言ってしまっていると感じた。つまり、ジェンダー自体の意味として、規範や参照基準、それを内面化した性のあり方、性に関わる権力差別関係というような側面を認めないがゆえに、ジェンダーの囚われから離れるという「ジェンダーフリー」概念に抵抗感があるのではないか。これは運動と研究の関係の問題でもあると感じた。
また参加者の一部である、全国のジェンダー平等運動・市民運動に関わっている人々の間で、ジェンダーやジェンダーフリー概念の整理がバックラッシュと闘っていく上でいかに重要なのかが十分に伝わっていない場合があり、そのため今回のシンポジウムについても学者の言葉遊びのようなものと見てしまっている人がいるのでは、との印象を受けた。
今後、フェミ側でこの点の議論を積み重ねていき、認識の共有がすすみ、政府のスタンスへも適切に物申していく事が、バックラッシュに対抗していくために大事だと改めて感じた。
日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシングの論点』(明石書店、2006年5月末出版予定)が完成間近です。バックラッシュ状況の中で、フェミ側が認識を共有すると同時に、ジェンダー平等行政の担当者や運動をしている人、バックラッシュの影響を受けて迷っている人々に、確信を深めることになるものになっていると自負しています。ぜひ手に取ってください。
また6月の大阪大会では、日本女性学会・ジェンダー研究会主催での、バックラッシュに対抗するワークショップも持ちます(プログラム参照)。ぜひご参加ください。
国際基督教大学(ICU)ジェンダー研究センターでは5月23日(火)に尾辻かな子講演会「『虹色』の社会をめざして」を開催します。今日の日本において、性的マイノリティ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・インターセックス・トランスジェンダーなど)の人々の置かれる困難な社会的状況が人権問題であることは、まだ十分に認識されているとはいえません。今回の講演では、大阪府議会で最年少議員であり、レズビアンであることをカミングアウトしてご活躍されている尾辻かな子さんをお招きします。女性、若者、そして性的マイノリティの人々の声を届けたい。政治の場に飛び込んだ尾辻さんがめざす「虹色」の社会とは?ジェンダー・セクシュアリティ・政治・人権・心理・教育・法などに関心のある、多くの方々のご来場をお待ちしています。
| 日 程 | 2006年5月23日(火) 12時30分〜14時30分(質疑応答を含む) |
| 会 場 | 国際基督教大学 旧D館オーディトリアム 〒181-8585 東京都三鷹市大沢3-10-2 |
| 入場料 | 無料 |
| 言 語 | 日本語(英語への同時通訳あり。レシーバーを無料にて貸出します) |
詳しい情報とお問い合わせは:
国際基督教大学ジェンダー研究センターまで。
Tel&Fax: 0422-33-3448
Email: cgs●icu.ac.jp(●を@に書き換えてください)
URL: http://subsite.icu.ac.jp/cgs/
| 伊田広行著 | 『続・はじめて学ぶジェンダー論』 | 大月書店 2006年3月 1,900円+税 |
| 熊田一雄著 | 『<男らしさ>という病 —ポップ・カルチャーの新男性学』 |
冬樹社 2005年9月 2,200円+税 |
| シンシア・エンロー著 | 『策略—女性を軍事化する国際政治』 上野千鶴子監訳/佐藤文香訳 |
岩波書店 2006年3月 3,465円 |
| 牟田和恵 | 『ジェンダー家族を超えて —近代化の生/性の政治とフェミニズム』 |
新曜社 2006年4月 2,400円+税 |
4月より、会計年度が新しくなりました。
同封の郵便振替用紙で2006年度会費7,000円をできるだけ早めにご入金下さいますようお願いいたします。
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第105号[PDF] 2006年2月発行
| 日 時 | 2006年6月10日(土)午後1時〜4時半 |
|---|---|
| 場 所 | 大阪ドーンセンター |
| パネリスト | 大越 愛子、木村 涼子、宮地 尚子 |
| コーディネーター | 伊田 広行 |
趣旨: グローバリズムと新自由主義の下で格差拡大/弱肉強食化がすすみ、憲法「改正」や戦争への抵抗感が低下し、フェミニズム・バッシングのような「人権運動」攻撃が起こっている。それは広義の暴力状況の蔓延である。あるいは暴力への鈍感さの広がりである。
それに対し本シンポジウムでは、三人の論者が、暴力やトラウマ概念との関係で、「私にとってのフェミニズムとはどのようなものか」「私にとってフェミニズム/ジェンダーがいかに大事か」「今のバッシング状況においてフェミニズムやジェンダーの視点がなぜ重要なのか」を語る。
もとよりそれは、単に個人的なことを語るとか、すでに確立しているジェンダーの議論をなぞるという話ではない。今回のシンポジウムは、参加者一人ひとりが、そこでの問題提起や提示される「視点」を受け止め、改めてフェミニズム/ジェンダー論を捉え直す契機とするための試みなのである。というのは暴力への理解が表面的でその影響に対する認識が深まらず、このことに比例してフェミニズム・ジェンダー論への理解も深まらない状況が見られるためである。三人の論者は、深いフェミニズムの理解を世間に提起するという意気込みで、各自のフェミニズム論を展開する。
もちろん、暴力概念は、戦争や犯罪や性暴力や虐待や人間関係における支配など多様な側面を持っている。ある意味、世間は、「もう十分、暴力を知っている」つもりであろう。しかし、それは事実であろうか。たとえば、「暴力(差別)の被害を受けるということ」がそれを体験したものにとって、どのような経験として認識されているのか、あるいは語れない記憶として封印されてしまっていたのか、いくつもの「なぜ」を重ねて暴力の体験のもつ意味について理解されているであろうか。
フェミニズムの場面に「女性への暴力(VAW)」の視点が確立して以来ここ10数年の取り組みを踏まえて、まさに女性と暴力の問題の認識にフェミニズムが拓いてきた地平を確認する作業として、本シンポはあると言ってもよいであろう。VAWの取り組みの中から、すなわちDV、レイプ、セクシャル・ハラスメント、「慰安婦」問題などの取り組みを通して、暴力に対するフェミニズムのまなざしは、より深くよりセンシティブな側面へと向け変えられ、暴力の内面的な理解において「トラウマ」の概念を不可欠とする、暴力の問題の認識論的なパラダイム転換を図ってきている。
しかしフェミニズムが暴力の主題においてあえて「トラウマ」概念を引き入れて議論の場を作ろうとするのは、阪神大震災以降の日本社会のメディア・世間を席巻する通俗化された心理主義に還元されるトラウマ論の尻馬にのるものではもちろんない。それらとは明確に一線を画しつつ、しかし「トラウマ」と「暴力」と「ジェンダー」のつなぐ主題の中で、三人の論者のそれぞれの運動や研究上のバックグラウンドからの問題提起を通して、なぜにフェミニズムの暴力への視座に「トラウマ」の概念が不可欠とされるのかについて問い、さらにそこから「フェミニズムの現在的課題」を参加者とともに確認しうる場となることを本シンポは期待しているのである。
あえて「トラウマ」という表現を使わないとしても、私たちの生きている日常世界には、大きな声のものが相手を圧倒するのがよしとされ、強引にジェンダーフリー・バッシングがまかり通り、日々、報道で暴力が消費され皆がそれに鈍感になっている、つまり自らの抑圧を踏襲してしまっているという現実がある。そうした現実を生きる一人ひとりの内面の「ジェンダーに基づく暴力による被傷感」、その「痛みの感覚」や「自尊感情の回復」に届くフェミニズムを考えるとき、「トラウマ」論が投げかけているものは無視し得ないはずだ。この暴力に満ち満ちた空間の「現在」を生きている人々の内面の生きがたさへの気づきの回路にとって、「トラウマ」という概念は、フェミニズムがこれまで家父長制やジェンダー概念によって見てきた問題とは違った側面を私たちに導いてくれるのではないか。そのような予感の中で「トラウマ」と暴力の主題は立てられている。
宮地尚子氏は、「暴力(差別)の被害を受けるということ」にトラウマという視点から切り込んだ研究をしている。暴力とは、恐怖とは何か、暴力の被害者はどうなるのか、それへの関わり方においてジェンダー概念にはどのような意義があるのかといった諸点に言及し、暴力/非暴力、加害/被害、当事者/非当事者、トラウマなどの問題を、女性=非暴力という本質主義に陥らない水準で議論するための手がかりを提示する。
大越愛子氏は、「従軍慰安婦」問題、日韓近現代史のテキスト作成、ウィメン・イン・ブラック(WIB)の運動、「女性・戦争・人権」学会の活動、などを通じて、暴力と対抗する活動に関わっている。そうした活動の中からつかみとり練り上げた自身のフェミニズムを改めて展開し、暴力的雰囲気が拡大する背景には何があるのか、「暴力」に対抗するとはどのようなことか、暴力に対抗する「非暴力主義」とは何か、について語る。
木村涼子氏は、『ジェンダーフリー・トラブル』(現代書館、2005年12月発行)の編者であり、教育の分野で豊かなジェンダー論を展開してきた。昨今のジェンダーフリー・バッシングは、そのあり方自体が暴力的であり、また教育の場で子どもたちを取り巻く環境全体も、多様な意味で暴力的である。その中でフェミニズムは、あるいは「ジェンダーフリー教育」は、どのような意味で暴力ではないものを伝えようとしてきたのかを語る。
こうした問題提起と議論を通じて、フェミニズムの理論的深化を目指すと同時に、ジェンダーフリー・バッシングおよび暴力への対抗論としての、フェミニズムの希望のあり方を社会に提示するための機会としたい。
すでにご存じの方も多いかと思いますが、昨年、東京都国分寺市が都の委託を受けて計画していた人権問題に関する講座で上野さんを講師に招聘しようとしたところ、都の方から講師を変えない限り委託契約を結ぶことはできないと告げられ、結果的に講座の計画そのものが中止となるということが起きました(新聞記事を参照)。
これに関して上野さんは、2006年1月13日付けで添付資料のような公開質問状を東京都と国分寺市宛に送り、また国分寺市市民の方々からも市に対して、市のとった行動の説明を求める公開質問状が出されました。さらにこれとは別に、若桑みどりさんが発起人となり、ジェンダー研究者らに広く呼びかけて作成された抗議文「上野千鶴子東大教授の国分寺市『人権に関する講座』講師の拒否について、これを『言論・思想・学問の自由』への重大な侵害として抗議する」も、1月27日、東京都に提出されています。この抗議文には1808人の個人と6団体が署名を行いました。
日本女性学会幹事会としてもこの問題の重大性にかんがみ、声明として以下の見解を発表することにしました。
2006年2月1日 東京都国分寺市が、市民を交えた準備会をつくって準備していた人権学習の講座で、上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)を講師に招こうとしたところ、委託関係にあった東京都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否し、そのため講座自体が中止となった事件に対して、日本女性学会はここに意見を表明します。
1 東京都教育委員会が事業を委託したからといって、別自治体である国分寺市が市民と協働で企画した人権教育推進事業の講師選定に指示を出したことは、地方自治の本旨からいって越権行為である。
2 上野千鶴子氏が「ジェンダー・フリー」という用語を使うかもしれない、女性学の専門家であるといった理由で講演を中止させるのは、講師と市民に対する思想信条の統制であり、憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、第23条「学問の自由は、これを保障する」に反する行為である。
3 女性学・ジェンダー研究者であれば、「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」という用語を使うことは当然ありえる。これらの概念を使用させないという考えは、まったく認められない。
4 今回の東京都の姿勢は、学問として確立された女性学やジェンダー研究に対して、それを偏った学問と判定していることになる。これは断じて認めるわけにはいかない。
5 東京都は、今回の一連の対応を総括し、謝罪と政策の修正を行うべきである。
宛先:東京都知事・東京都教育長・東京都教育委員会委員長・東京都教育庁生涯学習スポーツ社会教育課長・国分寺市長・国分寺市教育長・国分寺市教育委員会委員長・国分寺教育委員会生涯学習推進課長公開質問状
平成17年度における文部科学省委託事業「人権教育推進のための調査研究事業」について、私を講師とする事業計画案を都教育庁が拒否した件について、国分寺市の「人権に関する講座」準備会のメンバーおよび、2005年11月20日に開催された「人権を考える市民集会」参加者から、経過説明を受けました。また2006年1月10日付け毎日新聞夕刊報道「「ジェンダー・フリー」使うかも…都「女性学の権威」と拒否」(別送資料1)によって、都の発言内容が一部明らかになりましたので、以下の事実について、説明を求め、抗議します。
(1)今回の国分寺市の委託事業の拒否にあたって、都および市のどの部局がいかなる手続きによって意思決定に至ったか、その責任者は誰であるかを、私にお示しください。
(2)その際、上野が講師として不適切であるとの判断を、いかなる根拠にもとづいて示したかを、示してください。なお、報告と報道にもとづいて知り得た限りの、都の説明に対する反論を、以下に記しておきます。
1) 今回の講師案は「人権講座」であり、「女性学」講座ではない。講演タイトルにも内容にも「女性学」が含まれないにもかかわらず、「女性学」の専門家であることを根拠に拒否する理由がない。それならば、今後、この種の社会教育事業に、女性学関係者をいっさい起用しないということになる。
2) 女性学研究者のあいだでは、「ジェンダー・フリー」の使用について一致がなく、一般に私を含む研究者は「ジェンダー・フリー」を用いない者が多い。さらに私は、「ジェンダー・フリー」を用語として採用しない立場を、公刊物のなかで明らかにしている。(別送資料2)都の判断は、無知にもとづくものであり、上野の研究内容や女性学の状況について情報収集したとは思えない。
3) とはいえ、私自身は「ジェンダー・フリー」の用語は採用しないが、他の人が使用することを妨げるものではなく、とりわけ公的機関がこのような用語の統制に介入することには反対である。なお、「ジェンダー・フリー」という用語について申し述べておけば、「ジェンダー・フリー」を「体操の着替えを男女同室で行うなど、行きすぎた男女の同一化につながる」という「誤解」が生じたのは、「誤解」する側に責任があり、「ジェンダー・フリー」の用語そのものにはない。
4) 毎日新聞報道によれば、都の説明は「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」とある。私は女性学の「権威」と呼ばれることは歓迎しないが、女性学の担い手ではある。都の見解では、「女性学研究者」すなわち「ジェンダー・フリー」の使用者、という短絡が成り立ち、これでは1)と同様、都の社会教育事業から私を含めて女性学関係者をいっさい起用しないことになる。
5) 上記、都教育庁生涯学習スポーツ部の説明では、「『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり」と婉曲な表現をしている。だが、「可能性」だけで拒否の理由とすれば、根拠もなく憶測にもとづいて行動を判断することになる。そうなれば、「『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性がある」との理由で、女性学研究者はすべて都の社会教育事業から排除される結果となる。
6) もしそうではなく、他の女性学研究者は講師として適切であり、上野だけが不適切であるという判断を都がしたのであれば、その根拠を示す必要がある。
7) 上野は、他の自治体の教育委員会や人権関係の社会教育事業の講師としても招請を受けている。また解散前の東京都女性財団に対しても、社会教育事業の講師として貢献してきた。かつての上野に対する都の評価が変化したのか、あるいは他の自治体とくらべて都に上野を拒否する特別な理由があるのか、根拠を示してもらいたい。
8) 以上の都の女性学に対する判断は、女性学を偏った学問とするこれこそ偏向した判断であり、学問として確立された女性学に対する、無知にもとづく根拠のない誹謗である。 以上の反論をふまえたうえで、上記2点の質問に対する回答を、1月末日までに、文書でお送りくださるよう、要求します。以上、内容証明付きの郵便でお届けします。なお、同一の文書は主要メディアおよび女性学関連学会にも同時に送付することをお伝えしておきます。
資料1:2006年1月10日付け毎日新聞夕刊報道「「ジェンダー・フリー」使うかも…都「女性学の権威」と拒否」
資料2:上野インタビュー「ジェンダー・フリー・バッシングなんてこわくない!」『We』2004年11月号(p.2-19)
(この資料は掲載していません)
委嘱希望講師として上野千鶴子さんが挙げられていた、市民参画で企画していた国分寺市の人権講座が、「『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性がある」という理由で、委託元である東京都教育庁によって難色を示されました(昨夏)。それをうけ、国分寺市は、準備会の計画通りの内容で正式に東京都に提出して欲しいという市民側の希望を聞き入れず、受託を取り下げることにより講座じたいを中止しました。
これまで、男女混合名簿についての通達、性教育に対する一部都議に煽られての介入、「君が代」斉唱をめぐる教員処分など全国でも突出して強権的支配を教育に対して行ってきた東京都の教育行政が、生涯教育の分野でも同様な暴挙に出たわけです。
これに対してジェンダー研究者を中心に、約2000人の署名とともに都に対する抗議運動を起こしました。今回のことは、国分寺市、東京都のことがきっかけではありますが、それだけにとどまらない、性差別撤廃を目指す研究や運動に対する一連のバックラッシユに対する広汎な市民を含む対抗運動であると把握しています。
この暴挙に抗議する運動を進める中で、「これまで、ジェンダー概念についての意見交流が、市民、研究者、行政、メディア相互の間で不十分ではなかったか?」という反省が出され、遅ればせながら今回のシンポジウムを企画することとなりました。
1970年前後からのフェミニズムの活性化に影響された女性学の中心概念である「ジェンダー」は、豊かな広がりと生産性を有したものであったし、今後もそうでしょう。それだけに、いろいろな含意や用法が重層的に存在しています。しかも、90年代になってからジュディス・バトラーらの理論が出て、議論はいよいよ錯綜して、一般の理解も多様になって来ました。
それらの多様性を「混乱」と称して保守側は初等中等教育の場に介入し、さらに、生涯教育や、大学におけ「ジェンダー」研究・教育にも干渉しようとしています。そうした悪意や敵意に基づく批判はともかく、「ジェンダー」概念をめぐる多様な見方や意見に耳を傾け交流しあうことが、現在、男女平等・男女共同参画社会の進展には必要と思われます。
今回のシンポジウムでは、学界での「ジェンダー」概念についての整理を研究者がおこない、「ジェンダー・フリー」についての教育学および現場の教育者の理解や実践上の問題、市民およびシャーナリズムでの「ジェンダー」の受け取り方について、ともに語りあうために、研究者、教育者、市民にそれぞれの問題提起をしていただきます。以上で約2時間余、後は、たっぷりと時間をとって参加者全員で意見交換をしていきたいと考えています。
なおこのシンポジウムにはメデイアのみならず政治家、行政からの参加も歓迎します。
| 日時 | 2006年3月25日(土) 午前10時〜午後5時 |
|---|---|
| 会場 | 港区男女平等推進センター りーぶらホール (JR田町東口徒歩4分) |
事前申し込みは不要です。資料代 一人1000円。必ず受付を済ませてください。その際ご住所とお名前を書いていただきます。会場は200席なので、当日先着順で定員を超えた場合には締め切らせていただきます。昼食はご持参されたほうがいいかもしれません。
| 司 会 : 細谷実 赤石千衣子 | |||
| 開会挨拶: 米田佐代子 | 10:00−10:05 | ||
| 趣旨説明: 細谷実 | 10:05−10:15 | ||
| パネル | |||
| [1] | 「ジェンダー」概念の有効性について | 江原由美子 | 10:15−10:35 |
| [2] | 「ジェンダー」「ジェンダー・フリー」の使い方、使われ方 | 井上 輝子 | 10:35−10:55 |
| [3] | バックラッシュの流れ — なぜジェンダーは狙われるのか | 若桑みどり | 10:55−11:15 |
| [4] | 「ジェンダー・フリー」教育の現場から | 11:15−11:35 | |
| ランチ休憩 | 85分 | ||
| [5] | 市民と行政と学界のはざまで | 丹羽 雅代 | 13:00−13:20 |
| [6] | ことばは生きている あるいは よりよき相互理解のために | 加藤 秀一 | 13:20−13:40 |
| ブレーク | 20分 | ||
| 全体討議 | 14:00−16:50 | ||
| 閉会の挨拶: 金井 淑子 | |||
●なお、取材をご希望のメディア関係者の方は、必ず事前に事務局までご連絡をお願いします。
連絡先メールアドレス; symposium_0325●excite.co.jp (●を@に書き換えてください)(3.25ジェンダーシンポジウム事務局)
『ジェンダー・トラブル』から15年を経て、ジュディス・バトラーの初来日ということで、1月14日にお茶の水女子大学で行われた「Undoing gender」と題する講演には、雨にもかかわらず900人が詰めかけたという。聴衆は女子学生用の小さな椅子に鮨詰めにされたが、会場は熱気に満ちていた。印象を手短に述べれば、バトラーの講演は、何かを断言し言説を固定した瞬間に、その言説が固定化した意味を壊そうとするような、絶え間ない言説の往復運動のようであった。つねに両義性に言及される彼女の論文そのものという感じだ。
印象に残ったのは「差異が強調され、レズビアン、バイセクシュアル、トランスセクシュアル、インターセックス、フェミニスト運動家の間にすら、現在は過剰な緊張関係がある」と嘆いた後に、「しかし、偽りの統一性というものは抑圧をもたらすから必要ない」と付け加えられたことである。個人的には近年、過剰に差異を強調するような思想傾向が、逆説的だが、より抑圧された者の論理を真理として認めるべきだという統一性の抑圧をもたらしているように感じられ疲れ気味であったので、少し元気が出た。差異は本来反省の契機を与えてくれ、関係を豊穣にするものであるはずなのだから。
それにしてもバトラーは色々な顔をもつひとだなと、感心させられた。今回のように平易な英語で理論的な話をするかと思えば、ニューヨーク市立大学のようなユダヤ人の牙城で、レザージャケットを着てこれぞブッチというようないでたちで、ユダヤ教徒でありながら直接的な痛烈なイスラエル批判を繰り広げ、抗議する人々が次々と退場していっても平然としていたのを見たこともある。セクシュアル・マイノリティの若い子達の前では、早口で共感に満ちた講演をしていた。
今回は日本初お目見えの、礼儀正しい講演というところだろうか。個人的にはもう少し突っ込んだことを聞きたかった。ファンタジーや欲望と実践が異なるとしたら、その両者はどのように分節可能なのか(実際には分離可能ではないから問題なのである)。マジョリティの倫理とアイデンティティの関係はどのようなものなのか。このような課題は、わたしたち自身で答えを出さなくてはいけない宿題として受け取った。
上記の冊子の出版にむけて、その構成について編集委員の間でやり取りをし、最終質問項目と本書への基本スタンスを1月半ばまでに策定した。それを踏まえて、執筆者の確定を1月末に行い、2月末までに原稿を提出していただくよう依頼文を送る予定である。原稿が出揃ったあと、編集委員が調整し、そのうえで、3月31日午前に東京で研究会をもつ(場所 国立社会保障・人口問題研究所)。そこで執筆者が意見交換を行い、5月中には出版にもっていきたいと考えている。
| しま・ようこ | 『「フェミニズム」という命の思想』 | 文芸社 1400円+税 2005年12月 |
| 木村涼子編 | 『ジェンダー・フリー・トラブル—バッシング現象を検証する』 | 白澤社 1800円+税 2005年12月 |
| 小林とし子 | 『さすらい姫考—日本古典からたどる女の漂白』 | 笠岡書院 1900円+税 2006年1月 |
| Mayumi Murayama(ed.) | Gender and Development : The Japanese Experience in Comparative Perspective |
Palgrave Macmillan, NY 2005 |
| 日 程 | |
| 2006年6月10日(土) | シンポジウム(13:00〜16:30) 総会(17:00〜18:00) 懇親会(18:00〜20:00) |
| 11日(日) | 個人発表、ワークショップ(10:00〜15:30) |
| 会 場 | 大阪府立女性総合センター(ドーンセンター) 〒540-0008 大阪市中央区大手前1丁目3−49 Tel. 06-6910-8500 京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」下車、徒歩5分 |
| シンポジウム | |
| テーマ | 「ジェンダーをめぐる暴力とトラウマ —暴力への対抗としての、フェミニズムの希望のあり方」 |
・個人発表、ワークショップの申し込みは3月20日までです。楠瀬または荻野まで、メールかファックスでお願いします。
楠 瀬 keiko-ku●mbox.kyoto-inet.or.jp FAX: 075-702-3188
荻 野 mihogino●polka.plala.or.jp FAX: 06-6850-5130
(●を@に書き換えてください)
タイトル・発表の概要(200字程度)・発表時に使用する機材をお知らせください(機材は希望にそえない場合があります)。
コンピューターは各自御持参ください。
・報告をされる方で、学生・院生・OD他、常勤職についておられない方には、学会より旅費の一部を補助する予定ですので、希望される方はその旨明記してください。
・両日とも保育室の用意がありますので、利用希望者は日と時間帯をお知らせください。
・今回は宿泊の斡旋はありませんので、遠方から来られる方は各自でホテルの手配をお願いします。
ドーンセンター案内
◆ドーンセンター TEL.06-6910-8500
◆開館時間
・午前9時30分〜午後9時30分
◆休館日
・毎週月曜日、祝日及び振替休日(ただし、その日が土曜日、
日曜日の場合は開館し、翌週火曜日が休館。またその日が
月曜日の場合は、翌火曜日の休館。)年末年始
◆交 通
・JR東西線大阪城北詰駅2号出入口から西へ550m
・京阪天満橋駅・地下鉄谷町線天満橋駅:1番出口から東へ350m
・市バス京阪東口からすぐ
◆駐車場・午前9時15分〜午後9時45分
・立体駐車場(92台)*普通車のみ(車高・車幅等制限あり)
最初の1時間まで・・・400円
超過30分ごとに ・・・200円
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第104号[PDF] 2005年11月発行
「学者の国会」と言われる日本学術会議第20期が大幅な改組とともにスタートした。210名の会員のうち女性が42名、それまでの6%からいっきょに20%に達し、2000年に10年以内に女性比率を10パーセントに高めると、学術会議が自らに課した数値目標をクリアした。70歳定年制を敷き、40代会員もゼロから14人に増えて大幅に若返った。第19期にくらべて、会員の8割が入れ替わるというドラスティックな改革となった。日本の科学者コミュニティ70万人の利益代表、国家の科学技術政策策定のリーダーとなり、また科学者として責任のある発言を世に問う役割を背負った団体。とはいえ、これまでは長老支配と権威主義とで、遠くにあって何をするかよくわからない団体と思われていた。それが大胆な衣替えをしたのは、行革のもとでの、「このままでは学術会議はつぶされる」という科学者コミュニティの危機感だった。現役の発言力のある科学者を中心に、機動性を高め、政策発信力を強め、社会的なプレゼンスを増大するという目的のもとに、学術会議は自己改革をやってのけた。
新体制が成立したのは、会員選出方法が大幅に変わったせいである。分野別の選考委員会が学術団体からの推薦にもとづく母集団のなかから、業績審査によって新会員を推薦するコオプテーションという方式をとった。もちろんそのなかに、分野別だけでなく、性別、年齢別の「配慮」が働いたことは想像に難くない。特別に「女性枠」があったらしいことはささやかれているし、それは今回の総選挙の「女性枠」同様、怨嗟と批判の対象となっている。だが、それ以外の方法では、女性がいっきょに20パーセントに増えるという「快挙」がなしとげられなかったのも事実だろう。
学術会議の会員選出方法はそれ以前に2回、変更されている。初期は学術団体の分野別の連絡会を「選挙区」として、候補者を選挙で選出した。立候補は自由だったから、その当時は女性会員が何人かいた。その選出方法がポピュリズムに偏るという理由で(もっと露骨に言えば、組織票によって特定のイデオロギーの持ち主が選出されやすい、という理由で)1983年に変更された。それ以降は、学術団体の推薦する候補を、分野別の学術団体連合を選挙区として選出するという方式に変わった。この方式では、学会のボスが会員となり、各学会の利益代表としてふるまう傾向が強くなり、その結果、女性会員は激減した。小選挙区制効果と同じく、女性がいちじるしく出にくくなったのである。学術会議は学会連合の様相を呈し、国家的かつ国際的な視野に立って科学者コミュニティを代表し、科学技術に対して発言するという役割を果たすことがむずかしくなった。
今回の選出方法は、いわば「良識の府」としての学術会議の権威をもとに、密室における「推薦」によって会員を決めるという方式だから、それまでの選挙にくらべれば、民主的でもなければ、選出過程の不透明性も高まっており、そのことへの批判もある。70歳定年制と6年任期で再任を認めないというルールは、長老支配と既得権の維持を妨げるが、これ以降の新会員選出にも同じ方式(現会員による推薦)が継続することによって学術会議の権威主義は高まる。つまり先任者に認められない限り、新会員にはなれないからだ。
内示が来たとき、わたしにも抵抗がなかったわけではない。外部に不透明な権威主義を、自分が受容することになると思ったからである。もちろん、推薦を辞退するという選択もありえた。だがそれ以前の、選出会員であった原ひろ子さんたちの、あとから来る世代の女性科学者に対する尽力を知っていたわたしは、その役割をだれかが果たさなければならないと考えた。この10月3日から5日にかけての第20期の第1回総会では、さっそく「学術とジェンダー」懇話会が有志5名の呼びかけで発足し、メイリングリストもスタートした。「学術とジェンダー」特別委員会の設置のための要望書も提出した。女性メンバーをそれぞれ重要な委員会に送りこむこともできた。安部晋三を座長とする自民党のプロジェクトチームが、「ジェンダーフリー」バッシングのみならず、男女共同参画社会基本法の廃案をもくろみ、「ジェンダー」の用語を使うな、と主張している現在、学問研究のうえでジェンダー研究を守るのは喫緊の課題だからである。
新会員210名のリストを見ると、わたし自身がかねてからその仕事に注目し、敬意を払ってきた研究者がかつてなく多いことに気がつく。学会政治ではなく業績主義で選んだという効果は認めることができる。また学際的で先端的な業績をあげてきた人たちも目に付く。社会的な発信力を持った人も多い。伝統的な学会の中では、おそらく周辺的な位置にいたであろうと推測される人たちだ。わたしは長い間、大学自治の名における研究者集団の自浄能力や内部からの自己改革の可能性に強い不信感を持ってきた。大学の改革はほとんどが外圧か、外部からの強いリーダーシップなしにはなしとげられず、学内民主主義というものが既得権を持った者たちの組織防衛にしか奉仕しないことを見てきた。それからいえば、今回の学術会議の自己改革は、全会員の8割を入れ替えるという画期的なものである。6年任期で再任を認めないというルールのもとでは、3年ごとに会員の半分は入れ替わるという流動性は確保されている。問題はこのような自己改革が、不透明なエリート政治のもとでしか成立しなかった、ということだ。そしてまことに残念ながら、多数決民主主義のもとでは女性の進出はなく、このような大胆な改革も成り立たなかったであろう。そして学問研究に多数決がなじまないこともまた、事実である。
幸いに多くの新会員は、前例依拠を恃むことなく(それを知らないために)、意欲を以て新体制に取り組んでいる。初の総会での議論も、フランクで率直なものだった。改革の意図は、当面成功したと言えるだろう。だが、これもいずれ制度疲労を起こすようにならないとは限らない。どんな権力も既得権を守るようになれば腐敗する。どこにでも見られるように、ここでも権威主義の縮小再生産が始まらないとも限らない。学術会議会員の「良識」がそれほど信頼に足るものであるかどうかはうたがわしい。
わたしの耳に鳴り響いているのは、研究者の採用について語ったさる同僚の次のようなことばである。それを忘れないようにしたい。「人事の要諦とは、自分よりすぐれたと思える人を採用することです。」
今回の、日本学術会議の改革の要点は4点ある。第1点の会員の選出方法の改革に伴う意義は、上野千鶴子さんの文章に十分に述べられているので、ここでは省略する。その他の3点の改革とは、(1)これまでの人文科学部門3部、自然科学部門4部の7部門制が、「新分野・融合分野の出現に柔軟・的確に対応」するために、人文科学、生命科学、理学及び工学の3部門制になったこと、(2)総務大臣の所轄(総務省)から、「総合科学技術会議と連携して我が国の科学技術の推進に寄与」するため、内閣総理大臣所轄(内閣府)になったこと、(3)研究連絡委員会を廃止して、「緊急の課題・新たな課題に柔軟・迅速に対応」するため、連絡会員を新設したことである。
この改革による日本女性学会にとっての大きな変化は、社会学研究連絡委員会委員の特別枠として、日本女性学会の幹事の一人が必ず出席することができた、1997年からの制度が、研究連絡委員会制度の廃止とともに無くなったことである。この特別枠は、女性会員の少なさをカバーし、女性学からの意見を聴取する機会として機能していたと思う。だが、会員210名の日本学術会議において、女性が初めて会員に選出された12期の1982年段階と比べると、 2000年以降は、漸次女性会員は増加し、20期の今回は42名となった。これは確かに画期的なことである。
同時に、この女性会員の増加は、男女共同参画、女性学、ジェンダー研究の展開により可能となった面がある。1996年頃からの一番ヶ瀬康子さん、原ひろ子さんらの「女性科学研究者の環境改善に関する懇談会(JAICOWS)」の活動を嚆矢として、18期(2000-2003年)に日本学術会議内に「ジェンダー問題の多角的検討特別委員会」を設置して活動が活発化した。そして、19期(2003-2005年)には、13名の女性会員と研究連絡会委員が連携して、課題別研究連絡委員会枠で人文科学系の「ジェンダー学研究連絡委員会」(委員長江原由美子)、社会科学系の「21世紀の社会とジェンダー研究連絡委員会」(委員長浅倉むつ子)を設置して、ジェンダーをテーマとする様々な講演会や研究会などを行なった。両委員会の報告書『男女共同参画社会の実現に向けてージェンダー学の役割と重要性—』(2005年8月)には、日本の学術世界での、女性学、ジェンダー研究の蓄積と、今後の役割の重要性が提言として示されている。同報告書は、バックラッシュ対策にも活用することができると思うので、以下のサイトを参照されたい。(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1030-12.pdf)
また、日本学術会議における様々な活動報告の中に、自然科学系の学協会の活動報告も見られるようになった。分子生物学研究連絡委員会・生物物理学研究連絡会委員会では『科学・技術者の人材のさらなる活用を図る男女共同参画制度の整備についてー理工学系の現状に基づく提言—』(2005年8月)を刊行している。(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1032-4.pdf)また、学術体制常置委員会は、『女性研究者育成の観点から見た大学院教育の問題点』(2005年8月)としてアンケート調査結果をまとめている。(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1033-3.pdf)
2005年10月から開始された20期については、参考までに末尾に42名の女性会員の名前と専攻を抜粋して掲載した。この作業をしつつ、やはりまだ20%なのだという感を強くした。女性会員の専門分野にも偏りがある。日本女性学会の会員で日本学術会議の会員は、現時点では上野千鶴子さんと江原由美子さんのみだが、二人はそれぞれに、機能別委員会委員として選出されている。江原由美子さんの話では、この機能別委員会の1つである科学者委員会の分科会に、学術における男女共同参画委員会が設けられる予定とのことである。また、19期の「ジェンダー学研究連絡委員会」や「21世紀の社会とジェンダー研究連絡委員会」のような、ジェンダー学を冠した委員会はまだ設置されていないが、今後設置の方向で検討していくという。とりあえず、インフォーマルな組織として、上野千鶴子さんが中心となり「ジェンダー問題懇話会」を発足させた。
なお、先に登録団体とそこから選出された研究連絡委員会制度は廃止されたと述べたが、「登録団体」に変わって「協力学術研究団体」が新たに設けられた。この協力学術団体は、会員と連携会員の選出に当たって情報提供をするなどの「協力」を行うことなどが議論されており、特に学術研究団体の連合体との「協力」については個別の学術研究団体以上に「緊密な協力」を行うべきだなどの意見が、出されているとのことである。いずれにせよ、日本学術会議会員と学術会議連携会員と学協会とが実質的な関係を維持することが重要なので、「ジェンダー学連絡協議会」(2005.11.14発足)を組織したとのことである。
ともあれ、このように、日本学術会議改革に関連して、様々な女性学・ジェンダー研究ネットワークのルートが成立しつつある。冒頭にあげた日本学術会議の改革案も、3部門制や「総合科学技術会議」と連携することや内閣府所管になったことがどのような展開をもたらすのか、危ういものがあるが、その危うさにセンシティヴでありつつ、ジェンダーフリー・バッシング等の動きに抗する連携ネットワーク構築の好機到来と捉えることも必要であろう。
この10月に日本女性学会は、「ジェンダー学連絡協議会」の参加学会として、発足に参与した。現在、舘が日本学術会議関連担当幹事になっているが、過労のため起動力が落ちているので、このような活動に興味のある方の参加を呼びかける次第である。(tachi●cc.ocha.ac.jp)(●を@に書き換えてください)
秋田喜代美(心理学・教育学)、秋山弘子(心理学・教育学)、浅倉むつ子(法学)、石倉洋子(経営学・副会長)、猪口邦子(政治学)、上野千鶴子(社会学)、碓井照子(地域研究)、内田伸子(心理学・教育学)、江原由美子(社会学・幹事)、大沢真理(経済学)、翁百合(経済学)、落合恵美子(社会学)、岸本美緒(史学)、木下尚子(史学)、桑野園子(心理学・教育学)、氣多雅子(哲学)、酒井啓子(地域研究)、桜井万里子(史学)、鈴木晶子(心理学・教育学)、田口紀子(語学・文学)、辻村みよ子(法学)、津谷典子(経済学)、川口和子(法学)、深川由起子(経済学)、山本眞鳥(地域研究)
大隅典子(基礎生物学)、加賀谷淳子(健康・生活科学)、春日文子(生産農学)、岸玲子(健康・生活科学)、郷通子(応用生物学)、水田 代(臨床医学)、中西友子(農学基礎)、新山陽子(農学基礎)、南裕子(健康・生活科学)、鷲谷いづみ(応用生物学・幹事)
石川幹子(環境学)、伊藤早苗(物理学)、今榮東洋子(化学)、栗原和枝(化学)、小舘香椎子(総合工学)、土井美和子(情報学)、永原裕子(地球惑星科学)
8月8日に郵政民営化法案が参議院で否決されたあとの衆議院解散総選挙で、自民党は26人の女性を擁立した。郵政法案で造反した野田聖子などを非公認とし、「刺客」と称される議員候補(多くは新人)を送り込んだ。第1号の小池百合子もフェミニストとは呼びがたいが、元職の高市早苗・現職の西川京子・新人の稲田ともみは、名だたる「ジェンダー・フリー・バッシャー」である。しかし、民主党が女性を24人しか擁立できず、昨年9月に一度は打ち出した「比例11ブロック上位への女性の単独登載」方針は男性議員からの「逆差別」という反対にあってつぶれていた。
もし刺客候補が、中年の腹回りの大きい男性だけだったら、こんなブームは起きなかっただろう。小泉首相は2001年のブームの再来だと言った。あれは田中真紀子ブームでもあり、女性5閣僚の小泉第1次内閣は注目を集めた。しかし彼はフェミニストではない。「保育所待機児童ゼロ作戦」もどこかに行ってしまい、森山真弓法相のもとでも選択的夫婦別姓は実現しなかった。首相の靖国参拝に力を得て、自民党男性地方議員たちはジェンダー・フリー・バッシングに走っていた。
首相にはフェミニズムはないが、「〜したら選挙に勝てる」という山勘=センスは鋭く、総裁直属の世論調査機関が彼を後押しした。2005年小泉選挙の演説現場では、女子高生などが多かった2001年よりも中年女性が多かった。創価学会員の動員だとも言われる。見分け方は、「日の丸を手にしないこと」だが、気がついたときには選挙は終わっていた。
結果、43人の史上最大の女性衆議院議員が当選した。11月1日、日本初の男女共同参画大臣猪口邦子が誕生した。組閣には派閥の影響力はなく、小泉の独壇場だった。閣内に他にフェミニストはいない。彼女の成否は、首相にフェミニズムを理解させうるかに掛かっている。
しかし安倍官房長官は、めざとく山谷えり子参議院議員を内閣府の政務官として送りこんだ。猪口の敵は、当面小泉よりも山谷ということになる。「内閣府としての統一見解」をいかに作りだすことができるのか、猪口大臣のネゴシエーションとマネージメントの技能が問われている。
2005年9月25日に、東京で「バッシングに対抗するためのQ&A改訂版作成などを目指す研究会」を開催しました。話題提供者は、細谷実さん、橋本ヒロ子さんでした。出席者は16名。
そこでの話し合いの結果、今後、プロジェクト・チーム(伊田広行、内海崎貴子、船橋邦子、渡部亜矢)を中心に、『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシングの論点』(仮題)という本を研究会編で作成していくことになりました。
10月末段階では、プロジェクト・チーム内で項目の整理を行っており、11月以降に原稿依頼をしていく予定です。原稿をある程度書いていただいた上で、第2回研究会をもって皆で検討して、出版にもっていく計画です。
医療文化社、2005年9月 2520円
医療関係の出版社から出ているが、ひろく性別/性/文化のゆくえに関心のある人にすすめたい。トランスジェンダー、トランスセクシュアルなどにかぎらず、自分の性別/性に違和感をもつ人は、自分は何だろう、とアイデンティティの問題にも苦しんでいる。世に横行する「男らしさ」「女らしさ」の決まりやラベルに悩まされている人も、この本を読み、あ、そういうことだったのか、と納得するにちがいない。手術をすればそれで解決、というものでもないだろう。20代から40代の日本人男女へのインタヴューをもとにした分析と考察は、著者の個人的体験と学識をふまえて柔らかで鋭く示唆にとむ。
激白でも統計でもただの理論でもなく、本書は「そんなに単純にわりきれるものではない」というところに踏みとどまりつつ歴史を参照し、「問題の所在を明らかに」する。日本の政治家たちが、ジェンダーという言葉は性差を否定し日本の伝統的価値を崩すなどと妄言して世界の潮流に逆らい危うい動きを見せているなかで、本書刊行の意義は大きい。とくにその「ジェンダー・クリエイティブ」に向けての明快で真摯な提言に、若い人、年配の人、男女を問わずに耳を傾け触発されるなら、日本でのジェンダー論議はさらに広がり深まるだろう。性別/性は男と女の二つ、とは単純で頑強な思い込みであり刷り込みである。医療の現場の当事者だけでなく、法/制度/政策/教育にたずさわる人たちにも、それらを揺さぶる貴重な資料と文献を提示しつつの論考であり提言となっている。(小池美佐子)
| 照井孝保著 | 『女性労働問題入門 改訂・普及版』 | 熊谷印刷出版部 定価500円 |
| 第1章 女性労働問題とは何か。 第2章 女性の労働と生活の歴史。 第3章 女性解放をめぐる思想。 第4章 男女平等への歩みと現代の課題。 |
||
| 木村涼子・小玉亮子著 | 『教育/家族をジェンダーで語れば』 | 発行:白澤社 発売:現代書館 定価1600円 |
| 「女らしさ」「男らしさ」を大切に、という言説から導き出されるのは、性別による社会的位置の優劣だ。だからこそ教育に文化に「ジェンダー」の視点は欠かせない。私たちがどのように「らしさ」を身につけていくかを、二人の若手研究者がラジカルに分析する。 | ||
| スパドラー・ブタリアー著 | 『ダウリーと闘い続けて』 | 鳥居千代香訳 柘植書房新社 定価2000円 |
| 現代インドでは、あらゆるタイプ、階級、背景の男性の間で、ダウリー(花嫁の結婚持参金)が広範に存在し、女性を抑圧している。本書は、生涯をかけて現代インドのダウリー問題に直面している女性たちとともに闘い続ける先駆者の報告。 | ||
大学院でジェンダー研究を専攻したい方にお知らせします。
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士前期課程に、2006年度から「ジェンダー社会科学専攻」が開設されます。同専攻には、生活政策学コース、地理環境学コース、開発・ジェンダー論コースがあります。
同じく博士後期課程には2005年4月に、21世紀COEプログラム「ジェンダー研究のフロンティア」の研究教育拠点形成事業の一環として、「ジェンダー学際研究専攻」が設置されました。同大学院は1研究科ですので、専攻を超えて、ゼミに参加し、博士論文の指導を受けることもできます。なお、国立社会保障・人口問題研究所と大学院教育で連携をおこなっていますので、「社会保障・人口問題とジェンダー」に関心のある方は、同研究所所属の客員教授から指導が受けられます。
いずれも2006年度学生募集をしていますので、くわしくは同大学のサイトをご覧ください。
http://www.ocha.ac.jp/index.html
http://www.dc.ocha.ac.jp/gender/index-ja.html
http://devgen.igs.ocha.ac.jp/
大会が年一回に減ったことを受け、研究会を活性化していくことになりました。
幹事会企画研究会を年に数回おこなう他、会員個人やグループ(自主的研究・運動グループ)のイニシアチブによる研究会についても、学会として経費補助や情報宣伝などを行って行くことになりました。
そこで、会員の皆様からの意欲的な研究会の企画をお待ちしています。
研究会終了後に、研究会実施の報告文を学会のニュースレターとホームページに書いていただきます(研究会補助費は、その原稿提出後に出金いたします)。学会総会での会計報告に必要なため、支出金リストと、総額での企画者による領収書をお出し下さい。
申し込みは、広報期間確保のために、原則として開催の3カ月前までに、研究会担当幹事まで、お願いいたします。
詳細のお問い合わせも、研究会担当幹事まで。
今期の研究会担当幹事は、伊田広行・内海崎貴子です。
来年度の大会の日程と会場が以下のように決まりました。
| 日 程 | |
| 2006年6月10日(土) | シンポジウム |
| 11日(日) | 個人発表、ワークショップ |
| 会 場 | 大阪府立女性総合センター(ドーンセンター) 〒540-0008 大阪市中央区大手前一丁目3-49 Tel.06-6910-8500 大阪市内、京阪・地下鉄谷町線天満橋駅下車、歩いて5分の便利な場所です。 |
| シンポジウムテーマ | <未 定> |
詳細は次号のニュースレターでお知らせします。
個人研究発表、ワークショップの申し込みは3月10日までに、ニューズレター担当の楠瀬または荻野まで、メールかファックスでお願いします。
メール:楠瀬 keiko-ku●mbox.kyoto-inet.or.jp ファックス:075-702-3188
荻野 mihogino●polka.plala.or.jp ファックス:06-6850-5130
(●を@に書き換えてください)
タイトル・発表の概要(200字程度)・発表時に使用する機材をお知らせ下さい(機材は希望にそえない場合があります)。
なお、報告をされる方で、学生・院生・OD他、常勤職についておられない方には、学会より旅費の一部補助をする予定ですので、希望される方はその旨明記して下さい。
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第103号[PDF] 2005年9月発行
日 時:2005年6月11日
場 所:横浜国立大学
パネリスト:佐藤文香・海妻径子・岡野八代
コーディネイター:千田有紀
2005年度日本女性学会シンポジウムは6月11日(土)の午後開催された。
まずコーディネーターの千田が、シンポジウム「フェミニズムと戦争」というテーマについて説明し、女性が「銃後」から「前線」へと「進出」している現実を踏まえて議論したいという趣旨説明をおこなった。
佐藤文香氏の報告は、「女性」と「兵士」という相矛盾する役割の内実と、当事者の女性たちの調停の在り様について、軍隊内のセクシュアル・ハラスメントや職務の割り当てに着目し、聞き取り調査や統計資料を使いながら分析されたものであった。
海妻径子氏は、現在は、前線と銃後、戦争と平時(の経済支配)、生産と再生産という区分がすでにモザイク化しているのではないかということを指摘したうえで、アグレイブの捕虜の虐待問題について、従来のジェンダー秩序を壊すようにみえる現象もまた旧来のジェンダー秩序に基づいているということを、フェミナイゼーションという用語を手がかりとして分析した。
岡野八代氏は、ジュディス・バトラーの議論を使いながら、近代的な暴力の「主体」から「非-暴力」のエイジェンシーへとなることによって、責任/応答可能性を果たさなければならないことを報告した。
議論は多岐にわたったが、とくに暴力装置としての近代国家をどのように評価するかをめぐってなされた。ドメスティック・バイオレンスなどを例にとりながら暴力装置としての警察と軍隊の共通点と相違点について、また対抗的な暴力をフェミニズムはどのように考えるべきか、またネオリベラリズムとグローバライゼーションの進行のなか、戦争が民営化され、責任主体としての国家が曖昧化されるかたちで国家権力は逆説的に強化されているのではないか、などの点が議論された。
とくに国家権力の否定の根拠について探るという繊細さを要求される議論が、ジェンダーの視点から、しかも論者の立場の違いが鮮明にされながら、フランクになされた点は評価されると思われる。
取り残された論点は、二日目のワークショップでも活発に議論され、理解が深められた。
ブッシュ政権の「ターゲット・リッチ環境」へと標的を絶え間なくずらして第三世界を攻撃する政策によって、まったく先の見えないイラク戦争の泥沼化の進行する現在、フェミニズムと戦争を考えるという実に時宜を得たシンポジウムの企画がなされた事をまず称讃したい。コーディネーターもパネリストもこの分野で精力的に論戦をはっておられる方たちばかりなので、C.エンローやJ.バトラーを読んでいる私たちの大学院生の間でもこのシンポジウムは前評判が高く、またその期待を裏切らない重みのあるものであった。
佐藤文香さんは、L.ブッシュ、S.ブレアを引用し、彼女たちは「虐げられた女性」を利用してイラクの石油資源、中央アジアへの軍事基地配備など戦争の目的を覆い隠す「加害者」であると指摘し、「戦闘機を女性が操縦するというアイディアに勇気づけられた」と言ったE.スミール、また女性士官が「男性の技術と男性のゲームを習得したことはなんと健康的なことか」と言ったB.フリーダンの「加害者」性を暴露している。
海妻径子さんは、周縁と中心という既存の考え方を批判し、モザイク化を通して新しい「再生産」論を提起した。
岡野八代さんは、J.バトラーやD.コーネルを通して「近代的主体」批判をし、なぜ、合衆国におけるフェミニストの多くが国家による軍事攻撃を支持しているかの疑問に答えた。
時間的余裕がなく、院生たちの多くは質問できなかった。一つは、米軍兵士のEOS調査で黒人やヒスパニックなどのマイノリティが「軍事化された方が良い」と答えている数値が他の集団よりも高いとしてマークされたが、それらは「軍事化されていない方が良い」「変わらない」の数値と較べれば、もう少し慎重な分析が必要ではないか、というものである。さらに、「加害者」としての女性兵士の資料よりも、セクハラ「被害者」としての資料の方が多いという指摘もあった。時間を取って議論をし、こうした優れた企画を続けられるよう希望する。
3者による問題提起のうち、佐藤文香さんと海妻径子さんの報告は、女性兵士たちの戦略的行動による軍隊の組織文化の維持再生産、戦争と平時のモザイク化による加担の不可視化、“真の男”と“それ以外の男”の線の引き直しによる“それ以外の男”の翼賛の調達といった「新たな軍事加担のかたちの現出」の指摘、および「市民領域で劣位におかれている者が軍隊に回収されていく構造の存在」の指摘を共有していた。
また、海妻径子さんと岡野八代さんの報告は、「安全保障を基点にした国家/国民関係像とそれに呼応した態勢を、人の傷つきやすさ・弱さとそれに応答するケアないし生命・生活・人生の再生産を基点にしたそれへ転換する・ずらす必要」の指摘においてつながっていた。
私には、3報告はいずれも目を見開かされる貴重なものであった。が、フェミニズム、あるいは裏返して家父長制と戦争の関係を問い直すというシンポジウムの趣旨をあくまで追求するには、3報告のこれらつなぎ目で踏ん張って論じ切りたかった。また、暴力という強制力と権力とを区別して論じる必要もあったように思う。
−全国調査の実態から−
(内海崎貴子 岡明秀忠 蔵原三雪 清水康幸 田中裕)
本ワークショップでは、教育実習におけるセクシュアル・ハラスメント(以下セクハラと略記)の全国調査の結果(一部)、およびそれらの結果から見える教育現場(実習校と大学双方)の課題について報告がなされ,会場との意見・情報交換が行われた。参加者は6名、報告者を含めても10名の少人数でのワークショップであった。
はじめに、教育実習におけるセクハラの特徴と全国調査の意義と課題、調査結果の概要、大学における事前指導との関わりの説明と、調査研究の過程で把握した個別の事例紹介が行われた。個別事例紹介では、セクハラの内容とともに大学の教職課程,実習校,当該市町村教育委員会の対応について報告があった。
参加者からは「大学の事前指導が、実習生に注意を促すだけに終わっているのではないか」「セクハラが起った場合、加害者に抗議できる実習生を育てる必要があるのではないか」などの意見が寄せられた。
教育実習中の学生の安全管理義務は大学にあるにもかかわらず、これまで大学は、教育実習を実習校に「お願いする」という姿勢から、また、教育実習が教員免許取得のための必修科目であることから、セクハラを問題化/顕在化しないでいた。しかしながら、調査結果によれば実習生の約1割が被害に遭うことを考えると、今後、大学はもとより実習校、教育委員会をも含めた予防・対策が必要であることが確認された。
—求められている支援、私たちができること
(池橋みどり、原田恵理子)
このワークショップ(以下、WS)では、前半は池橋が「ドメスティック・バイオレンスの家庭で育つ子どもへの支援に関する調査」結果を、原田が佐賀県 DV対策総合センターの取り組みを報告し、後半はフロアからの質問を受ける形で、この問題に対し、私たちは何をすることができるのか、参加者とともに考える場となった。
調査結果からは、必要性を感じながらも、少ない資金状況の中で子どものケアにまで手が回らないDV支援団体の存在や、子どもの学業成績に現れるDV目撃被害の影響などが示唆され、更なる調査研究の必要性が確認された。佐賀県の取り組み状況は、他の都道府県に先立つ先進的な取り組みとして、参考になる具体的な方法や重要な情報を提供することができた。
フロアから聞かれた声としては、地域に連携できる団体や機関がないということで、ネットワークをどのように作っていけばよいのか、改正DV防止法に義務付けられた自立支援の計画立案において加害者対策の位置づけをどうすべきか、男性相談を始めてみての問題や相談員の過重労働など、それぞれの現場で抱えている困難が出された。WSに参加した多くの方々からの発言があり、すべての問題がすぐ解決に向かうわけではないものの、多くの示唆に富む方向性が見出されたように思われる。普段は各地のそれぞれの持ち場で、大概の場合は孤軍奮闘している人々が、同じ問題意識を共有できる集まりを持つことができて、エンパワメントされる時間となったように思う。
ワークショップ(3)では、前日のシンポジウム「フェミニズムと戦争—「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて」を受けて、パネリストを務めた岡野八代さん、海妻径子さん、佐藤文香さん、司会の千田有紀さんを囲み、市民の安全を守ることや国家の権力の在り方をフェミニズムはどう捉えるかについて活発な議論が行われた。
メインテーマとなったのは、国家はどのような形で市民の安全を守ることができるのかということだった。例えば、DVが女性に対する暴力で犯罪だと認められたことによって、警察の介入が法的に保障されたことは大きな進歩であったが、根本的な解決のために必要とされることが何であるかについては、引き続き取り組むべき課題であることが確認された。9.11後のNY市民の反応からも、国家の保安力が被害者に対してもつ説得力は大きいことが窺える。ワークショップでは、個人のもつvulnerabilityがどのように守られ、また国家権力によって利用されているのかについて、様々な立場からの議論がされた。
また、日常生活の中でvulnerabilityが刺激されること、すなわち「恐怖」の生産に敏感であることの重要性も指摘され、自己責任でリスクを引き受けさせる社会に対して、問題が提起された。自らの責任を免れようと政府が構築するリスク管理型社会にフェミニズムはどう取り組むのか、男たちとどう連帯して、政府や保守勢力の強大な力に対抗できるか、多くの課題が提出された。
最近、保守的勢力に扇動されるかたちでジェンダーフリー・バッシングが広まっているだけでなく、さらにはジェンダー概念そのものや男女共同参画基本法に対する攻撃まで見られるようになりました。編集部では、会員の方々といま何が起きているのかについての情報を共有し、今後の対策について考えていく手がかりとするために、数号にわたってこの問題に関する小特集を組むことにしました。今号では、会員1名、非会員で性教育の現場に詳しい2名の方々に、それぞれ報告を寄せていただきました。
この問題に関して情報やご意見をお持ちの方は、どうぞ楠瀬または荻野宛にご投稿ください。
反動的ムードが今、着々とひろがっていると感じる。陰に陽にそれを感じる。あるいは露骨な誤解による批判・嫌がらせも、保守的政治家・研究者のメディアの間に蔓延し始めている。インターネットを通じてその量・質ともに進化している。すでに国際人権規約や基本法など、法制の基本で合意されたことにまで文句をつけ、改訂せよという声まででている。しかし1930年代との決定的違いは、グローバルなネットワークを使って反動派へ圧力をかける道がさらに強力になってきたことと、大学でジェンダー・女性学などに少しでも接した人が復古的方向では生き残れない社会になっていることを理解していることだ。しかし保守・反動という集団はそんなことには耳を貸さない。国や社会の保守化、反動化はこうして始まるのかと心配になる。立ちふさがる勇気が今必要だと思う。
私が日本各地に講演に行き、見聞したことなど、その現象のいくつかを紹介したい。
ある講演会で参加者が、会の後に相談にきた例である。ある町で回覧板が回され、捺印するようにと言われた。内容をみると「男らしさ、女らしさは重要であり、男女を混ぜた学校教育に反対する。名簿も男女区分するべき。体育なども男女はすべて分けるべき」といった内容の署名運動であった。そこで、その人は小さな町ゆえ自分がそこで捺印しないことは波風立つと思い、ウソも方便で「主人に聞いてみますので、今は捺印できない」として次に回したという。この回覧板の背後には町の決定機関にいる人物の影響力行使がある。地域の回覧板などで署名活動するなどということは不当であり、地方自治体の担当局に伝えるべきだ。しかし、地域というのは匿名性があるようで、ない。「あの人は・・・」とうわさで流され、それも子ども、高齢者など家族も含めて嫌がらせにあうことを危惧する親は多い。
ある地域では条例を保守的内容に改定した。その地域の例では周囲はまったく無関心、1名の声の大きな保守爺さん議員が復古調に条例を変えることを主張、その人に抗議するのも「面倒、時間がない、アホらしい」ということで他の議員も放置したという。
さらにHIV/AIDS教育の副読本などから「性行為が主な感染経路」ということばを削除せよとの「指導」があり、そのことばが消えたという。いったいHIV/AIDS蔓延を見過ごす性教育とは何なのか?
保守派はリベラル派の用語を使って換骨奪胎してゆく方法論が、アメリカなどでも蔓延しているという。この手法は中絶、テロ防止、売買春防止などということばへの対応に見え隠れする。地方自治体の多くの職員がジェンダー、女性学、男女混合名簿、男女共同参画条例などのことばを使うと波風立つので自粛している。
女性差別撤廃条約の批准がまちがっていたという声も保守政党の中にはあるという。この条約は一度批准したらもう、新たな保留も批准解消もできないものなのだから、不安になる必要もない。根拠の明らかでない恐怖を乗り越えるには、確実な情報チャンネルをもっていることだ。その意味で、今開設されている主に日本女性学会の有志による、入会手続きを必要とするMLなどは有用である。反動的力へ対抗する力を見えるものにして、「決してほっとかない」「ほっとけない」と声をあげてゆく市民力が必須だと思う。
ジェンダーフリー・バッシングと対となって、性教育バッシングが吹き荒れています。ご存じでしょうが、七生養護学校での教師の大量処分。これは、障害を持っている子どもたちに体を教えるために、頭から足の先までを順々にさわりながら歌う「からだうた」や、性器のついたお人形がわいせつとされたものです。目や耳や腕などと同じようにからだの一部分である性器の、「ペニス」「ワギナ」という名称はわいせつ。文科省や東京都の指示によると、これからは「いんけい」「ちつ」と「医学的に正しい用語」で呼ばなければならないそうです。性器のついたお人形も、大人と一緒にお風呂に入る子どもたちにとって、大人になると性器に毛が生えると言う事実は、嫌らしいことではありません。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん(下着にナプキンをつけています)、双子の赤ちゃんなどほほえましい人形たちが、下着をおろされ、性器のみを露出した写真をとられ、わいせつな「セックス人形」とされました。まるでレイプされた後のようなこんな写真を撮る人こそ、体や性をいやらしいことと捉える感性の持ち主なのでしょう。
この東京都の動きはあっという間に全国にひろがりました。議会やマスコミを使い、それを教育委員会が使って現場に指示を出しています。過激な性教育がセックスをあおっていると言う論法です。私たちは、体や避妊や性感染症などについて知らせることによって、若者の行動も慎重になると考えています。セックスというのは、知らなくても、間違った知識を持っていても行動はとれるものなのです。
うそやでっち上げを言い続けると、社会では、まるでそれが本当のように受け止められてしまいます。今では、「小学校の低学年にコンドームの装着実習を行わせた」なんて、うそが『新国民の油断』という本に書かれています。では、どこの学校で? 小学校低学年のペニスでは、コンドームはつけられません。
私も、ひどいでっち上げで誹謗中傷を書かれました。だから、私は名誉毀損で提訴しました。誰かがしなければならないことです。内容はとてもこのスペースでは書ききれませんが、また機会があれば情報を発信しますね。なお、大月書店の『ジェンダーフリー・性教育バッシング』という本には、すべての流れが書かれてあります。
1992年は、小学校理科と保健に性教育が登場する「性教育元年」と言われた年である。と同時に一部メデイアと『週間文春』の記事を利用した、性教育攻撃が始まった年でもある。それまでの性教育・性科学分野では、一度もその名を聞いたことがなかった明星大教授・高橋史朗(現・埼玉県教委)という人物が、全く唐突に「性交教育」「コンドーム教育」などとラベリングし、性教協(“人間と性”教育研究協議会)の会員を名指しで攻撃を始めたのだ。
統一協会の機関誌や広報誌に彼の言説がのっていることから、宗教がらみであることがわかった。しかし、なぜ、統一協会と高橋史朗が性教育を執拗に攻撃するのかがわからなかった。宗教学者や統一協会に詳しいジャーナリストなどに聞くことにより判明したことは、性教育の基本理念である「自分の性と身体は自分のもの」ということが、統一協会の教義である性とからだは教祖・文鮮明のものであるということに反するということであった。
しかし、教義とちがうというだけでなぜこれほどまでに執拗だったのか?今現在のこの時流のバッシングで、ことごとくもつれた糸がほどけるように判明した。“身体と性は自分のもの”という人間のもっともやわらかな部分を受け持つ性教育へのバッシングが始まったあと(正確には東京都の七生養護学校への不当介入)、都立学校での日の丸・君が代の強制、ジェンダーフリー攻撃、「つくる会」教科書の検定合格、教育基本法改悪・憲法改悪、これら全てに高橋史朗が主要な役割を担っていたのだ。
性教育が国の行政がらみでバッシングされる、という意味は、すべての国民の身体と性が国によって統制されようとすることを示唆する。これまで、「たかが性教育をしている一部の教師たちの問題」としてきたことはなかっただろうか、そして、こつこつと都や国と闘いつづけてきた私たち性教育をするがわにおいては、国がらみの大きなバッシングの前にもっと早く、例えば92年の攻撃の時に、連帯につなげる活動と、重要な問題提起として広く呼び掛けることをしていれば、と悔やまれる。2003年12月、七生養護学校への東京都の不当介入に関し、東京弁護士会が都教委区委員会に対して出した「警告」は、裁判へと繋がっていこうとしている。「ここから裁判」と名のついたこの闘いを、バッシングされている全ての分野・団体の連帯の力を元に「自分のこととして」闘うことを提起したい。
最近、一部のメディアや政治活動において、ジェンダー概念や男女共同参画の理念を曲解した「ジェンダーフリー」批判が強まっている。この動きが、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「女性学」、「性教育」等の教育実践や「男女共同参画社会」、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」等の行政施策への揺り戻しにまで拡大している事態に鑑み、日本女性学会はここに声明を行うものである。
人間の平等の重要な構成部分をなす男女平等の理念は、長い歴史の中で多くの先人たちの努力によって追求されてきた崇高なものである。20世紀後半に展開した「女性学」、「男性学」、「ジェンダー学(ジェンダー論、ジェンダー研究)」、「セクシュアリティ研究」、「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」、「クィア研究」等の学問は、いずれもこの理念を具現化したものとしてある。そして、これらの学問の中で中心的な役割を果たした概念が「ジェンダー」であり、この概念は現在、国際的な学術用語として確立し、学問領域を超えて分析に使用されている必要不可欠な概念の一つとなっている。
すなわち、今日では、階級や民族といった従来の分析概念とならんで「ジェンダー」に敏感な視点なしには、人間存在の多様性に配慮した豊かな分析・認識はありえない。これが国際的・領域横断的な学界の常識であることは、これまで「ジェンダー」に関連する文献が、世界中のどれだけ多くの分野にまたがって生み出されてきたかを見れば一目瞭然であろう。この蓄積を消滅させることは誰にもできない。
国連が1975年を「国際女性年」とし、続く10年を「国連・女性の10年」と定めて以降、国際的にも女性の地位向上、男女平等の施策が積み重ねられてきた。例えば、わが国も批准している女性差別撤廃条約やILO156号家族的責任条約は男女平等を推進する重要な思想に立脚したものであり、これらにおいては、男女の役割・生き方を従来のように本質主義的・固定的にとらえることが批判され、ジェンダー不平等を解消する上で、男女個々人がそれぞれ対等な権利で自立、エンパワメント、自己決定していくことの重要性がうたわれている。こうしたジェンダー平等の視点はもはや国際標準となっており、わが国の男女雇用機会均等法や育児・介護休業法、男女共同参画社会基本法、DV防止法等もその流れの中で策定されたものである。そして、男女共同参画社会基本法は、このような流れの中で、「ジェンダー」概念を包含しつつ打ち立てられた、日本社会の民主化と進展の重要な一里塚であった。
しかしながら、今、この国際的努力の成果が、拙速な議論のもとに反故にされようとしている。「ジェンダー」という用語の使用制限の要求は学問的に見れば非常識と言わざるを得ず、もしこのような要求をもとに、関連教育や男女平等政策への介入、男女共同参画社会基本法の骨抜き(内容の後退)、ジェンダー関係の書籍の排斥などが行われるのであれば、それは、「学問の自由」に対する侵害であり、国際的・国内的に積み重ねられてきた人々の英知に対する裏切りである。「男女共同参画」の英訳が”GenderEquality”であるように、両性の平等について発言・思考するにあたって「ジェンダー」概念を用いないことなどおよそ不可能である。すでに国際標準となった「ジェンダー」概念を使用しないなどと決めれば、日本は世界に向けて有意味な学問的発信ができなくなるばかりか、侮蔑と嘲笑の対象となるであろう。
学問は真理の探究を通じて、広く人類の福祉の向上のために行われるものであり、「ジェンダー」概念は、そのための不可欠なキー概念である。今や学会においてジェンダー部会の見られないところは少数であり、どの学問分野でも従来の学問体系に対するジェンダー視点での批判的見直し(再構築)が進められている。多くの大学では、ジェンダー学あるいは女性学関連の教育プログラムが設置され、ジェンダーに関する共同研究が進められている。
行政や女性センター、男女共同参画センターなどにおいても、男女平等・男女共同参画に対する啓発や教育プログラムが実施されている。豊かで公平で活力ある社会を築くこのような営みを破壊することは決して許されない。
日本女性学会は、他学会・研究機関、市民とともに、今後とも「学問の自由の擁護」と「人間解放に資する研究」への努力を惜しまぬ決意をもって、昨今の「ジェンダー」批判、「男女共同参画社会」揺り戻しの動向に抗議するものである。関連諸機関の適切な対応を期待する。
追記:この声明文を関係各省庁およびマスコミ各社に送付しました。また、日本女性学会ホームページにも掲載しています。
4月30日、小田急線鶴川駅前の和光大学学外施設「ぱいでいあ」に於いて慶応大学大学院社会学研究科博士課程の佐々木掌子氏、トランスネットジャパンの野宮亜紀氏を迎え性科学の最近の動向に関する研究会が開かれた。呼びかけ人は井上輝子氏、学部生数名を含め参加者は35名ほどだった。
ジェンダー・アイデンティティの起源について佐々木氏が研究動向を、野宮氏が論点の整理を担当された。佐々木氏は、一般に人文系の研究者には縁遠い臨床分野でのジェンダー・アイデンティティ研究の通時的な動向と、各研究者の特徴について、特にマネーとダイアモンドとの比較に焦点をあてて概説された。性科学は医学と社会学の交差点に位置する領域である。行動遺伝学を用いた分析方法について等、聞き手の側のレディネスがやや不十分である感は否めなかったが、日々評価の動く性科学の動向と論点についての報告は示唆に富むものであった。野宮氏は活動家の立場から問題の核心をあぶり出し、バッシング派がマネー理論の破綻を強調することの無意味さについて語られた。natureornurture? ばかりがことさら取り沙汰されることへの問題提起を含む氏の報告は、当事者視点をまったく欠いた一般の論調への警鐘でもあろう。
研究会後の茶話会は自然に二次会へと流れ、鶴川と新百合ヶ丘の駅前が常ならぬ賑わいを見せた一夜であった。
ICU(国際基督教大学)ジェンダー研究センターでは、9月16日から18日の3日間、CGS第二回国際ワークショップ『アジアのジェンダー表象(アジアにおける人間の安全保障とジェンダー)』を開催します。韓国、中国、タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、インド、バングラデシュ、そして日本から、ジェンダーと表象に興味を持つ研究者やアーティストが集まります。アカデミックなセッションの他に、日本ではなかなか観られないアジアの映画上映と、監督によるトーク、パネルディスカッション、演劇を通してジェンダーを考えるフォーラム・シアターなどの企画もあります。ジェンダーと表象に興味をお持ちの方のご参加を、お待ちしています。日英同時通訳付。
| 9月16日(金) | ||
|---|---|---|
| 9:00-9:20 | オープニング | |
| 9:20-11:00 | セッション1 | アジア各国のジェンダー表象概論1 (日本 中国 韓国) |
| 11:15-12:55 | セッション2 | アジア各国のジェンダー表象概論2 (インド バングラデシュ マレーシア インドネシア) |
| 13:00-14:50 | シネマ・ランチョン | |
| 13:00-13:20 | ランチ | |
| 13:20-14:20 | 『30年のシスターフッド』 | |
| 14:20-14:50 | 山上千恵子監督、瀬山紀子監督とディスカッション | |
| 15:00-17:00 | フォーラム・シアター・セッション *学生達が日常のジェンダーを演劇化し参加者達とフォーラムを持ちます。 協力:フォーラム・シアター 竹森茂子、花崎摂 |
|
| 17:30-19:00 | セッション3 | アジア各国のジェンダー表象概論3 (タイ フィリピン ベトナム) |
| 17日(土) | ||
| 9:20-11:00 | セッション4 | 言葉、表現、パワー |
| 11:20-13:00 | セッション5 | アートとは何か? 身体、美、ジェンダー |
| 14:00-15:30 | セッション6 | 性とセクシャリティーの表現について |
| 16:00-17:30 | セッション7 | 新たな地平線へ:ジェンダー概念を再定義する |
| 18:00-20:00 | レセプション | 学生による和太鼓演奏、創作ダンス |
| 18日(日) アジアン・フィルム・ショーケース: 新しい物語の地平をめざして |
||
| 9:00-13:00 | 映画上映と監督のトーク | |
| 9:00-10:20 | Venus,TokyoStupidGirls,Khoa | |
| 10:20-11:40 | TheWeddingGift | |
| 11:40-13:00 | 女書 | |
| 13:50-15:20 | 質疑応答、ディスカッション 司会 斉藤綾子 | |
| 15:30-17:00 | まとめのセッション | |
詳しい情報と申し込み方法については、ホームページをご覧ください。
http://subsite.icu.ac.jp/cgs/index-j.html
お問い合わせはICUジェンダー研究センターまで。
電話0422−33−3448 Eメイル:cgs-iws●icu.ac.jp (●を@に書き換えてください)
| 水田宗子著 女性作家評伝シリーズ5 『尾崎翠−『第七官界彷徨』の世界』 |
新典社 1470円 |
| 尾崎翠の内面への思考の旅が、彼女にとっての「東京」という都市や、上落合という場所の意味を浮かび上がらせ、孤独な夢想者の貌を甦らせる。 | |
| 西村賀子著 『ギリシア神話』 |
中央公論社 861円 |
| 古代ギリシアの詩や悲劇がどんな話をどのように語っているかを踏まえながら、西欧文明にきわめて深い影響を与えた伝承の数々を紹介する。 | |
| 小林美恵子著 『昭和十年代の佐多稲子』 |
双文社出版 6825円 |
| 戦後厳しく批判された“昭和十年代の佐多稲子の文業”を、“女の視点”から読み直す。 | |
| エマ・ゴールドマン著/小田光雄・小田透訳 『エマ・ゴールドマン自伝 (上)(下)』 |
ぱる出版 上下共に2940円 |
| アナキズム運動、女性解放運動の先駆者の一人として、アメリカ国内だけでなく世界に影響を与えたエマ・ゴールドマンの自伝。 | |
| ドゥルシラ・コーネル著/岡野八代・牟田和恵訳 『女たちの絆』 |
みすず書房 3675円 |
| ジェンダー概念の限界を超え、理想自我としてのフェミニズムを掲げる。現代思想書でありながら、母から娘へ、娘から母へ贈る一册。 | |
| 姫岡とし子、池内靖子、中川成美、岡野八代編 『労働のジェンダー化——ゆらぐ労働とアイデンティティ』 |
平凡社 3150円。 |
| 制度化された「労働」の批判。家事労働からセックスワークまで労働のなかの<女/男>をジェンダーの視点から分析する。制度・言説・表象の政治学の書。 | |
| 木村涼子・小玉亮子(共著) 『教育/家族をジェンダーで語れば』 |
発行 白澤社 発売 現代書館 1680円 |
| 学校や家庭など子どもをめぐる社会をジェンダーの視点で読みとく。より平等な社会へ向かうためにジェンダーの視点を持つことの意義を再確認する。 | |
幹事会の研究会担当幹事を中心に、バッシングに対抗するためのQ&A改訂版作成などを目指す研究会を開催します。日程は以下のとおりです。会員のみなさま、どうぞご参加ください。
| 日 時 | 9月25日(日) 10:00−13:00 |
| 場 所 | 国立社会保障・人口問題研究所 (千代田区内幸町、日比谷国際ビル6階) |
| 報告者 | 橋本ヒロ子さん、細谷実さん |
なお、当日は日曜日のため、会場への入場に手続きが必要となります。参加にあたっては、以下の点にご注意ください。
○参加予定者は、前もって釜野幹事までメールで連絡を入れてください(s-kamano●ipss.go.jp)(●を@に書き換えてください)。
○当日は、9:50までに日比谷国際ビルの通用門(プレスセンタービル、ジュンク堂のうら付近)に集合してください。
(この時間に集合できない方は、メールでその旨をお知らせください。)
(*会員に送付しているペーパー版の「学会ニュース」とは内容が一部異なります)
女性学会ニュース第102号[PDF] 2005年5月発行
| 日 時 | 2005年6月11日(土)・12日(日) |
| 場 所 | 横浜国立大学 教育文化ホール 〒240-8501 横浜市保土ヶ谷区常盤台79-1 |
| 参 加 費 | 会員:無料 非会員:1,000円 |
| 第1日目6月11日(土曜日) | |
|---|---|
| 場所 | 横浜国立大学 教育文化ホール |
| 開 場/受 付 | 12時30分 |
| シンポジウム | 13時〜16時30分 |
| フェミニズムと戦争─「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて | |
| パネリスト | 佐藤文香、海妻径子、岡野八代 |
| コーディネーター | 千田有紀 |
| 総会 | 17時〜18時 この間非会員向けにビデオ上映を行ないます 「30年のシスターフッド 70年代ウーマンリブの女たち」 (制作 山上千恵子・瀬山紀子/57分/2004) |
| 懇親会 | 18時15分〜20時 大学会館 |
| 参加費 | 会員:無料 非会員:1,000円 |
| 第2日目6月12日(日曜日) | |
|---|---|
| 個人発表 | 10時〜12時 |
| ワークショップ/個人発表 | 13時〜15時 |
| シンポジウム フェミニズムと戦争 −「銃後」から「前線」への女性の「進出」!?を踏まえて |
|
|---|---|
| コーディネーター | 千田 有紀 |
| 今回の大会シンポジウムでは、フェミニズムと戦争を根本的に問い直すことが課題である。戦後のフェミニズム思想では、第二次世界大戦において、女たちが「母」として、「銃後」を支えてきたことが、反省的に問い直されてきた。しかし、湾岸戦争からイラクにおける戦争にいたっては、女性が兵士として参戦するという事態が生まれ、女性が「前線」にまで「進出」してきた事態をどのように捉えるのかという問題がわたし達に突きつけられている。しかもアフガンに対する攻撃に際して、タリバンからの「女性解放」が口実として利用され、アルグレイブ刑務所において、男性性を模した女性兵士が男性を虐待している写真が全世界に衝撃を与えるなど、問題は錯綜してきている。このフェミニズムと戦争をめぐる問題の複雑性を損なうことなく、踏み込んで複雑性を解き明かし、議論することを目指したい。 | |
前号ニュースレター掲載の学会誌編集委員会よりのお知らせの誤りを次のように訂正します。
「学会誌編集委員より投稿締め切り時期変更のお知らせ」
『女性学』第13号編集委員会(誤)
→『女性学』第12号編集委員会(正)
・「2005年度日本女性学会誌『女性学』12号投稿原稿募集」
12号(誤)→13号(正)
2005年4月より新しい年度になりました。
同封の郵便振替用紙で、2005年度会費7,000円(2004年6月12日の日本女性学会大会総会で承認されました)をできるだけ早めにご入金くださいますようお願いいたします。
大会が年一回に減ったことを受け、研究会を活性化していくことになりました。幹事会企画研究会を年に数回おこなう他、会員個人やグループ(自主的研究・運動グループ)のイニシアチブによる研究会についても、学会として経費補助や情報宣伝などを行って行くことになりました。
そこで、会員の皆様からの意欲的な研究会の企画をお待ちしています。詳細のお問い合わせは、研究会担当幹事(伊田広行・内海崎貴子)まで。
日本学術会議第一部ジェンダー学研究連絡委員会では、以下のような内容で、シンポジウムを開催いたします。学校における男女平等教育のあり方や大学におけるジェンダー学教育のあり方などに関心を持つ方、ぜひご参加ください。
| 日時 | 平成17年6月13日(月)16:00〜19:00 | |
| 会場 | 日本学術会議2F大会議室 (〒106-8555 東京都港区六本木7-22-34 Tel. 03−3403−5706) |
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| 主催 | ジェンダー学研究連絡委員会 | |
| 共催 | 日本女性学会、ジェンダー史学会、国立女性教育会館 | |
| プログラム | ||
| 司会 | 江原由美子 (ジェンダー学研究連絡委員会委員長、日本学術会議第1部会員、東京都立大学教授) 佐藤 学 (ジェンダー学研究連絡委員会委員、日本学術会議第1部会員、東京大学大学院教育学研究科研究科長) |
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| 報 告 | ||
| (1) | 「教育とジェンダーをめぐる諸問題」 | 国際基督教大学教授 藤田秀典 |
| (2) | 「大学文化とジェンダー」 | 東京女学館大学教授 天野正子 |
| (3) | 「教員養成・研修とジェンダー」 | 東京学芸大学教授 村松泰子 |
| 特集 ウーマンリブが拓いた地平 | |
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| 基調講演「自縛のフェミニズムを抜け出して─立派になるより幸せになりたい─」 | 田中 美津 |
| 1980年代以降の女性運動とリブ─「女性に対する暴力」をめぐって | 原田恵理子 |
| 引き裂かれた「女」の全体性を求めて | 千田 有紀 |
| フェミニズムとアカデミズムの不幸な結婚 | 菊地 夏野 |
| 投稿論文 | |
| 下田歌子の社会構想と「手芸」 | 山崎 明子 |
| 強姦事件捜査にみる犯行動機−「性欲」という語彙 | 牧野 雅子 |
| 研究ノート | |
| 日本キリスト教婦人矯風会と五銭袋運動−1910年代後半の廃娼運動資金募集活動を中心に | 楊 善 英 |
| 書評 | |
| ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの─情熱の政治学』 | 伊田 広行 |
| 金井淑子その他編『岩波 応用倫理学講義 5 性/愛』 | 吉田 俊実 |
| Christopher Carrington, No Place like Home: Relationship and Family Life among Lesbians and Gay Men, Gillian A. Dunne (ed.), Living“Difference”: Lesbian Perspectives on Work and Family Life | 釜野さおり |
ちょっといい本が出た。憲法9条や戦争/平和をめぐっていろいろな議論があるが、これはそれらとは少し違った角度から「9」をキーワードに、日常生活・足元の暮らし方に「平和/戦争放棄・軍隊放棄」の精神を見出そうとする。それは、パンを焼くことだったり、サーファーが海を守ることだったりもするが、とにかく、日本中に、世界中に、名もなき人々によっていろいろなことが行われ、考えられている。それを集めていく中で、「9」に命を吹き込もうとしている本なんだと思う。
とくに僕が気に入ったのは、沖縄のガンジーといわれるおじいちゃんの次の様な言葉だ。「武器をもたないで生きるものはすべて神様、宗教語でいうと善と考えるようになりました。あそこに歩いている鶏も生まれたときから死ぬまで人間のために奉仕し、人間がいくら卵を盗んでも武器を持って取り返しにこない。これも神様。」
また鶴見俊輔さんの「日本の知識人の記憶の短さ、○○はもう古いという批判の仕方、そういうことへの無自覚」という批判。大きな戦争というものはとめられないように感じるかもしれないが、そういうまともな人たちの言葉や行動を受け取り、受け継ぎ、自分がまたそういう思想を持つ存在になっていこうとするところに希望を見出す力がこの本にはあふれている。
僕にとっては、「10点満点」に対して、「減らす」「捨てる」「クールダウン」ということの積極さを「9」が示しているというような発想が印象深かった。走り続けなくてはという強迫観念から離脱すること、捨てること、ものや仕事を減らすこと、上からではない形で差し出すこと。僕にとっての大きな課題のヒントがここにもあった。